10
早春
おれは猫だ。おれはおれの道を行く。
おれの生は、善でも悪でもない。
なんとなく、巣のまわりを、長く離れる気になれない。
林の外周で、小鼠をいっぴき捕まえる。それをくわえてきて、入り口の前でいたぶって遊んでいたら、後ろの薮ががさがさと揺れて、のっぽが飛びこんできた。
「きゅうり! あれはどこだ!?」
なんだ、突然? おまえ、この場所を知っていたのか?
「中にいるのか?」
いないよ。……おい、なにしてる。勝手に入るな。
言って聞くような奴じゃなし。のっぽは巣の中に、その長い体をつっこんで、もしゃもしゃの箱をひっぱりだす。
こらこら、これはだめだ。ここにはいろいろと、大事なものが……
「チーズに興味はない。頼むから邪魔をしないでくれ。」
蓋の上にでんと座りこんで、抗議の意を示したおれを、長い手で払いのけ、のっぽは箱を開ける。
チーズの丸い箱や、ビスケットや、チョコレートを脇へのけて、いちばん底の方から、クッキーの缶を取り出す。
ん? 残念ながら、それは食い物じゃないぞ。
なんだか知らんが、時々もしゃもしゃが取り出して、なにかぼんやり考えこみながら、眺めたり舐めたり、匂いを嗅いだり……
「あった。」
缶を開けたのっぽは、はーっ、と大量の息を吐いて、ぺったりと座りこんだ。
「まだ、食べてはいない……。」
なんなんだよ、いったい……。
缶の中身は、つまらない、ただのでっかいきのこぼっこの、カラカラに干涸びたやつじゃないか。
おまえにスープを捨てられた後で、あいつが雑木林のあちこちから、なにやら本と見比べながら、丹念に探し集めていたものだ。
どうしてこんなものが、そんなに気にかかるんだ?
「ぴりかー! こらー、返事しなさーい!」
あの建物の方角から、もしゃもしゃの仲良しの娘の声が、りんりんと響いてきた。
「おおーい、ぴりかちゃーん!」
反対の方角からも、野郎の声がする。
探しているのか? もしゃもしゃの奴、大きい建物から、いなくなったのか?
「……やはり、これはもう、捨てておく。」
忌々し気な声で言いながら、のっぽはきのこぼっこを全部取り出して、ポケットに詰めこむ。
それから、缶の蓋を閉め、箱をきちんと、元に戻す。
「たくさんだ、こんなことで気を揉むのは……」
そうして、また頭のてっぺんから、濃厚な気配を噴出させながら、立ち去ろうとする。
その気配の色を見て、おれは、おや? と、首を傾げる。
気のせいか? それとも、林の気配の色が、混じりこんだだけなのか……?
ぴょん、とひと跳ねして、のっぽの前に飛び出す。しっぽを立てて、振り返る。
のっぽ、おまえもしかして……もしゃもしゃを、自分の娘にしたいのか?
「にゃーうー……」
「くだらん。」
冷やかそうとして目を細め、高い声で鳴いたおれを、長い足で蹴立てるようにして、のっぽは足早に去っていく。
若造のニンゲンめ。どうも自分で、自分の道が見えていないらしいな。
そんなことで、あの娘が仕込めるとでも思うのか。
林の中に、春の気配が満ちている。ゆうべ、もしゃもしゃが呼びこんだ力が、どこかで渦を巻いている。カササギのバカ夫婦が、高い木の上に、新しい巣を作り始める。
おれは猫だ。おれはおれの道を知っている。
おれの生は、善でも悪でもない。おまえたちだって、それでいいはずだ。
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