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特別侵入許可
私は誰を捜しているのだったかしら?
運動部のクラブハウス。校舎の周辺。体育館。なんだかぼうっと痺れてしまった頭で、一度歩いたところをまた横切り、引き返して、また戻る。
なにか、とてつもなく無駄な運動を繰り返しているような気持ちに捕われながら、それでも、走り回るのをやめられない。
西本結花を探しているのではなかった。
畠山ぴりかを探しているのでもなかった。
良子の頭の中にある探求物のイメージは、ただ、白い女の子。それだけだ。それ以外の名前はなく、見つけた後のことも、考えてはいない。
うにゃああ、という泣き声が、耳のすぐ後ろで、聞こえたような気がした。昨日、病院で耳にした、あの新生児の泣き声。それもまた、良子のイメージの中で、真っ白に変換される。真っ白な赤ちゃんが泣いている。
「うにゃああ。」
空耳ではない。
一瞬、ぞっとして立ちすくむ。
それから、勇気を出して振り返る。
赤ちゃんではなかった。大きな灰色っぽい縞猫が、前足で押さえこんでいた小さなネズミをぱくりとくわえ、長いしっぽをぴんと振り立てて、中庭に面したニセアカシアの林の中へ、入って行くところだった。
「あ……。の、野良くん?」
なんと呼んでいいのかわからなかったが、とにかく、呼びかけなければいけない、という気がして、そう声に出す。
そして、猫を追って、林の中に入る。
トゲだらけの薮の中を、苦労して進むうちに、細い踏み分け道に行き当たる。
木の陰に、湯浅がじっと立っていた。
「湯浅先生。あの子たちは……」
良子が声をかけると、唇に指を当てて、静かに、と合図する。
なにがあるのかと、隣に立って、耳を澄ます。
「ぴりかー……こらー、返事しなさーい……」
遠くの方から、畠山さんを呼ぶ声が、微かに聞こえた。多分、あれは福岡さんだ。
しばらく、しーんと静まり返った後、また別の方角から、
「おおーい……ぴりかちゃーん……」
と、誰か男子生徒の声がする。
「彼ら全員、最初っから、この林の中だけを探しまわってるんですよ……」
ひそひそと、どこか愉快そうな声で、湯浅が囁く。
「あなたはなぜ、ここに?」
「天野を追ってきたら、あいつ、一直線にここへ飛びこんだんです。残念ながら、途中で見失いましたけどね。」
「さっきの生徒ですか? 彼はどういう……」
「僕が顧問してる、弱小文化部の部長です。顧問ったって、名前貸してるだけ、みたいなもんですけどね。なかなか、おもしろいやつですよ、あれは。」
にやにやと不謹慎に笑いながら、そんな暢気なことを言う。
「おもしろがってる場合じゃありません。こうしてる間にも、なにが起こっているかと思うと……」
そう言って、再び探しに出ようとした良子を、湯浅が身振りで押しとどめる。
「いやー、ここで待ってましょ。」
「待つって……なにを待つんですか。」
「事態が動くのを、です。あいつらの声聞いてると、あんまり、緊迫感ってものがないんですなあ。熱心に探しちゃいるけど、それほど深刻な状況を思い描いてはいない。なんていうか、オチがわかってる、みたいなところがあるんですよねー……」
あまりに悠長な言い草だ。そんなことをしている間に、取り返しのつかないことになったら、いったいどう責任を取るつもりなのだ。
頭のほうでは、そんな風に考えているのに、体がついていかない。こんないい加減な理屈に乗って、休もうとしてしまう。
トゲだらけの木の幹に寄りかかって、泣きたい気分で俯いてしまう。その途端、
「いやあああーっ……」
という絶叫が、遠い木立の向こうから、微かに聞こえた。
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