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粗大ゴミ
長島風花とは、大学生協の前で待ち合わせることにしている。
あいつのいない手芸部なんて、きっとお気楽なものなんだろうな、と史惟は思う。風花はいつも、きっかり5時半に活動を切り上げて、ここへ来る。判で押したように正確に。
だから史惟は、図書館で余計な時間をつぶさなければならなくなる。
自分の方が早く来て、女の子を待つような羽目に、二度と陥ってはならないから。
小雨降る中、風花は売店の屋根の下に立って、携帯をいじくっていた。顔を上げて、近づいてくる史惟の姿に気付くと、どこか緊張したような微笑みを浮かべて、ぶんぶんと手を振る。
「待った?」
と、史惟が尋ねると、
「ううん、たいしたことない。20分くらいかな?」
と答えて、その答えを褒めて欲しそうに、上目遣いで見上げてくる。
「もし待つのがいやだったら、明日から、先に帰ってもいいよ。」
と史惟は、少し表情を曇らせながら、優しい声で言う。
「……どうして?」
たちまち不安気な顔になって、風花が尋ね返してくる。
「いや。俺を待ってるのが、そんなに楽しくないんじゃないかと思って。」
「そんなことないよ! あたし、待ってるの楽しいもん。遠野くんが来てくれるまで、今日はどんな話してくれるのかなーとか、図書室で、どんな勉強したのかなーとか、いろいろ考えて……」
「携帯してたじゃん。」
ぽん、とそれだけ、まるで、決定的な証拠でも突き付けるみたいに言う。
「……それで、俺がこーんな近くに来るまで気がつかないし。携帯、持ったままで手振るしさ。そういうのって、なんか……」
そこで表情を改めて、さっぱりと、思い切ったような笑顔に切り替える。
「いや。しょうがないよな。悪いのは、毎日、決まった時間に切り上げられない俺の方だもんな。ごめんな。いつもいつも一緒に帰るのって、やっぱし無理が……」
「無理じゃないよ!」
ほとんど半泣きで、風花は叫ぶ。
「あたし、遠野くんと一緒に帰りたい。ごめんね、もう、明日からは携帯しない。遠野くんが来てくれるまで、ずーっと向う見て待ってるから。」
「そんなことしろなんて、俺、一言も言ってないよ。ただ単に、風花が……」
「ううん! そうしたいの! あたし、ホントに、明日から毎日、ずーっとそうしたい!」
必死になって訴える風花の顔を、史惟はしばし、黙って、じーっと見つめる。
それから、ふいににっこりと、優しい笑顔になる。目つきの中に、感激しているような熱っぽさを織り交ぜながら、囁き声で言う。
「いい子だね、風花は。」
それで風花は、体の芯からびりびり来ているみたいな、恍惚とした表情になる。
高等部の坂道より、もっと傾斜が緩く、もっとカーブの多い、大学の坂道。
この坂を下って、ほんの100メートルほどのところに、史惟の自宅、遠野医院が建っている。だが、風花にとっては遠回りだ。
学生用の駐車場を過ぎると、歩いている人は、ほとんどいなくなる。雑木林と竹林に挟まれた一車線だけの道路を、傘をさして、並んで歩く。
話は弾まない。風花がひとりで喋ってばかりだ。史惟はただ、聞かれたことに、短く答えるだけ。
「体の具合、どう?」
「ああ。」
「まだ、疲れやすいの?」
「少しね。」
「あ、そうそう、あたし、宮沢くんと同じクラスになったって、前、言ったでしょ? それで今日、修学旅行のグループ分けがあったんだけど、4限目に。あたしと宮沢くん、自由班、同じになったんだよー。それで『遠野は元気ー?』って聞かれて、あたしが『うん元気ー』って、それで宮沢くんが『遠野が休部だと、野球部ぜんぜん盛り上がんないよー』とか言って、それで、2日目の自由観光の時、遠野くんもいっしょに回れたらいいねー、とか、話してて……」
微笑みを浮かべて聞く。時々、ちゃんとタイミングを合わせて、小さく頷きもする。
でも、心は上の空だ。
「あれっ?」
ふいに風花が口をつぐみ、坂道から少し、竹林の中へ入り込んだところに設置されている、大学の粗大ゴミステーションを、じっと凝視する。
いつだって、風花は大げさだ。なんでもないことで「あれっ?」とか「きゃあ」とか、わざとらしい声を出して、史惟の気を惹こうとする。でも、今の声は、真剣に不審がっている様子だった。
それで史惟も、そっちの方に目を凝らす。
フェンスで囲まれた、屋根付きの粗大ゴミステーションは、大小様々のゴミで、ぎっちりいっぱいになっている。この4月、大学の構内に、新しい棟が建設されたから、その引っ越しに伴って、大量の廃棄物が出たのだろう。
そのゴミの真ん中に……高等部の制服を着た、小さな女の子がひとり、じっと立ち尽くしていた。
腕を組んで、難しい顔つきで、ゴミ山のてっぺんを、じーっと睨みつけていた。
史惟と風花は、なにか、見てはいけないものを見てしまった人のように黙り込んで、傘を深くさし直す。そして、そそくさと、そのゴミステーションの前を通過する。
「……あー、びっくりしたー。」
カーブを曲がって、粗大ゴミステーションが完全に見えなくなったところで、風花がほーっと安堵のため息をついて、それから一気に喋り出す。
「あの子って確か……今、滝ちゃんといつも一緒にいる子だよね? なんか、すごいヘンな喋り方する子。なにしてたんだろ、あんなとこで。」
「ああ……。」
聞きたくない名前を聞いてしまった、と思って、史惟は眉をしかめる。
だがその一方で、ようやく風花のお喋りが、耳から脳へと、確実に流れ込むようにもなる。単なる雑音ではなく、会話として認識されてくる。
「クミちゃんがね、あ、クミちゃんて手芸部の子ね、今年、8組になっちゃって。滝ちゃんいるから、もうどーしよーって思ったんだって、怖いし。でも、ずーっとあのヘンな子と喋ってばっかで、ぜーんぜんカンケーないって顔してるんだって。そういうのって、すごいあの人らしいとは思うけど……でも性格、ぜんぜん変わってないよねー。あんなにみんなからダメ出しされたら、フツー、もっとわきまえるっていうか、反省して、おとなしくなるよねえ? みんなの気持ちとか、いっぱい傷つけたんだし……」
風花が滝を罵るのを聞くと、史惟はいつも、蚊に刺されたところをやんわりと掻かれているような、微妙な快感に浸される。
もっと聞きたい、と思う。それで、ほんの少し、煽ってやる。
「風花ってホント、滝のこと嫌いだね。」
「別に嫌いってわけじゃないけど……。あの人、中1の時からずーっとあんなだったもん。先輩の話とか全然聞かないで、ひとりで勝手なことばっかやっちゃうでしょ。それであたしたちのこと、バカとか言うし。」
「本当に、面と向かって言うの? バカなんて。」
「て言うか……うん。『バカみたい』って言うのは、ホントに、言うの聞いたことある。すごい上から目線で。だから3年間一緒にいて、ホントはすごい疲れた。なんでこの人、こんな自分勝手なんだろうって。」
「ふーん。」
言わせるだけ言わせておいてから、史惟は、あっさりと切り捨てにかかる。
「でも、人の陰口は、良くないよ。」
途端に風花は、恐怖に顔を引きつらせる。
「あ……そ、そうだよね、ゴメンなさい……そうだよね……」
その恐怖が、史惟には、手に取るようによくわかる。
そして風花を、けなげでかわいい子だ、と思う。
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