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よってたかって条件づけ
歴研の部室に入ると、副会長の沢渡美優先輩が、ひとりでなにか本を探していた。
「おはようございます。」
「あら、太賀くん。今日は遅かったのね。みんなもう、演劇部に行っちゃってるわよ。」
大正建築の桃園会館には、当然ながら、暖房設備、というものがない。3学期に入ると、みんなは演劇部の大道具置き場に、各部室の暖房器具を集結させて、人海戦術で寒さに対抗した。
歴史研究会・会長の三浦光輝先輩が言うには、それはどうもマイナークラブハウスの、何代も前からの習慣であるらしい。部活の時間帯に、いちばん日が当たるのも、いちばん隙間風が少ないのもあの部屋だったし、絨毯だのソファーだのがあって、雰囲気的にも暖かかいからだろう。
「あー、あったあった。これだわ。」
と言って、沢渡先輩が本棚の奥から、古い文庫本を取り出す。
「さ、行きましょ。」
「あの、沢渡先輩、つかぬことを伺うんですが。」
「なあに?」
「桃園会館って、夜、見回りとかあるんですかね?」
きょとんとした沢渡先輩の顔を見て、しまった、やっぱり唐突すぎたか、と思う。
「……確か、9時ぐらいに警備員の人が来て、鍵をかけるんだったと思うけど。よーこ先輩が、高文連の練習で遅くまで詰めてて、追い出されたーって怒ってたことあったわ。それで朝、何時か知らないけど、また開けに来るんでしょうね。」
そうか。それじゃあ部室で寝るというわけにもいかないんだ。
「それが、どうかした?」
「いえ、別に……。泥棒とか入ったりしないのかなーと、ふと思って……」
「えー? 盗っていって、儲けになるようなものなんか、なにもないわよー。」
ふふふと笑って、先に出ていく。竜之介も、今読みかけの分厚い本を取り出して、あとを追う。
大道具部屋に入ると、ぴりかちゃんは旧式の電気こたつに鼻先まで埋まって、早くもぐっすりと眠りこんでいた。
その隣では、サバトラ猫の『きゅうり』が長々と寝そべって、フガフガと、いっちょまえの鼾なんかかいている。あのキャットフードは、やっぱりこいつのなんだろうな。つまり、ぴりかちゃんは、完全にひとりぼっちで寝ているわけでもないわけだ。
「なあ、最近、ぴりかちゃん、元気ないと思わない?」
小さな電気ストーブで背中を炙りながら、竜之介と同じ歴史研究会の1年生、高杢海斗が、心配そうに、ぽつんと言ってよこす。
「寒さに弱いのかなあ? 今日なんか、来るなり爆陲だよ。冬休み明けぐらいから、ずーっと眠ってばっかりで、あんまり会話した記憶がないんだよね……」
言いながら、演劇部の福岡滝さんのほうに、問いかけるような視線を向ける。この3人は、クラスが同じなのだ。
「そうね……授業中も、うつらうつらしてるし。なんだか、まるで……」
言いかけて、福岡さんは口を噤む。まるで、なんだというのだろう。
「なんか、ビタミンとかが不足してるんじゃないか? 今、畑に生で食えるもんが、あんまりないとかさ。どうなの、天野?」
と三浦先輩が、ぴりかちゃんの反対側のこたつ席から言う。
「……それが生食を試みなかったのは、唐辛子だけです。」
大テーブルのいちばん端で本を読みながら、まるで目も上げないで、天野が淡々とこたえる。
「畑には現在も、葉ものや根菜の類が残っています。最近、被害はないようですが。」
「意地の悪い方法で撃退してるんじゃないだろうな?」
と、高杢が天野に、食ってかかるように言う。
「もしブービー・トラップなんか仕掛けてるんだとしたら、それは暴力と変らないぞ。」
「……そんなことはしていない。」
少し弱腰になって、天野がぼそりと否定する。
