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野生の証明
ごおお……と、風を切る音に時々邪魔されながら、バイクの後ろの晴一郎と会話する。ともかく、到着する前に、ぴりかちゃんについて質問しておきたいことが、山のようにある。
「ほしたら、あのトガリ頭は、ぴりかちゃんの部の後輩、というだけなんじゃな。絶対に確かじゃな!」
「ゴーヘー君が演劇部の1年生であることは、間違いない。」
どぉーも質問のツボをわかっていない答えだが、まあいい。場合によったら、ここに滞在している間に、あの野郎をぶん殴れば済むことだ。
「しかし、ずいぶん便利なものを購入したのだな。こうして二人乗りをしながら、自由に会話ができるわけか。」
タンデム通信機器の無線を通して、晴一郎の声が、ヘルメットの中に陰々滅々と響き渡ってくる。なんか、トンネルを潜っとる時なんかには、喋るのを遠慮してほしい種類の声じゃのう、と、今更ながら祐介は思う。
「瑛一君やお母さんは、息災だろうか。」
「おお、あいつらは、なにがあっても死なんわい。くそお母んなんぞ、鶏インフルエンザが来ようが豚インフルエンザが来ようが、うちの牛は元気じゃけえかかったりせん! と豪語しよったが……」
「それは、かからないだろう。そもそも、ウィルスの型というものは……」
「ええんじゃ、そんなことは! 別に、走りながらおまえの講釈を聞くために、小遣い叩いてヘルメットコムを買うたわけじゃない。」
もしかしたら、ぴりかちゃんを後ろに乗せることだって、あるかもしれん、と思うて買うたんじゃい……。
そう思いながら、ゆるいカーブで後ろを振り返る。
定員いっぱいの客を乗せたハイエースが、坂道をうんうん唸りながら走っている。あの中で、ぴりかちゃんは、またうとうとと、眠りの続きに突入しているのだろうか。
「……へへへ。なんの夢を見とるんかのーう。」
無線のことをうっかり忘れて、声に出して言ってしまう。驚いたことに、意味不明のはずのそんな呟きに、晴一郎はすぐに反応した。
「キュウリの夢だろう。」
「キュウリ?」
「四六時中食べている。」
「誰が?」
「さっきのあれだ。祐介の気に入ったらしい……」
「ぴりかちゃんか?」
「獣だ。」
「…………?」
ワケワカラン。
足元をすくわれたような気分でポケッとしていると、晴一郎がまた喋る。
「誰もあれを、人にはできない。」
「……おまえの言うことは、あれじゃな。哲学的というか、坊主のなぞかけというか、」
「だが、祐介にそれができるというのなら、僕に異存のあるはずもない。」
「なにを言うとるんじゃ、いったい! さっきから、さっぱりわけがわからんぞ?」
「いいんだ。」
珍しく、切り捨てるような口調で、そう言って終わりにしようとする。
いつもなら、こういうわけのわからない会話の時は、うんざりした祐介が「ああ、もうええ、もうええ」と言うまで、くどくどと説明し続ける奴なのに。
「僕は構わないんだ。」
無線が繋がっていることを、今度は晴一郎が失念しているらしい。明らかに、独り言めいた小さな声で、ぶつぶつと繰り返している。
「それでいいんだ。別にどちらでも構わない。僕には、関係のないことだ……」
「……おい。」
背筋がぞくぞくする。ヘルメットに籠る、魔法使いの呪文めいた声を聞きながら、こいつを乗せて、夜走るのだけは、なにがあってもまっぴらごめんじゃな、と祐介は思う。
天野の本家に辿り着くと、驚いたことに、門の前に村の独身青年どもが、ゴソッと溜まっていた。
「よお、晴一郎君。お帰りー。」
「ユースケ、街のお友達は? お友達はどこにおるんじゃ!?」
「JKは何人おるんじゃJKは。おれら全員に行き渡るだけおるんじゃろうな?」
「なんじゃ井上、その、じぇーけーいうんは。」
「じょし、こーせーの略じゃ。」
「帰れオタク。おまえみたいのが混じっとったら、街の女の子が引く。」
「そんなん、八田さんみたいなおっさんが混じっとるほうが、よっぽど怖いじゃろうが~。」
「そういう古田さんこそ、昨日下界に下りて、メンズエステ行ったって噂が。」
「おまえ、帰れ!」
「おまえこそ帰れ! わし以外の男は全員おらんでええ!」
「おおお、おれは絶対に帰らんぞ! 桃李学園のJKを見るまでは死んでも帰らん!」
……放っておいたら、永遠に騒ぎ続けていそうな、見苦しい独り身の野郎どもを見渡して、祐介は静かに、頭に血を集結させていく。
