3
籠の鳥
坂の下で、風花と別れる。
それから史惟は、その辺をぐるっと一回りして、今来た道を、急いで引き返しはじめる。
さっき、ゴミステーションの中を見た時、気がついたのだ。
あのゴミの山は、なだれをおこしていた。本当はもっと、キチンと積み上げてあったのに違いない。それを、あの女の子が、ひっくり返してしまったんじゃないだろうか。
強がって、暢気に考えでもしているみたいな、落ち着いた顔で突っ立っていたけれど、あれは……もしかすると、あれは……
「埋まってるんだ。」
せかせかと歩きながら、低い、小さな声で、史惟は呟く。
「多分、埋まってる……」
その声に、微かな笑いが混じる。
なぜだろう? 胸が、ワクワクする。喋ったこともない女の子。それがあんなところで、ゴミに埋もれて、身動きが取れなくなっていて。
そしてそれを知っているのが、自分ひとりだ、という、この状況に。
坂道を上る。思ったより、たくさん車が通る。授業を終えた大学生たちが帰っていく。
けれど、歩いている人は、ほとんどいない。辺りも薄暗くなってきている。絶対に、絶対に、俺の他には誰ひとり、あの子のことに気づいている者はない……!
最後の何十メートルかは、知らず知らずのうちに、駆け出してしまっていた。
道路から、竹林の方へ踏み入り、そこからゆっくり、ゆっくり、粗大ゴミステーションに近づいていく。足音を忍ばせて。
フェンスの中から、雨音にまぎれて、おかしな歌が聞こえてくる。
モスラーヤッ モスラー ドゥンガンカサークヤン インドウムー
ルストウイラードア ハンバーハンバームヤン
ランダバンウーンラダン トウンジュカンラー カサクヤーンム♪
そっと覗き込む。女の子はやはり、腿のあたりまで、ゴミに埋まっている。
そして上半身を、ちょうど背後にあるボロボロのソファーの上に、斜めにもたせかけている。
「はうー……。」
目を閉じる。ソファーの上で、上半身だけで寝返りを打つ。そのくつろいだ雰囲気に、おや、じゃあやっぱり、挟まっているわけじゃないのかなと、史惟ががっかりしかけた時、
「参ったにゃー……とほほ……」
と呟きながら、頭をがりがりと掻きむしった。
「ねえ。」
フェンス越しに呼びかけると、女の子はビッと電流が走ったように身を起こして、史惟の方に向き直る。
薄闇の中で、目が光る。追いつめられた、野生の獣みたいな目。
「はは……そんなにびっくりされたんじゃ、却ってこっちがびっくりするよ。」
にっこりと、愛想のいい笑いを浮かべて、史惟はフェンスに顔を寄せる。
「畠山、だよね? 2年の。もしかして、今……埋まってる?」
そう。史惟はちゃんと、この子の名前を知っていた。
滝に関連する新しい事柄なんか、記憶したくなかった。だから、うっかりなにかが耳に入るたびに、脳の中の『開けない引き出し』に仕舞い込んで、しらんぷりしていた。でも、こういう状況なら、話は別だ。
そう、よく知っている。この子の名前は、畠山ぴりか。去年同じクラスになって以来、滝の親友として、常に一緒に行動している。おそらくあいつは、手芸部をつまはじきになったことで、他のまともな女の子たちから、一切相手にされなくなってしまったのだろう。それで仕方なく、はぐれ者の帰国子女に目を付けて、ペットにしているのに違いない。
そのペットが、今、史惟の手中にある。
「違う? 抜け出せなくなってるってわけじゃないの?」
「うん……抜け出せなくなってる……。」
観念した顔で、畠山は言った。
「だったら……」
呆れたように、でも決してバカにしているわけじゃないよ、という優しさをこめて、史惟はからからと笑う。
「なんでさっき通りかかった時、すぐに呼ばないんだよー。助けてー、とかなんとか叫べばいいじゃんか。もし、俺が気づいて引き返して来なかったら、一体どうするつもりだったの?」
「こんなにガンコだと思わなかったんだもん。」
ぷうっと膨れっ面になって、再び後ろのソファーに、どさっと背中を持たせかけながら、畠山は言う。
「届くところから、順ぐりに掘り起こしてけば、なんとかなると思ったんだもん。」
「無理だよ。」
言いながら史惟は、正面の扉を開ける。キイッと、不吉な音。
「あのさ。あんたもしかして、携帯なんてもの、持ってない?」
と、畠山が尋ねてくる。ヘンに甲高い、わざわざ潰しているみたいな声。
「携帯? なんで?」
「友達に電話して、助けてーって言えるから。オイラ持ってないけど、番号は知ってるんだ。」
その友達というのは、もちろん、あいつのことだろう。
ほんの0コンマ何秒かの間に、史惟は、その方向をシミュレーションしてみる。ここへ滝がやってくる。史惟がいることなど、まるで知らずに。それまでに、史惟がこの子を、半分ばかりも掘り起こしておけば……あいつは、なんて言うだろうか。友達を助けてくれて、ありがとうと言ってくれるだろうか……。
「そうか。でも残念だけど、俺も携帯は持ってないんだ。」
ダメだ。あいつがひとりでやってくる保証はない。
本当は、カバンの底に、携帯は入っている。でも、この子と滝の周りには、部活でつながったらしい、ヘンなオタクっぽい連中が、やたら大勢いる。あんなのにぞろぞろと押し掛けられたら、たまったものじゃない。
「まあ、ちょっと見てみようか。自分で自分を掘り起こすのは無理でも、他にもう一人いれば、なんとかなるかもしれないよ。」
そう言いながら、史惟は粗大ゴミステーションの中に、足を踏み入れる。
開けっ放しを防止するために、初めから傾斜をつけて設置されている扉は、史惟が手を離すなり、重力の法則に従い、ガシャンと音を立てて閉じてしまった。
密室、だ。
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