あの夏の日の『キュウリ事件』のラストを飾った、明らかに非常識な『体罰』を咎められて以来、天野はなぜか、高杢にだけは頭が上がらない様子。
「ホントかー? 前みたいに、取り頃の野菜にトウガラシの汁を塗ったりなんかしてないだろうな?」
「していない。」
「この前、牧草地のまわりに設置する、電気柵のパンフ取り寄せてなかった?」
「部費では買えない。」
「買えたら設置する気だったのか!?」
「したらどうか、と、少し考えただけで……」
「牛や羊じゃないんだぞ、ぴりかちゃんは! 人間の女の子なんだから!」
「だから困っている。いったい高杢君は、僕がこれをどう撃退すれば怒らないでくれるのだ?」
「撃退しちゃダメ。」
「……それはつまり、畑荒らしを黙認しろと言うことだろうか?」
少し、態度を強くして、天野が問う。
「そういう話なら……僕は了解しかねる。人の畑を荒らしても、道義的に黙認されて然るべき存在とは、つまり獣のことだ。僕はそれに、力で対抗する権利を有する。」
「そんなことは言ってないよ。黙認しろだなんて、僕はひとことも言ってない!」
呪縛が解け掛かっているのを察してか、高杢も、懸命に押さえこみにかかる。
「そもそも、ぴりかちゃんがこんなに意地になってドロボーするようになったのは、天野のせいなんんだぞ。」
「……なぜ僕の。」
「あんな酷いことをしたからさ。もともと、ぴりかちゃんには、ドロボーしてるなんて意識は、これっぽっちもなかったんだ。単に、そこにおいしそうな野菜が成っていたから食べただけで、畑のものは持ち主のもの、っていうルールを知らなかったに過ぎない。もしあの日、おまえがいきなりあんな酷いことをしないで、そこんとこを優しく説明しててやりさえすれば、始めっから、こんなことには……」
無念そうに顔を歪めて、『あんな』というところに力を入れて、ため息までついてみせる。
「そうねえ……確かにあれは、ちょっとカワイソウだったわねえ……」
突然、沢渡先輩が猫脚ソファーから身を乗りだし、寝ているぴりかちゃんを見下ろして、しみじみと呟いた。
「女の子が、人前であんな姿を晒されるって……ちょっと、屈辱だもんね。」
「屈辱……ですか?」
思わぬ方向から矢が飛んできて、天野が土台をぐらつかせる。
「うーん、まあ……。一昔前の乙女なら、あたしもうお嫁に行けない! なんて、悲観して身投げとかしちゃうレベルよねえ……」
聞いた天野の無表情な顔が、無表情のまま固くこわばる。
「あ、あの、美優先輩? それってぴりかには、あんまり当てはまらないような……」
福岡さんが、少し呆れたような声で割って入る。
「あは。ま、まあ、そうよね。あくまで、『一昔前の乙女なら』ってことで……」
「そうだよなあ。要するに、あれってスカートめくりだもんなあ。」
「小学生までっすよね、許されんの。」
「いやー? 今日日、幼稚園だって許されないと思うけどねえ。」
沢渡先輩が高杢側についたと見た途端、三浦先輩を先頭に、男子部員がわらわらと味方に加わる。なんと見事な弱いものイジメの展開図。
「だからね。おまえはそこんとこ、ちゃんと修復する義務があるわけ。」
ぽん、と天野の肩に手を乗せて、高杢が、とどめの封印石を置きにかかる。
「ドロボーはよくないよ。確かによくない。天野はぴりかちゃんに、それを教えてあげられるチャンスがあった。彼女を人間にしてやれるチャンスが。それを、おまえのその手で、台無しにしてしまったんだ。」
「僕が。」
「そうおまえが。だからどんなに難しくても、もう一度、それを諭してあげなきゃいけない。体罰なしで。」
「…………。」
天野、俯いて、深く深く考えこむ。
封印完了。
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