minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

8

  最も大きな望みが、鼻先にぶら下げられる。

 

 

 おばあちゃんが泣いていたのには、ビックリ仰天だった。

 なんて言うか……そう来ましたか! って感じだった。いつもより濃いめのお化粧をして、いい靴を履いて、ハンドバッグを抱えて。なんだか、お葬式に来た人みたいだ。

「……それでねえ、せんせ、あの子言ったんですよ、おばあちゃん、そのうちあたしが大きくなったら、温泉旅行連れてってあげるからねって、もうほんと、親思い、家族思いのいい子でねえ、こんないい子がなんでって、いい子だから目つけられるのかねえって、最近の子は、なんかすぐキレるとかゲーム脳とか、テレビでよく言ってますけどね、こんな桃李学園みたいな、いい家の子供さんばっかりの学校で、うちの紗鳥みたいな気の優しい子が、あんなに一生懸命やってた部活を、諦めなきゃいけないようなところまで追いつめられるなんて、もうかわいそうでかわいそうで……」

 うわー、と紗鳥は、心の中で呻く。

 おばあちゃんを真ん中に、内田一家が並んで座った長椅子の向かいには、柳場先生と、紗鳥の担任の先生、バレーボール部の新しい監督、それに、高等部の校長先生までが顔を揃えている。

 みんなおばあちゃんの話に、熱心に耳を傾けている様子を見せてはいるが、眉根に寄ったシワだとか、口元の歪みだとかに、うんざりした気持ちが隠し切れないでいる。いったい、おばあちゃん、いつからこの調子で喋ってるんだろう。

 入室してきた紗鳥を見て、お母さんが、

「さっちゃん……」

 と小さな声で呼ぶ。それを聞きつけたおばあちゃんが、即座に、

「あーっ、さっちゃん。さっちゃあーん!」

 と叫んで、紗鳥に飛びついてきた。

「さっちゃん……おばあちゃんもう、心配で、心配で……来ちゃったよ、先生様方にお願いしに……かわいそうに、あんた、かわいそうにねえ……」

 そして、涙に濡れた小さな目をしょぼしょぼさせて、紗鳥の顔をまっすぐに見上げた。

 その目を見た瞬間……紗鳥の中で、全くわけのわからないことが起こった。

 泣けたのだ。

 紗鳥の目からも涙が、どっと噴き出してきた。思考回路は『あたしの家族はこんなにも、あたしのことを大事に思って、心配してくれていたのだ』という激しい感動に、ほとんど完全に圧倒されてしまった。

「お、お、お・ばあ・ちゃん……」

 途切れ途切れにそう呼びかけて、紗鳥はおばあちゃんの肩に、そっと手を置く。

「さっちゃん……あんた、つらかったねえ。あんなにがんばってたのに、こんな、こんな情けないことで辞めさせられてねえ、どれだけせつなかったろうねえ。」

 そう言って、ひとしきり紗鳥にしがみついて泣いてから、おばあちゃんはくるりと先生たちの方を振り返り……ぱっと、土下座をした。

「先生、この子ほんとにバレーボールが好きで、小学校の文集にも、絶対日本代表に選ばれるんだって書いて、前の監督さんがスカウトにいらした時、アタシらはほんとに喜んだんですよ、これで、紗鳥の夢に一歩近づいたねって、それなのに、イジメなんかで辞めさせられて、こんな悔しいことが、家族として……」

「あー、どうかお祖母様、それは……」

 校長先生が、慌てて椅子から腰を上げて、おばあちゃんを立たせようとする。だがおばあちゃんは、もう床から剥がれようとしない

 長椅子の上で、お父さんが「くっ」と泣き声を上げて、顔を歪める。お母さんも、いつもの困ったような顔に、ハンカチを押し当てている。

 あったかい家族。

 あたしの、あったかい家族……。

「あの、お祖母様。一点だけよろしいでしょうか?」

 冷静な声が、おばあちゃんのお喋りを遮る。柳場先生が、静かな微笑みを浮かべて話し始める。

「学園側にはもちろん、今、お祖母様が仰った通りのことをする準備がございます。監督にイジメを警戒していただき、場合によっては、加害生徒の停学処分なども、視野に入れていいかと思います。」

