minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

2

  戦犯を裁くに酷似して

 

 

「そーですねー。こーいう事件の時、いーっちばん回復のネックになるのって、実は結構、母親だったりするんですよねー……」

 妙にへろへろっ、とした、独特の軟弱そうな口調で喋りながら、桃李学園高等部専任のスクールカウンセラー、湯浅英彦は、キャスター付きのオフィスチェアに後ろ向きに跨がって、ジーンズ履きの細い足で、床をがしがしと漕ぎ続ける。

 ごろごろごろーっと室内を滑っていったり、くるくると回転したり、勢い余って壁に激突したり……。まさか、悩んでいる生徒たちの相談に乗る時にまで、こんな悪いお行儀で聞いたりはしていない、と信じたいが……

「特に、自分がそもそも古い価値観に捕われてるタイプだと、容易にその状況から、脱出しようとしないんですよ。わいせつ事件に遭って、近所の目が気になるって、じゃあ引っ越しゃあいいのに、ガンコに事件のあった町に居座りつつ、娘共々引きこもる、とかね。『あんたはなにも悪くないのよ』と言ったその同じ口で、翌日には『あんたのせいであたしまで肩身が狭い』とか言って混乱させたり……」

「ええ……。もう、このまま、こちらとの繋がりを、一切断ち切ってしまわれたいご様子で……。」

 せわしなく動き続ける相手を、目で追いかけ続けるのも癪に障って、良子はデスクの上に両手をついたまま、できるだけ、窓の外の景色だけを見つめて会話する。

 昨日の雪は、もうすっかり溶けている。本格的な春の訪れを感じさせる、うららかな日差し。学園の林を覆う、もやもやとした緑の気配。

「じゃあ、明日、退院して、すぐに実家に帰るわけですね?」

「そう、お母様は仰ってました。カウンセリングも、もう受けさせる必要はないと。」

「本人はどう言ってるんです?」

「なにも……今はまだ……」

 ごめんなさい、という結花の泣き声が、耳に蘇る。

 本当なら、新しい、希望に満ちた人生に踏み出していく季節なのに、たった18歳の少女が、どうしてあんな淋しいところで、なにもかもに謝罪しながら、横たわっていなければならないのだろう。そう思うと、胸の奥がなにか、見えない手に掴まれたように熱くなり、怒りが蘇ってくる。

「保護者や本人の意向を無視して、こちらが勝手に事を大きくする、というわけにもいきません。でも、あの監督をこのままで放置するなんて、絶対にできないわ。なんとかして、責任を自覚させないと……」

「それはしかし、今度のことを伏せたままにしておいちゃ、難しいでしょー。」

 そんなこと、どうでもいいじゃん……とでも言いたげな、投げやりな口調。

「なにしろ、あの部を全国優勝に導いた功労者なわけだし……」

「でも、一度こんなことをしでかした人間なんて、いつまた同じことを繰り返すかわからないじゃないですか!」

「要は柳場センセーは、その生徒の名誉を傷つけずに、あの監督をクビにしたい、と。そういうことですね?」

 ごろごろごろーっと椅子ごと接近してきながら、湯浅が尋ねる。なんとなく良子は、プラスチックの車のオモチャに、得意げに跨がる幼児を連想する。

「ええ。彼女のために、こちらができることはなにか、と考えると……」

「じゃあカンタンだ。センセーが、個人的に脅迫すればいいんです。大人しく辞表出さねーと、出るとこへ出るぞ、クラア、って。」

「…………。」

「なんなら、僕、やりましょうか?」

「……いい。」

 敬語で話し続ける気力をなくして、良子は投げやりに返事する。

 

 2年前に赴任してきたばかりのこの青年を、良子は今イチ、評価し切れずにいる。

 年齢は、今年で35歳だと言うが、ぱっと見は大学出たて、くらいにしか見えない。背が低く、体つきも細く、華奢な肩の上に、妙にこれだけは大きな頭が載っかっていて、シルエットがこけしのよう。突き飛ばしたら簡単に転んでしまいそうだ。

 彼が来る以前には、桃李大学で心理学の教授を勤める年配の女性臨床心理士が、中等部と高等部を、一日おきに訪れていた。その教授が定年を迎え、それぞれの校舎に、彼女の弟子を専任のカウンセラーとして置くことに決まったまではよかったが、高等部に来るのは若い男性である、と聞いた時、良子は強く反対した。

「それでは、女生徒がなにか、デリケートな問題があった時に、相談しにくいのではありませんか? 去年までの統計を見ても、そういう相談がかなり多いことが窺えますが……」

「あら、それは逆に、今までは男子生徒が、そういうことを相談しにくい雰囲気だっただけ、という可能性もありますでしょ?」

 そう言って、その女性教授はころころと笑った。良子は、ご謙遜を、と言わずにはいられなかった。

「先生を目の前にしたら、どんな男子生徒だって、なんでもかんでも喋ってしまいそうな感じが致しますけれど……」

「それは、ありがとうございます。でも、やっぱり、同性にしか語れない内容と言うのは、あると思いますよ。高校生くらいの少年たちというのは、体の中に、嵐が吹き荒れているような状態ですから、若い男性のカウンセラーを置くことの意義は、たいへん大きいと思います。」

「それを言うなら、少女たちだって、体の中は大嵐だと思いますけれど。」

「そしたら、中等部へ行ってもいいし、私が顧問をしている大学病院の診療室まで、会いにきてくれてもいいんです。保健室の栗田先生が、そういう相談は中継してくれることになってるんですし、なにも心配はいりません。それに……」

