minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

10

  イオマンテ

 

 

 駆けつける、という訳にはいかなかった。トゲだらけの細い枝が絡み合った薮は、容易に人を通してはくれない。

 焦って突き進んでいるうちに、悲鳴の上がった方角がどちらだったのか、だんだんあやふやになってくる。

「聞こえたー?」

「あっちのほうよね。」

「でもあれ、ぴーちゃんの声じゃないぞ。」

「誰か、迷いこんじゃったんでしょうか……」

 がさがさと、人の気配が近づいてきて、とある灌木の茂みを抜けたところで、何人かの生徒たちと鉢合わせする。

「あれっ?」

 良子たちの姿を見るなり、その生徒たちはぴたりと立ち止まり、口を噤む。

 表情が、すうっとお行儀よく、無機質なものに変化する。それはまるで、

(どうして、大人がここにいるの?)

 と、無言のうちに、非難がましく問いかけているように、良子には感じられた。

「あー、ぴりかちゃん、いたかー? なんか今、悲鳴がしたよなー?」

 湯浅が、探し疲れて、もうくたくた……とでもいうような、いつにも増して軟弱な口調で話しかける。

 それで生徒たちは、しばらくの間、目配せをし合ってから、用心深く返事する。

「しましたけど……あれ、ぴりかちゃんじゃないですよ。」

「そうか。ならいいんだけど……でもまあ、悲鳴だからなあ。見に行かない訳にはいかないしなあ……」

 情けない様子を作って、湯浅が先に立って歩き出す。良子も、それに続く。

 生徒たちは、一緒には来なかった。

 

 急に、視界が開ける。

 ぱらぱらと、まばらに白い花をつけた、貧弱な野生の梅の木が、ひとかたまりになって生えている。そこに、西本結花がいた。

 腰が抜けたように、ぺったりと地面に座りこんで、口をぽかんと開けている。恐怖に凍りついたような目を、かっと大きく見開いて、一点を見つめている。

 視線の先にいたのは……熊だった。

 痩せた、小さな熊だった。薄暗い茂みの中で、胸の月の輪だけが、仄白く浮かんで見える。 

 熊は、踊っていた。

 後足で立ち上がり、前足を高く振り上げては、斜めに振り下ろし、また高く振り上げては、反対側に振り下ろし、ふらふらと酔っぱらいのような足取りで旋回し続ける。

イオマンテ……?」

 湯浅が、唖然とした表情で呟く。

 それはなんのことだったろう、と良子は考える。そうだ、アイヌ語だ。熊を屠って、神々の国へと送り返す、アイヌの神聖な祭りのことだ。

 殺される直前、矢を受けて苦しむ熊の動きは、天の親元に帰れることを喜ぶ熊の神の、喜びの踊りと解釈される……そんなことを、最近どこかで読んだ。

 なぜ、アイヌのことを調べたりしたのだったかしら。なにか、確たるきっかけがあったはずなのに、今、どうしても思い出せない。

 西本結花は、座りこんだまま、ずるずると熊から遠ざかろうとしていた。

 その服のあちこちに、点々と、赤いものがついている。

 ふいに熊が、踊りをやめる。

 腰を屈めて、地面の上から、前足でなにかを拾い上げる。それを、目の前にかざしたり、ふんふんと匂いを嗅いだりしながら、訝し気な様子で小首をかしげ、空いているほうの前足で、こりこりと頭のてっぺんを掻く。

