minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

3

  機械の機械

 

 

 記憶の整理。

 補正。修正。編集。ともかく、なんでもいいからトラウマにならないような解釈をこじつけて、できるだけ、意識の深層へ深層へ押し込む。できれば、忘却の彼方へ。

 そんな作業で大忙しの脳みそが、ふと、宿題のことを思い出したのは、朝礼5分前の予鈴が鳴った、その直後である。

「……あ!」

 首を絞められたような悲鳴を上げて、思わず、ぴょこんと立ち上がる。すると椅子が、後ろの机に、ガチーンと激しい音を立ててぶつかった。

「あ、わ、悪い……」

 振り向いて謝る。だが、その座席の主は、ほんの少し驚いた顔で目を上げただけで、あとは何事もなかったように、また読みかけの本に戻っていった。

 どうしたの? とか、なにかあったの? とか、もしかして宿題のこと? とか、

 なんもなしかい!!

 と、竜之介は八つ当たり気味に思う。後ろの座席の主……園芸部長・天野晴一郎がそういう人間だということは、1年近く観察してきて、よくよくわかっている。わかっているがしかし、こういう時くらい、なんらかのリアクションをしてくれたっていいじゃないか、困ったことでもあるのかと、気を回してくれたっていいじゃないか、などと、つじつまの合わないことを思う。それくらい、追いつめられている。

「あ、あのさー、天野……」

 話しかけると、不思議そうな顔で見返してきた。不思議そうにするな、不思議そうに! クラスメイトが話しかけるくらい、不思議でもなんでもないだろうが! と言いたいところだが、それどころではない。

「宿題……やってきた? 数学の……」

「これのことだろうか?」

 肘の下にあった2枚のプリントを、少し押し出してくる。めんどうな計算式が、まるで活字のように、几帳面な文字で書き出されている。

「僕……そのう、歴研の机の上に置いてきちゃったんだ。どうしよう……」

 もう破れかぶれになって、竜之介はぼそりと呟く。

「出さないと、みんなに迷惑かけちゃう……今から取りに行って、間に合うと思う?」

 聞くなり、天野は即座に、自分の腕時計を見る。そして尋ねる。

「太賀君、50メートル走のタイムは何秒だろうか?」

「へ? ……あ、僕、足遅い。8秒3とか、そんな……」

「では無理だ。僕なら間に合う。」

 次の瞬間には、天野はもう、後ろの出入り口から飛び出していた。

「……なに? 今の。」

 教室のあちこちから、女子たちの呆然とした声があがる。

 竜之介も、呆然とするより他なかった。なんだ? あいつ。なんで僕のために、急にそんなことまでしてくれる気になったんだ?

 他人となんか、会話するのもめんどう……なんじゃないのかよ?

 自分の時計とにらめっこで、そわそわと待つうちに、朝礼のチャイムが鳴る。

 教室の前の出入り口から、担任の先生が入ってくる、そのほんのちょっと前に、後ろの出入り口から、天野が滑りこんできた。

「太賀君、これ、まだ、書いていないようだが……」

 はあはあと、息だけは激しく吐きながら、それでもいつもと同じのっぺりした表情、淡々とした口調で、天野が言う。

「写させて! タノム!」

 もう完全にプライドを投げ捨てて、拝む手つきをする。天野はすぐに、自分のプリントを1枚手渡してくれた。竜之介はそれを見ながら、大急ぎで自分のプリントを埋めにかかる。

 ついっ、と後ろから、天野の長い手が、竜之介の机の上に伸びてきた。

 そして、もう1枚のプリントをさらっていった。

 びっくりして振り向くと、天野は首を伸ばして、竜之介が今書いているプリントを、じっと凝視している。それから、自分が取ったプリントに、竜之介の名前を書き入れ、猛烈な勢いで計算式を記入しはじめる。

 その筆跡が……竜之介のものと、寸分違わなかった。

 なんじゃあ、こいつ……まさか、コピー機?

 皮膚の下、ロボットなんじゃねーだろーな!?

 ぐるぐる回る頭の中。まわるまわる。なんで僕はこんなに寝不足なんだろう。どうして後ろに装置が働いて、同じ計算をこなしているんだろう。どうしてプリントの上に、見たことなんかないはずの、ぴりかちゃんの白い背中がちらつくんだろう。

 いつもなら、退屈な1日が、これからようやく始まるーくらいなこんな時間に、もう頭がいっぱいいっぱいで。

 朝礼が終わって、数学教師がやってくる直前に、なんとか2枚のプリントは仕上げることができた。が……竜之介の精神はもう、発火寸前だ。

 

 

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