第四話 八雲業平、岐路にて痛みを知る縁 1
Kick it!
「クソですよ。」
と言うと、部室の中は不気味なくらいにしーんと静まり返った。
桃李学園高等部、軽音楽部の部室。
中等部のそれよりも、一段と広く、最新の機材がずらりと並んだ、完全防音の教室。
「……なんつったんだよ、今。」
と、ドラムの後ろから、3年生の部長が、できるだけ凄みを利かせてるつもりの声で言う。
こいつの名前、なんつったっけなー、と、八雲業平は、頭の片隅でぼんやりと考える。
どうも、人の名前を覚えるのが苦手だ。特に、こいつはチョロイな、と、しょっぱなに感じてしまった人間の名前は、脳みそのどこにも入る部屋を見つけられずに、入った方とは反対側の耳から、どんどんこぼれていく。
このバンドもまた、メンバーの名前すら覚えないうちに、解散になるんだな。そう思うと、それもまた善し、と、もういっそ笑いだしたいような清々しい気分で、トドメの爆弾を投下する。
「てめーらのやってることは、クソだ。」
横では、相棒の成田光明が、いつでも加勢するよん、というニコニコ顔で、もうギターをスタンドに戻して、指をぽきぽき鳴らしている。
「イキがんなよ、中坊。」
と、ろくに弾けもしないギブソンをぶら下げたまま、ボーカルの2年生が言う。
「八雲……お前、ここで俺らにそこまで言っといて、来年、無事にこの部に入って来れるとでも思ってんのかよ?」
「入るか入んねーかは俺が決めんだよ。ちっこい権力振り回すな。アホ。」
「……てめー、ガキのくせに」
「ま、まーまー、止せよ。止せよ。止めようぜ。」
キレそうなボーカルを宥めながら、ドラムが立ち上がって、真ん中へ出てくる。
「そこまで言うんだったら、このバンドはもう、やめよう。お前らもう、来なくていいよ。だけどな、八雲、お前、先輩にその口の利き方はやめた方がいいぞ。中等部の部長だったら、それくらいのことはわかるだろ?」
どのくらいのことですかね? という顔で、業平はしれっと、3年生を見返してみる。
「礼儀は大切だぞ。」
「ぶわはははははは」
後ろでミツアキが大爆笑すると、3年生はその軟弱そうなマユゲをぴくぴくっと引きつらせ、今にもヒスを起こしそうな表情で体をこわばらせる。
「そっスね、先輩! やっぱ、ロックは礼儀、基本っスね! 失礼しましたっス!」
まだまだ続くミツアキの爆笑攻撃をバックに、業平は旧日本軍的キヲツケ姿勢と応援団的発声で反撃する。
「いやー、自分、やっぱ甘かったっすよ。さっすがカンニング・ゴースツを輩出した高等の軽音部。明日のJ-POP背負って立つ人たちは、言う事がちげーわ! 八雲感服致しました、っと。」
言いながら、テキパキと自分たちの楽器を片付ける。ギターをソフトケースに突っ込みながら、ミツアキはまだまだ笑い続けている。
「ではっ。」
ドアを開け、もう一回キヲツケをして、最後の挨拶。
「我々はこれにて。次は地獄でお会いしませうっ。」
その後を、ミツアキがつなげる。
「No future for you!!」
ぱたん、と閉めたドアに、二人同時に、思いっきりケリを入れる。
校舎を出ると、9月上旬の残暑が、わっと襲いかかってきた。
これでもう夏休みが終わっているだなんて、許せん! というくらいの暑さだ。
「あーあ、クーラーの効いたタダの練習場所を失うのだけはつれーよなー。」
と、吹き出してきた汗を、タンクトップの裾で拭いながら、ミツアキが言う。
「しっかしお前らの学校、どういうの、コレ。こんなでけー校舎、部活の時間帯まで、全館きっちり冷房入ってるってゆーのは……」
「金があまってんだよ。」
「しっかもあの機材。」
ハーっ、とため息をつく。
「かわいそうだよう。俺が使ってやりてえよう。夜中、さらいに来てやりてえよう。」
「バカ。セキュリティー万全に決まってんだろ。侵入5分でポリ来るぞ。」
「5分、か……あすこは4階だから……」
「真剣に考えんな! 防犯カメラも防犯シャッターもあるっつの。」
「うーむ……」
校舎の日陰になったところを出て、直射日光の下に出ると、足元の敷石から、メダマヤキができそうな熱気がむわっ、と立ち上ってくる。
「ダメだこりゃ。」
と業平は、ジェルで固めた髪が、くにゃくにゃと折れ曲がってくるのを見て言う。
「中等部行こう、ミツアキ。夕方、陽が落ちるまで、俺らの部室で休んでよう。」
「クーラー効いてる?」
「効きすぎるくらいにな。」
「練習できんの?」
「少しくらい弾かしてやるよ。今日は別の文化祭バンドが使ってっけど、みんなにお前の演奏見してやりてーし、どかしてやる。」
「部長だもんな、ゴーヘー。」
「礼儀わきまえてもらわなきゃあよ。」
「けけけっ」
来た道を少し、引き返す。そこから中等部までは、距離的にはたいしたことはなかったが、日差しを遮る物がなにひとつない、ちょうど太陽の方角を向いた一本道が続いていて、照り返しを見ただけで気力が萎えた。
「こっからは行けねーのか?」
とミツアキが、左側の、林の方を指差して言う。
名前のわからない、まるっこい葉っぱのいっぱいついた、垂れ下がり気味の枝が、まるで誘いこむように、微風に揺れている。
「中、涼しそーじゃん。なんか、踏み分け道みたいのもついてるし。」
「行けるかもな……確か、体育館の裏にある林も、こういうトゲの木だ。方角的にもだいたい合ってるし、つながってんかもしんない。」
「行こう。」
日差しに追い立てられるように、二人は、林の中へと踏み込んでいった。
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