minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

5

  古い、古い力

 

 

 こ、こここここ怖いいいいいい……

 と、いうのが、その時竜之介の想念に流れた、たったひとつの言葉であった。

 なんと言うか……死を覚悟した。ああ、なんだか今日は、ずいぶんとおかしなことばかり重なる日だと思っていたら、そうかこういうオチだったのか……と。

「なにしてたの? こんなとこで。」

 と、ぴりかちゃんが用心深い様子で尋ねてくる。

「な、なにって……」

「はじめっから、オイラんちのこと、嗅ぎつけてきた……わけじゃないよね?」

「うん。あの。違う違う。ぐーぜん。」

「なにしてたの?」

「そ、その、あ……」

 天野のあとを追って……と言いかけて、口を噤む。

 そうか。あいつも多分、ここのことを知っているんだな。なんでこっそり見にきたりしているんだろう? 事情がよく見えないけれど、でもなんとなく、ぴりかちゃんには天野の名前は、伏せておいたほうがいいような気がする。

「だ、大学生協に、行こうとして……」

「おかいもの?」

「そう。ほ、ほらあの、中のパン屋さんにさ、カレーパンの新作が出てるらしいんだけど、知ってる?」

 何日か前、クラスの運動部男子たちが噂していたのを、ちょっと小耳に挟んだだけの情報だったが、とりあえず並べ立てる。

「チキンカレーパンに、ハラペーニョをまるごと入れた、激辛バージョンが出たらしいんだよね。知り合いが、何人か買いに行ったんだけど、みんな結構ウマいって言ってて……。そういえば僕、ちょっとハラ減ったなーと思って、近道して行こうとして、道に迷っちゃって……」

「へえー! 激辛バージョンかあー。」

 そう言って、ぴりかちゃんの目が、ふっと和む。ずっと警戒態勢的に上がっていた肩の角度が、するりと下がる。よし、いいぞ、この路線だ。

「た、食べたことある? あそこのカレーパン。」

「あの、長ーいやつでしょ? 前、よーこ先輩に奢ってもらったことあるよ。おいしいよね、大学のパン屋さん。オイラあそこのチョコレートデニッシュも好きだなー。板チョコそのまま入っててさ、齧るとばりってゆうの。」

「買いに行かない? 一緒に。」

 あまりにも、話を逸らそうとしているのが見え見えかな、と思ったが、破れかぶれで申し出る。

「っていうか、道、わかる? も、もし案内してくれたら、お礼に、奢っちゃおうかなー、なーんて、その、」

「行くーっ!!」

 あっさり乗って、元気に、嬉しそうに返事する。そして薮の中を、デタラメな歌を歌いながら、どんどん先導して歩いていく。

「カレーパン、カレーパン、激辛ばーあじょーん

 ハーラヘリ、ヘーリハラ、ハラヒレハラペーニョー♪」

「あ。ま、待ってぴりかちゃん、もーちょっとゆっくり……。」

 再び、ニセアカシアのトゲに引っ掻かれながら、薮の中を行進する。

 

 どっちを向いても、木、木、木。右も左もわからないような、薄暗い林の中を、ぴりかちゃんは立ちどまりもせず、確信的なスピードで突き進んでいく。いったい、なにを目印にしているのだろう。

 ほんの少し進んだだけで、また樹間が開けて、歩きやすくなってきた。と思ったら、足元に、高等部から桃園会館へ行くやつとはまた違った踏み分け道が現れる。大学の学生がつけたものだろうか。

「ほい、到着。」

 と、ぴりかちゃんが言って、振り返る。

 そこは大学の、学食の裏手のようだった。この建物を通り抜けて、渡り廊下を行ったところが、生協だ。

「いいのかなー、ほんとに?」

 と、ちょっと不安そうに、ぴりかちゃんが尋ねる。

「え、なにが?」

「買ってもらっちっても……」

「あ、うん。もちろん。」

「えへ。」

 嬉しそうに笑って、竜之介が追いついてくるのを待ってから、並んで歩き出す。

 異常事態ではあるが……そういえば僕、こういうのって人生初のような気がする。女の子と、二人っきりでパン屋さんでお買い物……

 と、考えた途端、今朝、あれだけ必死になって記憶の底へ沈めたはずの映像が、ぽかっ、と浮かび上がってきてしまう。真っ白な足。真っ白な背中。

「どしたの? 太賀くん。パン屋さんここだよ。」

「あ……いや。」

 ふらふらと通り過ぎそうになって、慌てて、後ずさりして戻る。

 

 激辛カレーパンは、売り切れだった。

「あらー。つい今しがた、高校の野球部の子がいーっぱい来て、午後に作った分を、みーんな買ってってくれてねえ。明日、もっとたくさん作っとくから、また来てみてちょうだいよー。」

 真っ白なエプロンを着たパン屋のおばさんが、わざわざカウンターから出てきて、済まなさそうな顔をしてそう言ってくれる。つまり、『激辛カレーパン〈New!〉』と書かれた札の奥で、からっぽになっているトレーをじっと見つめるぴりかちゃんの表情が、それくらい、がっかりしていたのである。

