第十四話 本宮裕介、少年時代の終わりの鐘を聞く縁 1
無防備な微笑み
飛天神社駅。夏。
赤字線の終着駅の、目に映るもの全てが古くさい待合室で、ベンチに座っているのは、二人だけ。
街の友人たちを出迎えに来た本宮祐介と、酒臭いじーさん……どう見ても、マトモな人生は送ってきてなさそうな、薄汚いホームレス風。年寄りのくせに、膝に穴の開いたジーンズを穿いて、ピースマークのペンダントなんかぶら下げている。
足元にウィスキーの瓶を転がして、ぐーすか鼾かいて熟睡していたのが、突然、
「あちーっ。」
と叫んで飛び起きた。そりゃー暑いじゃろう、と祐介は、口には出さずに悪態をつく。少なくとも、俺が来てからの20分、ずーっとその顔に、直射日光が当たっとったんぞ。ようこんなんで寝とれるなあと、半分感心しとったわい。
こんな早うに来てみたところで、それで電車がスピードあげてくれるわけじゃなし、なんにもならんかったな……と、少しばかり後悔する。でも、待ち切れなかったのだ。朝からずっと、電車が到着する12時47分のことばかり考えて、わくわくしていた。
結局、1学期の間、街には遊びに行けなかった。長兄・瑛一のファームレストランの経営が軌道に乗りはじめ、手伝わなければならない家の仕事がありすぎたのだ。
母親はただでさえ、祐介がロクに勉強もしないまま高校に通い続けていることを、快く思ってはいない。日々、ああもったいない、金のムダ遣いじゃと文句を垂れ、なにかあればすぐ、
「そんなこと言うんじゃったら、明日っから学校やめて、ここで働きんさい。」
と脅しにかかる。いや、脅しじゃないなあれは。100%本気じゃ。息子が息子に見えとらん。17歳の若い労働力、としか見えておらん。くわばらくわばら。
「なあ、君。そこの君。」
呼ばれて振り向く。じーさんが、ベンチの日の当たらない部分に身を縮めて腰掛けて、くしゃくしゃの煙草の箱を、差し上げて見せる。
「持ってないかね? 僕の、切れてしまってね。」
きったねえカッコして、なにが「君、君」だ。むっと顔をしかめ、祐介は思いきりスゴんだ口調で言い返す。
「ねーよ。どっか行けよ。」
「そうか……吸わないのか。いいことだ。若いのに、感心だね。」
うんうんと、エラソーな顔して頷いている。何様じゃ、おまえは。ホームレスの分際で、インテリみてーな口きくな、けたくそわりー!!
……あー、いらいらしたらいかん。顔が怖くなってしまう。電車が着くまで、あと5分。もうすぐ、もうすぐ、大事な瞬間なんじゃ。
深呼吸をひとつして、ポケットから携帯を取り出す。じーさんに背を向けて、画像ファイルを開く。
もう、何回こうやって眺めたかわからない。小さな写真。その真ん中の、ちっちゃいかわいい女の子。
「……ひひひ。ぴりかちゃーん。」
口の中だけで呟く。ほんまに、なんてかわいらしい子じゃろう。
この前、メールでおかっぱに、
ーーーおれのこと、ちゃんと
言っといてくれよ!!!!!!
と送ったら、
ーーーわかったわかった
せいぜいお楽しみに~
なんぞという、いかにもおざなりな返事が来たが、大丈夫かのう。もしかして、この1学期の間に、彼氏ができとったりせんじゃろうか。気だての良さそうな顔して、
「こーんな田舎に住んでる人、最初っからあたしの選択肢に入ってないわ!」
なんていうような子じゃったら……あああー、そんなことはない。絶対にない。ぴりかちゃんに限って、そんなことだけは!!