 校長先生と監督の顔に、おいおい! という、焦った表情が浮かぶ。

「ただ、それはあくまで、紗鳥さんご自身が、バレーボールを続けたいという意志を持っていらっしゃる場合に限ります。私の聞いた限りでは、紗鳥さんは……」

「続けたいに決まってます! あんなに一生懸命やってたことを、なんで今更諦めなきゃいけないんですか、ねえ、さっちゃん!」

 ぱっとおばあちゃんが、紗鳥を振り返る。

 涙に濡れた目。またしても感激が、津波のように襲って来る。紗鳥の中で、ずっと曖昧だったここ数日間の出来事の意味が、急速に、整合性を持ったストーリーとして再構成され始める。

 あたしは……不器用だけど、根はあったかい家庭の、大事なひとり娘で。バレーボールが大好きで。でもイジメられて、辞めざるを得なくて、それであんなヘンテコな場所に、一時期迷いこんだりもして。

 それを今、おばあちゃんが、家族が、一丸となって回復させてくれようとしている。後はあたしが、うんと言えばそれでいい、それでなにもかも、慣れ親しんだ、元通りの生活に……あったかい、平凡な暮らしに……

 ぶんちゃっ、ぶんちゃっ、ぶんちゃっ、という軽快な音楽が、意識の端っこに引っかかる。ごく小さな音量。

 耳を澄ますうち、次第に高まっていく。ぶんちゃっ、ぶんちゃっ、ぶんちゃっ、ぶんちゃっ。次第次第に、面談室いっぱいに朗らかに鳴り響いていく。ぶんちゃっ、ぶんちゃっ、ぶんちゃっ、ぶんちゃっ、ちゃっちゃっちゃっ、ぶんぶんぶん、ちゃらっちゃちゃちゃんちゃん!

   たーだーいーまーかんがえちゅう たーだーいーまーかんがえちゅう

   たーだーいーまーかんがえちゅう たーだーいーまーかんがえちゅう♪

「あっ……すっ、すみません! 失礼しました! すみません!」

 スクールカウンセラーの先生が、大慌てでポケットをかき回し、携帯電話を取り出す。

「い、今すぐ消しますので……ええと……あれ? うわあー。」

 大慌てでキーを操作する度に、音がどんどん大きくなる。

   こたえはなかなかみつからなーい

   あっちかなこっちかなやっぱりそっちかどっちかなー♪

「湯浅先生、校内で携帯は……」

 と、校長先生が渋い顔で言いかける。

「いやっ、知ってます! あのこれ、かかってきたんじゃなくて、アラームなんです。この後、5時から面談の予約があったので、遅れないようにと……」

「ああ。ならともかく、早く消して下さい。ご父兄に失礼ですよ。」

「は、はいっ。」

   たーだーいーまーかんがえちゅう はーやくしてちょーだい

   たーだーいーまーかんがえちゅう はーやくしてちょーだい

   たーだーいーまーたーだーいーまーたーだーいーまーかんがえちゅう~♪

 ぷつっ。

 唐突に、歌が途切れた。

 同時に、紗鳥の脳みその中に、ぽかっ、とした空洞ができた。あれ? あたし、今、なに考えてたんだっけ……

「し……失礼しました。では僕はこれで……」

 照れ笑いを浮かべて、ヘコヘコとお辞儀をしながら、カウンセラーの先生が、ドアを開けて出て行こうとする。

「紗鳥ちゃん。」

 敷居のところで振り返って、ひらひらと手を振る。

「……奥のほうの自分と、よく相談するんだよ。」

 そして、ぱたんとドアが閉じられる。

「……えー……」

 おほん、と咳払いをして、校長先生が話しだす。

「えー、つまり、一番大事なのは、内田君本人の意志、ということになりますか……」

 それを合図に、部屋の中にいる大人たち全員の目が、一斉に紗鳥に向けられる。

「あ……」

 ぱくぱくと、口だけ動かす。ついさっきまで、なにか決意しかけていた気がするのに……うまく思い出せない。

「あの、あたし……」

 ギッ、とおばあちゃんの目が吊り上がったような気がした、その瞬間、ノックが聞こえて、ドアが再び開いた。遠慮がちに中を覗きこむ、楚々として、いかにも育ちの良さそうな女子生徒。

「失礼します。あのぅ先生、坂道に停まっていた赤いBMW……こちらのご父兄の方のものなんでしょうか? ちょっと今、タイヘンなんですけど……。」

(み……)

 美優先輩!? と、声に出さずに済んだのは、別に紗鳥が、この後の展開を考えて、賢く立ち回ったからというわけではない。

 聞くなり、お父さんが長椅子から飛び上がって、

「なにぃーっ!?」

 

 という、天地がひっくり返ったような叫び声を上げたから、である。

 

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