「で……でも、ぴりかちゃん。チョコレートデニッシュは残ってるよ、ほら。」

 入り口の近くのトレーを指差して、竜之介は気を引き立てるように言ってみる。

「あれ、買おうよ。僕も、1個食べてみよっと。……他になにか、食べたいものない?」

「いいの?」

「うん。好きなだけ買ってよ、お礼だから。危ないところを助けてもらったし。……どれがいい?」

 カチャカチャとトングを鳴らして促すと、ぴりかちゃんはぐるっと店内を見回し、少し考えこむような様子を見せてから、カウンターの上の、ラスクの袋を取った。

 砂糖がいっぱいまぶされた、値段の割に量の多い、保存の利きそうなしろもの。

「二人仲良くおやつか、いいねえー。」

 と、パン屋のおばさんが、レジを打ちながらにんまりと、なにか凄まじい勘違い的発言をする。竜之介は咄嗟に、

「ちがいます。」

 と言ってしまったその後で、馬鹿だなあ、なにをわざわざこんなこと、言うほうがよっぽど意識してるみたいじゃないか、と思って、かあっと恥ずかしくなる。

 

 デニッシュを齧りながら、高等部の方へ戻ろうとすると、ぴりかちゃんが不思議そうな顔で立ち止まる。

「太賀くん、部活行かないの?」

「え? 行くけど。」

「そっち、すごい遠回りだよ。」

「でも、また林の中で迷ったりしたら……って、おーい。」

 聞いてない。ひとりでどんどん踏みこんで行ってしまう。仕方なく、あとを追う。

「……迷わないかなあ。」

 ごく小さな声で、独り言のように呟いただけだったのに、ぴりかちゃんは即座に、

「迷わないよ。」

 と断言する。

「桃園会館、こっちの方角。」

 びしっと前方を指差す。

「よほど、毎日歩き回ってるの? この林の中。」

「別に。」

「じゃあ、なんで道知ってるの?」

「知ってるわけじゃない。なんでか、行ったことのある場所は、どっちにあるのか、みんなわかっちゃうの。方角だけだけどね。」

「……どういうこと?」

 尋ねると、ぴりかちゃんは眉を顰めて、考えこむような顔つきになる。

「わかんない。っていうか、なんでみんなにはわかんないのかがわかんない。桃園会館のこと、頭に思い浮かべれば、こっちにあるって、すぐにわかりそうなものだと思うんだけど……」

「わかんないよ普通。……なんか、それって、伝書鳩みたいだね。」

 そう言うと、ちょっとの間、黙りこんで、それから小さな声でこう続ける。

「奏くんもそう言ってた。ハトって。多分、ぴりかのアタマの中には、古い古い、磁石みたいなものが入ってるんだろうなって。」

 ウソみたいな話だけれど、こんなことでぴりかちゃんが、竜之介を担がなきゃならないような理由も見当たらない。少なくとも、ぴりかちゃんの頭の中では、それが真実なのだろう。

「じゃあ、校舎はどっちだかかわかる?」

 試しに、ちょっと聞いてみると、即座に、

「あっちが玄関。」

 と言って指を差す。

「中等部は?」

「この方角に、軽音部の部室があるよ。」

「駅なんかは? 那賀駅、行ったことある?」

「あるよ。こっち。」

「北極は?」

「北極は行ったことないからわかんない。」

「へえ、単に方向感覚というわけじゃないのか……じゃ、東京都。」

「この方角が新宿駅。上野動物園しながわ水族館。羽田空港。成田空港。」

 軽く目を閉じて、ほんのちょっとずつ指差す角度を変えていく。検証する術もないが、こうして実際にぴりかちゃんの先導で歩いていると、本当なんだろうな、と思わざるを得ない。倒れた木を乗り越えたり、ちょっとした窪みにぶつかって回避したりしながら、それでも、迷いのない様子で進み続ける。

 やがて、からりと前方が開けて、桃園会館の裏手、中庭の畑の入り口に、直接ぽんと飛び出した。

「ね?」

 と言って、ぴりかちゃんがにこっと笑いかけてくる。

 その顔を見たら、自然と、口をついて出た。

「あの……-僕、誰にも言わない。」

「ん?」

 気まずいような沈黙が、何秒か流れた後で、わっと一気に喋る。

「あの場所。もう、二度と行かないし、探したりもしない。なんでそういうことしてるのかも、気にしないようにする。ぜったい、黙ってる。……ただ、そのう、風邪だけはひかないでね。夜、寒いだろうし……へんな人に、見つかったりしても危ないし……。」

「ありがとう。」

 ぴりかちゃんは、いつもとちょっと違う、澄んだきれいな声で、そう言った。

 なにか、初めて会う人と向かい合っているような心地がして、竜之介は、心臓がコトコトと、勝手に高鳴りはじめるのを感じる。

 

 

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