あと2分……駅員室から、ひとりっきりの駅長が出てきて、改札口に立つ。遠くの方で、カンカンと踏切が鳴り始める。
画像を閉じ、カメラのセルフポートレイトモードで、自分の顔の確認。こんな感じで……にこっと笑うて、爽やかにさりげなく……うわー、君がぴりかちゃんかぁ、かわいいのう、ほんまに会いたかったぞ……
やがて、ごとんごとん、ごとんごとん、と、死にかけのバアさん牛のようなゆっくりさで、2両編成の電車が、ホームに入ってきた。
ぷしゅうーっとブレーキの音。ドアが開いて、ぞろぞろと降りてくる。
「おおいっ、晴一郎!」
改札から身を乗り出して手を振る。晴一郎は、相も変わらず、なにがそんなにつまらんのじゃおまえは、と問いただしたくなるようなつまらん顔のままで、ひらひらと手を振り返す。
「あー、やっと着いたー……」
「ぅあっちー!! 山だから、もっと涼しいと思ったのに、ぅあっちー!」
「車内でサンダルに履き替えた奴! 誰だ! スニーカー置きっぱなしだ、バカ!!」
「よー、ユースケ。久しぶり、元気だったー?」
「おお、おれは元気じゃが……えーと……?」
きょろきょろと目を動かしていると、野郎どもが何人か、にやにやと笑いながら、電車の方を指差す。
「心配しなくても、ぴりかちゃん今来るよ。」
言われて車両のドアを見る。やたらタッパのある女の子が、スポーツバッグを提げて降りてくる。その後ろから、髪をおっ立てた、生意気そうな野郎が叫んでいる。
「内田、ちょっと手伝え! ダメだこれ、全然起きねえ!」
「えー……?」
女の子が、困ったような顔で、車内に戻る。そして二人掛かりで、なんだかぐにゃぐにゃしたちびっこい女の子をひとり、支えて歩いてくる。昔、テレビのオカルト番組で見た、不時着した宇宙人の連行シーンに似ている。
その宇宙人が、つまり……
「ぴ、ぴりかちゃん、か……?」
背中を屈めて、顔を覗きこむ。
真っ白なほっぺたに、ふわっとかかった細い髪。半開きの唇から覗く、きれいなピンクの舌。長い睫毛が、いかにも眠た気に、ゆっくりと開いたり閉じたりしている。
「ね……寝とったんか、電車で……」
「なんだか知らないけど、ゆうべ一睡もできなかったんだって。」
と、晴一郎のルームメイトの、高杢という野郎が、横から説明してくれる。まさか……それは、おれに会うんで、緊張して……と、いうことか……?
「やっと少し、ウトウトしかけたところで到着しちゃったんだよね。かわいそうに……」
「あっ、あのおれ、ユースケじゃ。その、初めまして……こんちは……」
予想していた状況とあまりに違ったため、せっかく練習していたセリフが使えない。しどろもどろで、ありきたりな挨拶をする。
とろ~んとしたぴりかちゃんの目が、祐介の顔に、ゆっくりと焦点を合わせ始める。
そして、目が合った瞬間、
にこーーーーー……
と、ハチミツがとろけるみたいな顔をして、笑った。
(かっ……かわいぃぃぃぃぃ……!)
……この数ヶ月間、胸に思い描いていた、どんな甘い想像より、遥かに甘い展開。
祐介の体の中で、心臓が、肺が、気道が、胃袋が腸が横隔膜が……ほんのわずかでも、気持ちに連動して動くようにできている全ての臓器が、捩じれ、飛び跳ね、気の狂ったようなダンスを踊り始める。ななな、なんじゃこれは。どうしたんじゃおれは。
「祐介。ファームの車は確か、15人乗りだったろう。定員一杯なので、僕は君のバイクの後ろに乗せてもらうことになるが……祐介?」
お経でも読んでいるような陰気な声で、そんなどーでもいいことを喋っている幼馴染みの肩をがちっと掴まえ、祐介は深々と、それこそ、晴一郎の胸に後頭部をこすりつけんばかりにして、頭を下げる。
「……どうしたのだ、祐介。」
「晴一郎、ありがと、ありがと、ホントーにありがとうな!!」
もう半分泣きそうになっている自分を、他の連中がみんなして、憐れむような目をして見つめていたが、それがなぜなのかなんて、深く考えるゆとりもないほど、感激で胸がいっぱいでいっぱいで……。
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