minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

10

  僕の妹

 

 

 音楽はかかっていなかった。しーんと静まり返った野梨子の部屋のドアを、竜之介は根気よく、ノックし続ける。

「野梨子。野梨子、母さんはいないよ。僕……」

「コンコンうるせーよ……さっさと入ってくりゃいーだろ、ばーか。」

 ノブを回すと、鍵はかかっていなかった。野梨子はベッドの上で、壁にもたれて、ぐったりと座りこんでいる。

 しばらく、ドアを背にしてつっ立っていると、

「座れば?」

 と、投げやりな言いかたをしながら、自分の隣の場所を顎で示す。竜之介は、そこに腰を下ろした。

 長い、長い沈黙……なにをすべきかもわからぬうちに、体が冷えて、寒くて、眠くて、竜之介はうっかり、目を瞑りそうになる。そこへ、野梨子の方から、口を開きはじめた。

「ミツアキくん……友達なの? お兄ちゃん。」

「ん? ああ。いや、そういうわけでもない。まあ、友達の友達、くらいかな。」

「今日、一緒にいた人たち?」

「え?」

「あの人たちが、お兄ちゃんの学校の友達なの? 一緒に帰ってった、制服の……」

「ああ……」

 桃園会館を根城に、日々、無意味で非生産的な活動にばかり精を出す、マイナークラブハウスの部員たち。

 あれって、友達……かな。ほんのちょっと、野梨子の言ってる『友達』と、定義がズレてるような気がしないでもないが、ここでそんなことを言い出しても始まらないので、とりあえず肯定しておく。

「うん、まあ。友達。」

「いいね。楽しそ。」

 ほっ、と鋭い吐息とともにそう言って、野梨子がぽろぽろと、泣きはじめる。

「あたしなんか……ぜんぜん、つまんない……つまんないことばっかりだよ。勉強はできないし、顔はブサイクだし、それひとつで勝負できるようなことって、なにも持ってないし……。なにもないなら、せめて、ピカピカしてる人のそばにいきたいのに。ミツアキくんみたいな、すごい光ってる人に、ほんのちょっとでいいから……近づいて……」

「勉強はできないかも知れないし、勝負できることも、今のところはないのかもしれない。」

 気のきいた慰めなんか、やっぱり思いつかないな、と思いながらも、竜之介はとりあえず、思うところを言っておく。

「でも野梨子は、どっちかっていうと、かわいいほうだと思うけどね……」

 こんなことぐらいしか言えない。これってちょっと、兄としてどうよ、と自己嫌悪になりかかったが、効果は、てきめんだった。

「……ホント?」

 涙でいっぱいの目を、まっすぐに向けて、野梨子が聞き返してくる。

「ん?」

「あたし、どっちかっていうと、かわいい?」

「……僕はそう思ってるけど。」

「ホントに?」

 ぽん、とハスの花が弾けるように、野梨子が笑う。

 小学生の時、早起きして一緒に見に行った、ビオトープのハスの花みたいに。

「なんだよ……こんなんで元気出るのかよ。」

 思わず、呆れ気味の口調でそう言ってしまったが、野梨子の笑顔は、そのままで弾け続ける。

「出るわよ……すごいうれしいわよ。なによ、お兄ちゃん。なんでそういうの、もっと早く言ってくれないかなあ、もう!」

 ばん、と肩を叩いてきて、そのままベッドに転がって、笑いこける。

「あは、あはは、あははははは……」

「……お前なあ。」

 なんか損したような気分で、でも、竜之介も笑えてくる。

 しばらく、一緒に笑ってから、ポケットに隠してきたものを、ほいと目の前に突き出してやる。

「……なにこれ?」

「ピック。ミツアキに頼んで、1枚貰ってきてやった。」

「うそっ!」

 がばっと跳ね起きて、ひったくろうとするのを、ひょいと背中に隠してお預けにする。

「やるけどさ……これから、家の中で、あんまり不機嫌にしないって、約束してくれないか? 嫌なんだよ僕、野梨子がオニみたいな顔して、半泣きで怒鳴り散らしてるのを見るとさ。悲しくなってくるんだ。母さんがうざいのはわかる。僕だってうざいもん。だけど、うざい大人と真正面からぶつかったって、エネルギーの無駄遣い以外のことになりゃしない。もうちょっと、うまく立ち回って……」

「それは、お兄ちゃんが男で、優等生だから言えるんだよ。」

 少し目を吊り上げて、野梨子が反論する。

「そんなに、構われないで済んでるじゃない……あたしには、むちゃくちゃスゴイんだから。本当に、がんじからめにしてくるんだよ。力一杯反抗しないと、ホントに押しつぶされそうって言うか……もっと、なんて言うか……」

「食われそうな感じ……かな、もしかして。」

「そう!」

 ぱっと顔を上げて、力強く同意してくる。

「そんな感じ……ほんとに、あたし、あの人に、頭からがりがりって、まるごとかじられるんじゃないかって気がして……。」

「それは僕がなんとかするよ。どのくらいできるかわからないけど、できるだけ、野梨子の味方になるって約束する。だから……」

 もう一度、ピックを差し出す。

「もうちょっと、楽しそうにしろよ。」

 そっと両手を伸ばして、野梨子は、ピックを受け取る。

 愛おしげに握りしめ、祈るように額に押し当てて、

「うん。がんばる。」

 と言いながら、ぽろっと大粒の、きれいな涙をこぼした。

 

 自分の部屋に帰って、ベッドに倒れこむなり、眠りがオーロラのように、頭の中に舞い降りてくる。

 今日はホント、長い一日だった……

 深い眠りの底に沈みこむ直前、忘れていた光景と、もう一度出会う。そうか、記憶の底と、眠りの底って、繋がっているんだ。だったらこれから、毎晩夢の中で、君に会えるのかもしれないね。

 真っ白な背中のぴりかちゃんが、竜之介を振り返って、笑顔で手を振ってくれる。

 それに手を振り返してから、竜之介は勢いよく、ノンレム睡眠の海の中へと飛びこんでいく。

 

 

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