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暖かい秋のまんなか
おれは猫だ。おれはおれの道をゆく。
前頭葉は、あまりない。おれの思考は、エピソードの形を取ることはない。
もしゃもしゃはいつも喋っている。
「きゅうりさん。きゅうりさん。今日もごきげんですね。どうしてきみは、そんなにぴかぴかしているの~。」
きゅうりという音声→駆けつける→食べ物がでてくる
ということもあるが、時々はハズレる。
庭のあの植物も、なぜか同じ音声で呼ばれている。不思議な話だ。あれと、おれに、なんの共通点があるのか。
駆けつける。もしゃもしゃが庭の植物に話しかけている。
なんにでも話しかけるやつだ。「→食べ物」パターンではなかったので拍子抜けしたが、
待っていれば、なにか出て来るやもしれん……
と、こういうことに限っては、かなり筋道立てて推理する力をもつ、おれの脳みそが判断したから、しばし、そこに留まる。
座りこんで、背中の毛を舐める。
日が温かい。まだ、しばらくは、天道の熱が期待できる。
この、次の、次の雨が降ったら、季節は次第に、シとネムリの方角へ向かうだろう。
「は~……緑色……きれい……ぽちぽちのぐあいも……ステキ……」
眠りこみそうな声で、もしゃもしゃが言う。
「アリガトウ、ピリカ。ボク、ソンナニホメテモラッテ、ウレシイナア……」
これも、もしゃもしゃの声だ。もしゃもしゃは時々、ひとりで違う声を、互い違いに出しながら、長いこと喋る。
「もうすぐ、おわかれだねえ。」
「ウン。フユガクルカラネ。」
「きみのきょうだいたちは、みんなみんな、すばらしいきゅうりだったよ。」
「ホントウ?」
「ほんとうさ。ぴりかは生まれてから今まで、きみたちほどすばらしいきゅうりに、出会ったことはないよ。」
「キョウダイタチ、ピリカノナカデ、イマモイキテル?」
「うん、生きているよ。ぴりかも、きみたちの中で生きている。」
「ボクモ……ピリカニナリタイナ……」
「来るかい?」
「ウン、イク。」
「怖くない?」
「コワクナイヨ、ピリカニナルンダモノ。」
「うん……生きていこうね。」
そう言うと、もしゃもしゃは背中を屈め、緑色の植物に向かって、そっと口を近づける。
「一緒に、この冬を越えていこう……」
「なにをしている。」
突然、背後から声がして、おれはすっとびあがった。びりっと背中の毛を逆立てて、振り返る。
のっぽがいた。
この、のっぽときたら、猫のおれにも気づかせないほど、気配を消すのがうまい。
というか、はじめからあまり、ニンゲン的気配が濃厚ではない。ニオイも薄いし、足音もしないし、波動も弱い。
そのくせこんな風に、突然現れたりするから、あまり好きではない。びっくりさせられるのは、どんな猫だってニガテだ。
「こんなところでなにをしている。」
と、のっぽがもういちど、同じことを喋る。
「……ぶぇつにぃ。」
と、もしゃもしゃが、警戒的な響きを立てる。もしゃもしゃも、のっぽがニガテらしい。いつも、できるだけ近づかないようにしている。
背中を伸ばし、唇からぴーぴーと風の音を立てながら、のっぽの反対側へ、ゆっくりと逃げていく。
「待て。」
言いながらのっぽは、さっきもしゃもしゃが口をつけようとしていた植物のあるところまで、ずかずかと歩いてきた。
足元なんか見てやしない。おれは慌てて、茂みをくぐって、植物の裏側へ逃げる。
ぱちん、と音がした。
のっぽが、いつも持ち歩いている道具で、植物を切り落とした音だ。
もしゃもしゃに近づいて、喋る。
「食べろ。」
「…………。」
ぴりぴりと、もしゃもしゃの毛が逆立っていくのを感じる。あいつ、毛皮は着てないが、なんとなく、着てたらそうなってるだろうなという波動が来るのだ。
「いつも言っている。食べたければ食べていい。これは、僕が与える。」
「…………。」
「盗まなければ、食べてもいいのだ。……ほら。」
「…………。」
「どうした? 取れ。今を逃すと、来年の初夏まで味わえない。もう、この畝は掘り返すのだから。」
「…………。」
「さあ。」
と言って、のっぽがもう一歩、踏み出した途端、もしゃもしゃは、
「いらない。」
と、怯えたような、怒ったような声で言って、二本足で走っていった。
残ったのっぽの頭のてっぺんから、たちまち、濃厚な気配が立ち上る。
いろいろと混ざってはいるが、基調は黒々とした怒りだ。始めっからこれくらい発していてくれたら、林のはしっこからだって、こいつのいることがわかるのに。
「……獣め。」
ヒゲにビリッと来るような、低い音でそう言って、それから、ぶるんと頭を振って、息をし始める。
すー、はー……すー、はー……
ニンゲンというのは、おかしなものだ。息を吸ったり吐いたりする動きを、調節できるらしい。まるで自分の手足やしっぽを動かすくらい、自在に。
しばらくそうやっているうちに、黒い気配はするすると沈んでいった。
そして、いつもと同じ、薄ーい気配のニンゲンに戻ったのっぽは、緑色の植物をポケットにしまって、その元であった草薮を、取り払い始めた。
秋の終わりのはじまり。天道の下り坂。おれは猫だ。おれの思い出は断片でしかない。
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