minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

2

  星の夜

 

 

 おれは猫だ。おれはおれの道を行く。

 夜、もしゃもしゃと一緒に、林を歩く。

「はー。さみーくなってきたね、きゅうり……」

 夜露を踏んで歩く。もしゃもしゃを追跡するのは、なかなかおもしろい遊びだ。

「ハラへったな……。コンビニ行って、なんか買ってこようかな。でも、もうあんまりお金、残ってないしなあ……」

 喋り続けながら、林の中をぐるぐると、あてどもなく歩く。ニンゲンにしては、なかなか夜目が利く。

 時々、歌をうたう。小さな声。梢の上で、鳥どもが目を覚まし、耳を澄ませるのを感じる。おれたちが通り過ぎると、また眠る。

 昼の間、ここら一帯の建物には、他のニンゲンがわんさかいる。夜は少なくなるが、白い灯りをつけて、なにかを探すように歩き回る男たちが、少なからず残っている。

 もしゃもしゃはどうやら、そいつらに見つかりたくないようだ。

「きゅうりはいつも、どこで寝るの?」

 あちらこちらさ。その日の風向きや、湿り気の具合なんかによって。

「いいなー、野良は。オイラ、うち帰りたくないな……。最近、また、様子がヘンなんだもん。放っとくなら、一貫して、ずうーっと放っといてくれればいいのに。たまーに思い出したように、むかしむかしみたいな猫なで声出すから、気持ち悪いや……。」

 ほうっと手に息を吹きかける。毛皮がないと、たいへんそうだな。

「たいてい、こういうのは、オイラがおとなしくしてないと都合の悪いイベントが、近づいてる時さ。昨日、制服しまおうとしたら、クロゼットの中に、なんか見かけない、ヘンな黒い服ぶら下げてあったし……。2、3日前から、一緒に美容院に行こう、なんて言ってたから、まず間違いないね。結婚式か、法事か……。オイラ、美容院なんか大嫌いだよ。ふーん、だ。」

 枯れ葉の吹き溜まりを見つけて、その上に、ごろんと寝転ぶ。

「帰らなきゃいいんだよね……。オイラのいない理由なんか、あの人が、自分で勝手に考えとけばすむことさ。狂いましたとかあたまおかしくなりましたとか発狂しましたとか。あはは……」

 あったかそうだったから、おれはもしゃもしゃの腹の上に乗ってみた。

 もしゃもしゃは、嫌がらなかった。

 足の下の体、やわらかい。寝床に入る時のいつものクセで、前足を交互に突っ張って、踏み踏みする。

 もしゃもしゃは小さな声をたてて笑う。

 そして、香箱を組んだおれの両耳の後ろを、細い指先でこりこりする。なかなか、上手だ。

「星、きれーだあ……」

 呟いて、そっとおれを抱きしめる。苦しくない、ちょうどいい程度の重さ。思わず、グルグルと満足の喉声が出る。

「ねえきゅうり。きゅうりから見て、オイラ、いいニンゲンかい?」

 そんなこと聞かれたってなあ。よくわからんな。

「そうかあ。わかんないよね。昔、よく奏くんと一緒に、何時間も考えたんだ……。うそをつくのは、悪いことだって、みんな言うよね? 人を欺くことも、同じように、悪なんだ。ところで、僕らはあの人の望む通りの生き方なんか、したくない。それは、ひどく屈辱的で、無意味な生だと、強く感じている……」

 喋るうちに、もしゃもしゃの声が変化する。

 その声はおれに、飲めない水を思い出させる。シとネムリの季節、もっとも厳しい明け方に、時折、水が固く変化して、飲めなくなることがある。あの感じ。

「……そう感じながらなお、あの人の望む通りに生きること……それは、うそだ。自分を欺くことだ。同時に、あの人を欺くことでもある。心の底に、疑問と軽蔑を抱きながら、あの人の守ってきた狭い囲いの中で安全に眠り、あの人の一族が、どこか他の場所から奪い続けてきたものを食べて成長する。内心、あの人を馬鹿にし続けながら……。」

 こいつは、もしゃもしゃではないな、とおれは思う。

 誰か、別のやつだ。弛緩していたおれの筋肉に、また力が入る。

「それは、善くない生き方だ。まぎれもなく悪だ。僕はそんな風に生きることはしたくない。では、欺かねばどうなるか。己に正直に生きれば、どうなるか。あの人は壊れるだろう。自分ではなにひとつ考えず、ただ、上の世代から受け継がれてきた常識に、素直に従ってきただけの、従順な人。長い戒律の巻物に、自分もまた一行を書き加え、今度は僕らに受け継がせることを、己の正しい義務と信じて遂行しようとしている、ただそれだけの人。あの人の親も、そのまた親も、脈々と同じことをしてきた。そして安楽のうちに死んでいった。なのにあの人は、安楽には死ねない。それどころか、生きているうちに、すべてを失うことになる。……あの人と同じような生き方をしている、他の多くの人々にとっても、僕らは不快な、汚らわしい存在とならざるを得ない。それもまた、人の子として、悪の所行だとしたら。」

 おれはもしゃもしゃの腹を飛び降り、少し離れたところまで逃げてから、振り返る。

 もしゃもしゃの手が、おれを追いかけて伸びる。空をつかんで、それから、ゆっくりと、顔の上に置かれる。

「だとしたら、導きだされる答えは、ただひとつ……」

 にゃあ! とおれは呼ぶ。もしゃもしゃ、帰ってこい。

「僕らは、悪い子供なんだ……」

 声が戻る。確かに、もしゃもしゃの声。しかし、常ならぬ声。

 泣いている。大きくなりすぎたニンゲンの感情が、その体を越えて溢れ出すとき、こんな形をとる。水になって、目から出てくるのだ。

「生まれつき、この世界にとって、悪い子供なんだ……。生まれてきたことが……存在自体が、既に、悪なんだ……。」

 枯れ葉に埋もれて、もしゃもしゃは泣く。おれは猫だ。おれの脳みそに、共感する能力は組み込まれてはいない。

 

 

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