minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

7

  解放の代償

 

 

 途中、ざっと見渡した学園の来客用駐車場に、赤い車は一台もなかった。

 もしかしたら、見間違いだったのかもしれない。そうでありますように、と祈りながら、長い坂道を上る。そして坂の頂上、可動式の車止めが置かれたギリギリ手前、駐車禁止の舗装道路の片側に、堂々と停められたそれを見つけて、気が遠くなる。

「んー、いけないにゃー、こんなところに停めちゃー。」

 言いながらぴりか先輩が、車の周りをぐるぐるまわって、窓から中を覗きこむ。

 運転席のノブに、手をかけて引っ張ると、ドアがぱかっ、と開いた。

「はに? ロックし忘れてらー。」

 そう言って、紗鳥の顔を見上げながら、にたーーーっと笑う。

「どーしるぅー?」

「……どうするって。」

「なにイタズラしるーぅ?」

「しないですよ……そんなことして、どう……」

「うんこくっつけちゃおーぜ。」

「聞いてないし! やらないって言ってるじゃないですか!」

 あたし、こんなバカなことやってる場合じゃないんです! と怒鳴りたかったが、じゃあどういうことをしている場合なのか? と問われたら、もうなにもわからない。

 ぴりか先輩がボケるのをやめて黙ってしまうと、紗鳥も黙って立ち尽くすより他なくなってしまう。自分には、この人につっこむ以外のことをする行動力がないのか? そう思うと、ますます情けない気分に拍車がかかる。

「あっ、いたいた。ええと、君。内田紗鳥ちゃーん。」

 呼ばれて振り向くと、ニセアカシアの林の、桃園会館へ通じる細い踏み分け道の入り口で、小柄な男の人が、ぶんぶんと手を振っていた。

 退部の相談の時に一度、柳場先生と一緒に会った、スクールカウンセラーの先生だ。背が低くて細くて頭でっかちで、ふっくらどっしりした柳場先生の傍らに立っていると、まるで切り株の脇にキノコが生えてるみたいで、ちょっと可笑しかったっけ。

「今、部室まで探しに行ったところだったんだよ。」

 愛想良く笑いながら、紗鳥の側までやってくる。その目元に、微かな、憐れみのようなものが浮かんでいるのを見て、紗鳥はなぜか、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「ご家族、総出でいらっしゃってるねー。」

「……見ました。」

 声が、ぶるぶる震える。それを自分で耳にした途端、張りつめていた気力の糸が、ぷつんと切れる。

「すみません。ごめんなさい、ごめんなさい……」

「謝ってはだめだ。それは君の問題じゃない。」

 急に厳しい口調になって、カウンセラーの先生はぴしりと遮る。

「今までに、お父さんのしたことで、お母さんが誰かに平謝りに謝る、なんて構図を、いやってほど見てこなかったかい?」

「…………。」

「そして、一見犠牲者のように見えるお母さんが、実はそうやって己を保っているのだと、薄々感じたことは?」

「……はい。」

「同じことをしてはいけない。君は君だ。」

「…………。」

 紗鳥の心の中で、二つの気持ちが、激しくぶつかり合う。

 ひとつは、小さいけれど、すばらしくキラキラした、喜ばしい気持ち。そうか。あたしは謝らなくていいんだ。あたしの人生は、あの人たちとは関係ない。あたしはひとりで、自分の道を歩いていっていいのだ……。そういう、自由の感覚。

 そしてもうひとつは、それを怖れ、否定する気持ち。

 そんなことはできない。人は、ひとりきりで生きてるわけじゃないんだもの。家族が支え合ってなにが悪いの。あたしに……あたしに家族を捨てて、ひとりぼっちのみなしごになれとでも?

「……そこのクマちゃんは、今日はチェシャ猫かい?」

 ふいにカウンセラーの先生が、謎のような言葉を発する。

 顔を上げると、ぴりか先輩が車の屋根に登って腹這いになり、頬杖をついて、ニタリニタリと笑っている。

「どうだい? 最近、君のお母さんのほうは。」

 みゃおう、という顔つきで、猫が顔を洗う仕草をしながら、ぴりか先輩は応える。

「イカレポンチさ。」

「おー、村山さんの訳で来たかー。」

 そう言って、カウンセラーの先生は愉快そうに笑う。そして、紗鳥の肩をぽんと叩いて、校舎のほうへ歩き出す。

「さ、じゃあちょっと、対決してこようか。」

「あ……」

 まだ、心の準備が整い切っていなかったので、紗鳥の足は、一瞬もつれる。

 けれど、先生が「行こう」と言うのに逆らって逃げたり、立ち止まったりする発想はない。そういう機能は、紗鳥の中には備わっていない。

 せいぜい、車の上のぴりか先輩を、振り返って見るくらい……別に、名残惜しいわけではない。これからやってくるものから、意識をそらしておきたいだけ。

 

 木漏れ日を浴びながら、ぴりか先輩はほんとうの猫みたいに、赤い車の屋根の上で香箱を組んで、目を細めて寝そべっている。

 

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