minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

3

  dreamer

 

 

 掲示板の前は、黒山の人だかりで、なかなかクラス表の、細かい字が読めるような距離まで近づけない。

 ひとりウクレレ部長、大村鈴は、いったんメガネを外して、ぱちぱちと瞬きをする。視力、また落ちちゃってるのかな。そろそろレンズを変えに行かなくちゃ、ダメかも知れない。

 ハンカチを取り出して、表面の埃を拭う。それから、もう一度かけ直そうとしたところで、

「おーっ、2組か! 一緒じゃーん!」

 と、すぐ横にいた知らない男の子が振り上げた腕に、ぱんと払われてしまった。

「うわっ。」

 メガネが、まるで冗談みたいにすっ飛んでいく。男の子は、それに全然気づかないで、友達のところへ駈けていってしまう。

「た、たいへんですぅ。」

 鈴の視力、現在、右0.08、左0.05。けっこう複雑な乱視入り。

 コンタクトレンズはどうも苦手で、うまく目に入れられない。メガネがないと、学校生活が、全然立ち行かない。

 こんな人ごみで、誰かに踏みつけられでもしたら! 大慌てで、飛んでいった方向の地面に目を凝らす。よく晴れた春の朝の、まぶしい光が照りつける敷石の上に、人の影がごちゃごちゃと入り乱れて、なにがなんだかよくわからない。

 こういうとき、鈴は、しみじみ思うのだ。

「すみませーん! その辺に、メガネ落ちていませんかー?」

 と、ちゃんと声に出して言えない自分って、なんて情けなくて弱いんだろう、って。

 滝ちゃんなら、やるだろう。それはきっと、踏んだらタダじゃおかないわよ、という、気迫の籠った声になるに違いない。聞いた人たちはきっと、背筋に冷や汗をかきなから、動きをぴたりっ、ととめて、自分の足元を、恐る恐る見るだろう。

 あるいは、ぴりかちゃんだったら……

「むぎゃーっ! メガネーっ!」

 とかなんとか叫んで、この雑踏の中に、四つ足で飛びこんでいくだろう。まわりの生徒たちは、なんだ? なんだ? と困惑しながら、ぴりかちゃんの前に、道をざーっと開けてしまう。そうして誰もいなくなった敷石の上に、ぽかっとメガネが出現している……

「おはよー大村さん。どうしたの?」

「はっ」

 話しかけられて、我に返る。すぐ隣に、思想研究会の遊佐峰行くんが立って、不思議そうな顔で、鈴を見下ろしている。

「なんか、おもしろいことあったの?」

「ああー、またやってしまったのですぅー。」

 鈴の頭の中ではすでに、架空のぴりかちゃんが、拾ったメガネを振り回して、にゃっほう、にゃっほうと飛び跳ねているところまで、シーンが進行していた。

 それがとってもおもしろくて、つい、現実の自分のメガネの危機を失念して、ひとりでニンマリ、笑ってしまっていたのである。

「あれ? なんかヘンだと思ったら、メガネしてねーじゃん。」

 焦りと恥ずかしさで、なにも言えずにいると、遊佐君の方から、状況に気づいてくれた。

「もしかして、コンタクトに変えた?」

「ち、違うのです。落としたのです。そのう、そこら辺に……」

「いー!?」

 叫んで遊佐君は、鈴が指差した方角を、じっと睨みすえる。

 それから、人ごみの中に、ぐいっ、とその大きな体をねじ込んでいった。押しのけられた生徒たちが、「うわっ」と不審そうな声を上げる。はっきり、遊佐くんを睨んでいる子までいる。

 どうしよう。わたしのせいで……と、胸をドキドキさせていると、ひょこっ、と大きな笑顔が、たくさんの人の頭の上に飛び出した。

「あったー。」

 それはまるで、海の中から、こちらを振り返っているみたいで……

 鈴の頭の中では、すでに、幼い頃の夏の記憶の中からひっぱり出された波の音が、ざざーん、ざざーんと、効果音を務めている。

 

 

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