minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

2

  行水つかい

 

 

 起きるのは辛かった。もう、今日はずる休みしてしまいたいと、78%くらいまで本気で考えた。

 でも、ああいう状態の母さんと、まる1日一緒にこの家にいるなんて、まっぴらごめんだ。風邪だ、なんていって休んだら、やれビタミン剤を飲めだ、おなかを暖めろだ、医者には行かなくていいのかと、それこそ寝る間もないほど構い倒される。

 それにどのみち、もう小1時間もすれば、母さんvs野梨子の「起きなさい」「嫌だ」バトルが始まって、騒がしくって寝ていられなくなるのだ。

 目を瞑ったまま、ふらふらと制服に着替えて、部屋から玄関へ直行する。母さんはまだ、キッチンに出てきてはいない。今のうちに、黙って、そーっと行っちゃおう。

 急げばまだ、狙っていたバスに間に合う。

 

 学校にいちばん近いコンビニで、ピーナツクリームサンドとホットコーヒーを買って、7時ちょうどに、桃園会館に到着する。

 まだ、誰もいないはずだと思ったのに、いかめしいライオンのドア・ノッカーのついたオンボロドアを開くと、ホール右手の廊下の奥にある、トイレ前の手洗い場から、じゃばじゃばと、派手な水音が聞こえてきた。

「ふおおおおっ……つ、つめてーっ!」

(あれ? この声は……。)

 なんとなく竜之介は、足音を忍ばせて歩いていき、ホールのすみっこから、そーっと顔だけ出して、覗きこむ。

 そして、奇妙な光景を見る。

 角のすり減った、石材のシンクの前に、演劇部長、畠山ぴりかちゃんの、小さな後ろ姿があった。

 体育のジャージの上下を着て、背中を丸めるようにして、猛烈な勢いで、頭を洗っている。

 濡らした髪に、共用の石けんをゴシゴシと塗りつけ、むちゃくちゃに掻きまわす。そして、出しっ放しの水道の下に頭を突っこんで、もうなんて言ってるんだかさっぱりわからないメチャクチャな悲鳴を上げながら、大急ぎで濯ぎにかかる。

 吐く息白いこの季節に、いったいなんだってまた、学校の水道水で洗髪?

 見ているだけで竜之介は、自分の背筋が凍えてしまいそうになる。

「むひー、もーダメだあっ!」

 と言って顔を上げた時には、まだ耳の後ろなんかに、白いあぶくが残っていた。それをタオルで、ごしごしとこすりあげる。

 なにしてんだ、このコ、いったい……?

 唖然としながら、竜之介は、黙って観察し続けた。

 のぞきをしている、という感覚は、この時点ではまだ、全くなかった。それはまさしく、『のぞき』と言うよりは、『観察』されてしかるべき、立派な奇行であったのだ。

 だから、ぴりかちゃんがジャージのズボンを脱ぎはじめた時も、反応するのが遅れた。

 パンツを脱ぎはじめた時点で、ようやく、えっ? という驚きが、脳裏をよぎった。

 えっ? えっ?? えええーっ!???

 と、頭の中がホワイトアウト状態になってしまったために、竜之介はその場を動くこともできず、『観察』を中断することもできなくなってしまったのだ。ホントなのだ。単に、ホントーにそれだけのことなのだ。ウソじゃないのだ。信じてほしいのだ。僕は……僕は、

「状況の犠牲者なんだー!!」

 と、こんなところで叫んだって、なんにもならないのだが。誰にも届かないのだが。

 ともかく、『観察』し続ける竜之介にはまるで気づかずに、ぴりかちゃんは小さなタオルをしぼって、それで下半身を、ごしごしと擦りはじめた。

 ぽつねんと灯った、小さな電球の灯りの下で、ぴりかちゃんの真っ白い肌が、みるみる赤く染まっていく。途中、何度かタオルを洗いながら、内股のあたりを擦るところも、シンクの中に片方ずつ足をつっこんで、石けんで足の指の間を洗っているところも、竜之介は、しっかり網膜に焼き付けてしまった。

 それから、シンクの上に張り渡した木の板の上に置いてあった新しいパンツと、黒いタイツと、制服のスカートを身に着け、今度は上半身を脱ぐ。さぶいーさぶいー、しぬーしぬー、と小声で呟きながら、同じようにタオルで擦っていく。

 全身を拭き終えて、ぴりかちゃんが水道を止め、ブラジャーをつけ始めた時点で、竜之介はようやく、これはヤバイと気がついた。

 服を着終わったら、ぴりかちゃんは振り向く。そして、僕を発見する。

 逃げなくちゃ。

 でも、今はもう水音がやんでしまって、桃園会館の中は、しーんと静まり返っている。

 どうしてさっき、ぴりかちゃんがタオルを洗っている間に立ち去らなかったのだ。僕のバカ、バカバカバカ。

 そうして竜之介が己を罵っている間に、ぴりかちゃんはキャミソールを着て、白いブラウスを着て、かじかんでしまったらしい指に、はーはーと息を吐きかけながら、ゆっくりとボタンを留める。その上に、学校指定の藍色のカーディガンを着て、制服のブレザーを羽織る。

 もうだめだ。見つかる。なんて言い訳したらいいんだ。

 そう思って、気が遠くなりかけた時、再び、水道の蛇口がひねられ、だばだばだば……と、その時の竜之介にとっては天使の歌声のようにも感じられる、美しい水音が、いっぱいに響き渡った。

「うー、ちべたい……うー、がまんがまん……」

 呟きながら、ぴりかちゃんは、さっきまで着ていた下着類の洗濯を始めた。

 後はもう、見なかった。竜之介は抜き足、差し足でホールを横切り、そーっとドアを開けて外へ出た。

 そして、一目散に、校舎へと走った。

 

 

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