 ぽん、と良子の肩を叩いて、その教授は言ったのだ。

「高等部には、あなたがいますからね、柳場先生……。」

 私がいたから、どうだったの言うの。結局、頼ってもらえたのは、最悪の事態になった後だった。

 この部屋に詰めていたのが、こんな軽薄そうな青年ではなく、あの教授だったら、決してこんなことには……と、理不尽な言いがかりだと頭ではわかっていても、やっぱり思ってしまう。

「まあ、確かに出るとこへ出たとしても、それで彼女が立ち直れるという保証もないですしね。僕のカンじゃ、やめといた方が無難かなーって気もするし……」

 鍵のかかったスチール戸棚にバーンと椅子を激突させて停止し、引き出しから、書類の束をつかみ出して、ばさばさと捲る。

「関係そのものは合意だったわけですしねー。恋愛だったと、女生徒本人が言い張ってんだし。レイプでもなければ、不倫でもない。まあ強いて挙げれば、ヒニンを怠ったのが罪、と言えば、言えなくもないのかなあ……」

 あくまでも軽いノリで、そんな直截的なことをさらーっと言って、またくるくると椅子を回転させる。良子は思わず、声を荒げる。

「合意って……あんな上下関係の激しいところに、健全な合意なんか存在するはずがないでしょう。あの子たちみんな、入部したその瞬間から、絶対的な服従を強要されて……」

「その絶対的な服従の関係に陥るのにも、意思ってものは必要なんですよ。あの結花ちゃんて子はつまり、同じ部にいる50人近い女の子たちの中で、ワタシがいっちばん監督に近くって、いーっちばんのお気に入り! っていう状況が好きだったわけです。だからこそ、積極的に『反省会』を取り仕切りもしたし、二人っきりの『強化合宿』に参加もした。パンツも自ら進んで脱いだと。」

 下品で思いやりのない言い草に、良子はすうっと息を吸いこんで目を吊り上げ、怒気を露にする。だが、湯浅はそれに全く注意を向けず、書類を捲り続ける。

「ああ……これだ。名前は伏せますよ、状況も一部変えます……。部活でイジメにあっている。練習試合で負けた後、反省会が開かれ……反省といっても、なにを反省すればいいのかわからない、もっと練習して強くなるしかないんじゃないか、という趣旨の発言をしたところ、それがチームの中心的な女生徒の気に障ったらしく、『生意気だ』『反省が足りない』などと言われて集中的にボールをぶつけられるなどの制裁を受け……」

「ちょっ……それ、まさか、バレー部の話なの?」

 驚いて尋ねる良子を目で制して、続きを読み上げる。

「その後、その試合でミスのあった選手が、ミスの重大さに応じて雑巾がけをすることに、多数決で決定。自分はそれほどミスはしなかったはずなのに、いちばん多い、コート30往復を命じられる……その間、その中心的な女生徒と、彼女と仲の良い何人かは、交代で監督の肩、揉んだりなんかしちゃって、なごやかーにやってたそうでありますな。それで、もういやんなっちゃったから部活辞めたいんだけど、辞めたら辞めたで、教室でのいじめがエスカレートしないか心配だし、と。まあ、こういうような相談も受けておりましてぇー。」

「いつの話? 誰なの、その子。」

「それは守秘義務がございまする~。」

「何年生なの? 今、無事なの? そのいじめはまだ続いているの!?」

「守秘義務でございますってば~。」

 卑屈な演技をしながら、大急ぎで書類をもとの場所へと仕舞いこんで、鍵をかける。そしてその鍵を、さて、どこへ置こうかと言うように、しばらくきょろきょろと辺りを見回してから、今日初めて、良子の前で椅子から立ち上がる。

「きょーいくねっしんなヒトはなにするかわかんないしなー……」

 ぶつぶつと呟きながら、その鍵をジーンズのウエストから、股のあたりに押しこんだ。

「なによそれ! そこまでやる!? いくら私でも、勝手にカウンセリングの記録を漁ったりなんか!」

「いやー信用しないです、ぜんぜん。センセーみたいなタイプは、生徒の安全が第一とか言って。」

「やらないわよ! バカにしないでちょうだい!」

 叫んで立ち上がり、どかんとデスクを叩きのめしてから、己の醜態に気づく。

 なに、こんな青二才の挑発に引っかかっているのよ、私。

 実際、それはかなりの割合で、挑発だった。湯浅は良子の怒りに、びびっているようなポーズを全身でとりつつ、顔だけは、微かにニヤニヤと笑っている。

「……こういう人間関係の中で受けた傷を乗り越える、ということはつまり、その内側で自分がやってきた行為の意味も、すべて、直視しなきゃいけなくなるんですよ。それ、ハッキリ言って、並大抵の人間には、キツすぎてムリなんです。だから母親たちはやらせたがらない。自分たちが生きてきたのと同じ、そういう傷を抱え込んだまま、すべてを曖昧にして生きる道に、娘たちを誘おうとする。ある意味、愛です。母の愛。」

「だって……このまま放置したら、耐え切れずに破綻が来るかも知れないって、言ったのはあなたでしょう!」

「来ないかもしれない。その母親の愛の下、母親が手に入れているのとおんなじ程度の幸せを手に入れて、平穏に人生を終える可能性だってあります。選択肢を示して、こちらにはいつでも受け入れる用意がある、と伝えることは大切ですけど、どちらを選ぶか、決定権持ってるのは、結花ちゃんただひとりですよ。」

 それを聞いた途端、良子の頭の中で鳴り響いていた言葉が、その意味合いを、がらりと変える。

 ごめんなさい……

 ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……

 すとん、と椅子に座り直し、ため息をついた良子に、

「正義感で介入しちゃダミでぃすよぅ~。」

 と湯浅は言い、またくるくるくるーっと、激しく椅子を回転させる。

 

 

 

→ next

http://kijikaeko-mch.hatenablog.com/entry/9-3