情報の出所は、おそらく母ちゃんじゃろう。晴一郎が帰ってくるのが嬉しゅうて、村中に触れ回ったに違いない。それがどういう結果を招くか、ろくに考えもせんで。
「晴一郎君、これ。つまらんもんじゃが、うちの生け簀のイワナじゃ。お友達と……」
「あっ、おれも! おれも! これ、うちでとれたトウモロコシじゃ!」
「シシ肉、いらんか? バーベキューするじゃろう?」
「うちの温泉の、日帰り入浴券じゃ! ソフトクリーム券もつけちゃるぞ!」
「やっかましいいいい!! 帰れ、帰れ、くそおやじども! こんなクズどもが家の前で待ち構えとったら、ぴりかちゃんが怯えてしまうじゃろうが! 帰れえええ!!」
本気で拳を振り回し、ハラにキッチリ入れる気のケリを連発する。野郎どもは、命あっての物種と、一旦はクモの子を散らすように逃げていったが、遠くから土煙を蹴立ててやってくるカウ・ファームのハイエースを見るや、てんでに祐介から数メートルの距離を保ちつつ、やはり居座る。
「なんじゃあおまえら! どっから嗅ぎつけたんじゃああ!!」
運転席の窓を開けて、スグ兄も目を吊り上げて怒っている。ひとりふたり轢き殺したれ、と祐介は思ったが、野郎どももそこまでノロマではない。
「あー、気持ち悪かった……なにこれ?」
真っ先に降りてきた、四角いメガネの三浦という3年生が、目をぱちくりして、むさい野郎どもを見回す。その後から降りてきた太賀という奴が、
「へえ、みんな天野の友達?」
と、愛想のいい顔で尋ねる。なにか、いかにも街のお坊ちゃんズvs田舎の青年団、という図式が、そこに浮かび上がる。
ひとりひとり降りてくる。それが男である度に、村の野郎どもは(あー……)というげんなりした波動を発し、女の子である度に、(おおー!!)という喜びと欲望の波動を出す。
「……なんなのよ、このイヤーな雰囲気は……」
最後におかっぱが、まだ眠た気なぴりかちゃんを抱きかかえながら、顔を顰めて降りてきた瞬間、
「ほお~っ!!」
という感嘆の叫びが上がり、それでぴりかちゃんが、ぽかっ、と目を開ける。
「よっ……ようこそ、飛天村へ……!!」
と、最年長の(つまり、一番長いこと売れ残っとる)八田のおっさんが言いかけた時、
「しっ!」
と、晴一郎が、短い警告の叫びを発した。
全員、身を竦めて、晴一郎を見る。そして、晴一郎の視線の先を目で追う。
「……ダ」
と叫びかけた三浦の口を、晴一郎が素早く押さえる。
「静かに。」
「むぐぐ……!」
丈の高い草の茂みの向こうに……鳥がいた。
本来、こんなところにはいるはずのない、ばかでかい鳥。
それが、長い首をかしげて、なにを考えているのかさっぱりわからない間の抜けたツラで、ここにいる人間たちを、じー……っと見つめている。
「あちゃー……しもうた、脱柵してきおったんじゃ……」
スグ兄の同級生の、古田という農家の長男が、ひそひそとそんなことを言う。
「みんな、動かんとおってくれ……びっくりさえさせなんだら、すぐに捕まえられるけえ……」
そう言って、腰のベルトを外しながら、そろりそろりと鳥に近づいていく。
緊張した雰囲気に釣られたのか、寝惚けていたぴりかちゃんの顔が、次第次第に覚醒していく。
もたれ掛かっていたおかっぱの肩から身を起こし、みんなが見ている方に目を向ける。
そして、
びかーん!
と、目を輝かせて、なにやら古いアニメに出てくる出っ歯のおっさんのようなポーズをびしいっとキメながら、辺りの山に長々と谺する、ひっくり返った大声で絶叫した。
「だ……チョーーーーーーーーッ!!」
びっくりしたダチョウが、羽をブワーッと大きく膨らませて、くるりと回れ右をし、一目散に駆け出す。
それをぴりかちゃんが、ひんむいた目をギラギラ光らせながら、猛烈なダッシュで追いかける。
「だ・チョーッ! だ・だ・だ・だチョーッ! だだだだだだだチョーーーッ!!」
「ぴりか! バカ、危ない! 戻ってきなさーいっ!!」
おかっぱが叫ぶ。だが、声は届かない。
逃げるダチョウ。追う女の子。ふたつの影は、あっと言う間に草原を渡って、視界から消えていった。後に残される、興奮した残響。
「だちょおおおおおおおおおうっ」
ぼうぜん……とした村の野郎どもの前に、すたすたと歩み出て、晴一郎が言う。
「……と、いうような友人たちが、5日間滞在します……よろしく。」
野郎どもは応えない。全員、自分たちが思い描いていたなんらかの甘い妄想が、粉々に打ち砕かれた衝撃から、立ち直れないでいる。
実は、祐介も。
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