 そして、目の前の西本結花に、たった今、気付いたかのように顔を向けて、しばらくじっと眺める。また拾ったものを見て、また頭を掻く。

 果物ナイフだ。

 刃先に、微かに、血の色がついている。

 良子は息を飲み、西本結花の、手首のあたりに視線を走らせる。血はまぎれもなく、そこから流れ出していたのだ。

「西本さん! だめよ!」

 叫んで良子は、薮の中から飛び出し、西本結花を両腕に抱きしめる。首に巻いていたスカーフを外して、傷口を大慌てで縛る。

 と同時に、熊が、焦げ茶色の腹を前足で押さえて、耳障りな、甲高い少女の声で、爆笑しはじめた。

「きゃーっははははは! あーっはっはっはっはっは……いひひひひひひ……」

 血のついたナイフを持ったまま、それがいかにも、滑稽でたまらない、というように、目の前でぷらぷらと揺すぶって弄びながら、まだまだ笑い続ける。

「あっ……あはははははは……く……くく……むひゃひゃひゃひゃひゃひゃ……」

 前足で、膝のあたりをぱんぱんと叩き、ぐんと背を逸らして仰け反ったかと思うと、また屈みこんで、腹を押さえる。とうとう、笑いすぎて咳きこみ始める。

「がっ……げほっ……げほげほげほ」

 苦し気に、喉のあたりを掻きむしり、両手で鼻っつらを抱える。そして頭全体を、ぐっ、と上に持ち上げる。

 茶色の毛皮の下から、畠山ぴりかの、強烈な笑顔が現れた。

 その、瞳孔の開き切ったような目が、西本結花を、冷たく睨みすえている。

「ぷっ……くふふ……」

 我慢しようとはしてるんだけど……という様子で、しばらく、懸命に声をかみ殺していたが、また耐えかねたように、

「むきゃーっ! ははははははは……」

 と、凄まじい声で笑い出す。

 その、声と、表情とのギャップで、良子は悟った。

 この子は、怒っているのだ。なにに対してなのかはわからない。西本さんが死のうとしたことになのか、あるいは、死に切れなかったことになのか、それとも、単に自分の邪魔をされたことに対してなのか。

 その時、後ろの薮から、福岡滝が、ずんずんずん……とすごい勢いで突き進んできた。

 そして無言のまま、良子と西本結花のことはまるで無視して、笑う畠山さんの傍らに立つ。白い手を伸ばして、畠山さんの額に、ぴたりと押し当てる。もう片方を、自分の額に当てる。

 そのまましばらく、眉をしかめていたかと思ったら、

「熱下がるなり、なにバカなことやってるのよ!」

 と冷たく言い放ちつつ、畠山さんの頭のてっぺんに、こつーんとげんこつを入れた。

「いたひ。」

「いたひ、じゃない。突然いなくなっちゃダメでしょー! そこらじゅう大騒ぎじゃないの!」

「おおさわぎ?」

 ぽかんとした顔で、畠山さんが尋ねかえす。

「なんで?」

「保健室から勝手に抜け出したりするからよ! 熱で頭がイカレて、どうかなっちゃったんじゃないかと心配されてるの、ただでさえイカレてるのに……って、それ、手になに持ってるの?」

 急に胡散臭そうに、畠山さんが持っているナイフを指して、福岡さんが尋ねる。

「知らにゃい。多分、このひとのじゃない?」

 どこか、嘲笑うように言いながら、畠山さんはナイフを、ぽい、と目の前の地面に投げ捨てる。

 それは、すとん、と、良子の目の前の地面に突き刺さった。

「……ふーん。」

 と、鼻から抜けるような声で言いながら、福岡さんも、同じ目つきをする。

 二人の少女の顔を、良子は西本結花と、同じ視点から見上げた。それはひどく、残酷な光景だった。

 

 保健室で待機していた畠山かおりは、熊の着ぐるみを着込んだままの娘を見て、ぎゅうっと目のまわりの筋肉をこわばらせるような、不思議な無表情を作り出した。

 畠山さんは、その視線を受け止めながら、静かな薄笑いを浮かべて、母と対峙する。

「……明日、奏の一周忌に行きます。」

 話しかけているのか、ただの独り言なのかわからない言い方で、畠山かおりが淡々と告げる。

「一緒に帰りますよ……。」

 ひょい、と熊の頭を持ち上げて、畠山さんは再びそれを、すぽっ、と被ってしまう。

 そして、手首の傷の手当を受けながら、放心して座りこんでいる西本さんの前に、いきなりぴょんと踊り出て、

「ぐわおーっ!!」

 と、一声吠えてから、乾いた、短い笑い声を立てた。

 

 

 

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