3
極論
ぴたり、と天野の動きが止まる。
ずっと頭突きを喰らわせていたネムノキの根元に、ずるずるとくずおれて、丸くなって寝てしまう。そのまま、しーんと静まり返る。
「……死」
と太賀が言いかけて、やめる。「し」と発音しただけなのに、それが「死」んだんじゃないだろうな? の出だしの音であることが、すぐに理解できた。つまりは、海斗も同じことを考えていた。
まさか、と口だけぱくぱくして呟き、薄ら笑いでぶるぶると首を横に振る。二人、目を見合わせて、そーっと天野の傍らに膝をつき、顔を覗きこむ。
虚空に向けて開いたような目。弛緩した頬。だが、口元が微かに動いている。まるで、夢の中で喋っている人みたいに。
ぶるるるる……と、エンジンの音が聞こえた。
瑛一さんのトラックだ、ここを通る!
と、思った瞬間、二人はテレパシーで繋がったかのような見事な連係プレーで、両側から天野の腋に手を差し入れ、木の反対側に引きずりこむ。
草の中に伏せて、三叉路を見張る。ぴりかちゃんの乗った栗毛の馬が、ぽくぽくと並足でやってくる。そこで一旦停止して、一方の道を指差しながら、後ろから来たトラックに向けて尋ねる。
「こっちだよねー?」
トラックの中の瑛一さんが、うんうんと頷いている。それを見てぴりかちゃんは、手綱を引き締め、馬のお腹に、ぽんと踵を入れる。馬は駆け出し、その後を、瑛一さんのトラックが、ゆっくりと追いかけていく。
「……行っちゃった。」
もう、二度と帰ってこない人を見送ったような、ひどく淋しい口調で、太賀が呟く。
「11時までに……って、結局、伝えそこねちゃったね……」
「で、いい……」
ぼそりと、天野が言う。元に戻ったのか? と思って、二人で振り返る。が、天野はまだ、あの虚ろな目をして、全身脱力したままだ。側に海斗たちがいることを、理解しているかどうかも定かでない。
「それでいい……僕はもう、なんの関係もない。僕の仕事ではなかった。あれは、獣ではない。最初から、人の子だ……」
「あ……あのなぁ、天野。」
顔をしかめて、太賀が口を挟む。天野の長い首を掴んで、乱暴に揺さぶる。
「おまえ、今言うべき事、本当にそれか? 獣だ人だって、そんな事、全然関係ないだろう!? もっと、現実を直視して……」
「ちょっ……太賀、よせって。」
とめようとした海斗の手を振り払って、太賀はなおも怒鳴り続ける。
「放せよ高杢。おまえ、アタマ来ないの? これ見てイタくないの? ぜーったいどっか間違ってるだろうよ、このリアクション!」
「それはそう思うけど……ともかく、首絞めるのはよくないと」
「はははは……」
脱力した天野の肉体から、突然、高らかな笑い声が起こる。
仰天して、二人は後ろに飛び退く。1年半つき合ってきて、一度も聞いたことのないもの……天野の笑い声!
「そうだ……あれが獣に見えたのは、僕が思い違いをしていたせいだ。」
くつくつと、抑え切れない笑い声の下から、天野は喋り続ける。喋りながら、ネムノキに手をついて、ゆっくりと身を起こす。
「あれは、人だ。人を相手になら、人として振る舞う術を知っている。僕の目に、獣として映ったのは、単に……単に、」
ネムノキの下で、天野は真っ直ぐに立ち、どこか……ひどく遠いところを見つめて、静かに微笑む。
「僕が人でないからだ。」
糸のように細めた、切れ長の目。ほんの少し端が持ち上がった、薄い唇。
整ってはいるが、部品が地味で……そのせいで、仏頂面をしていると、ゾンビみたいに不気味に見える、天野の長い顔。
それが今、断食で入寂したお坊さんのミイラみたいになっちゃっている。思わず手を合わせて、お賽銭のひとつも投げたくなるような、静謐な佇まい。要するに、どっちにしても死体っぽい。
「……己を人だなどと思うから、こんな間違いが起きる。」
ふふふふ……と軽やかな笑い声をたてながら、天野は歩き出す。三叉路を、ぴりかちゃんたちが行ったのとは別の方角へ、滑るように進んでいく。
「僕は、人ならぬものだ……誰とも解り合えぬ。この世界を、ひとりで転々として生きていくより、他にないのだ……」
「あ……天野ぉ……」
そう呼びかける海斗の声が、すでに独り言である。届かない。たとえ耳たぶを引っ張って、口元へ持ってきて怒鳴っても、決してあいつには届かない。
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