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交換条件
「天野がいない!」
と叫ぶ高杢の声で、脳が一気に、レム睡眠から戦闘レベルに切り替わる。
「なんだよ?」
「どうしたんだ?」
「起こそうと思って、部屋に行ってみたら、返事がないんですよ。それで空けてみたらカラッポで、部屋の空気も冷たいし、ベッドに寝たようなあともないし……もしかしたら、昨夜のうちからいなくなってたのかも!」
慌てて襖を開ける。男の子たちはもう全員起きて、着替えを済ませて座卓を囲んでいた。鈴ちゃんもいる。
夜中のお喋りのせいで、滝と美優先輩だけが寝坊してしまったらしい。パジャマ姿で飛び出してしまった恥ずかしさで、一瞬だけひっこみかけたが、気が急くのはどうしようもない。
「今、何時です?」
「ああ、おはよう滝ちゃん。よく寝たねー。10時過ぎだよ。」
と三浦サンが、さほど慌てた様子もなく答えて、読みかけの本に視線を戻す。
「そんな、のんびりしてる場合じゃないですよ三浦先輩。手分けして探しましょうよ。」
と、高杢が詰め寄る。
「なぜ?」
「なぜって、もし夜中にこっそり出てったんだとしたら、なに考えてるかわかんないじゃないですか。」
「なにを考えてると思うのかね?」
「…………。」
「自殺とか? しねーだろー、あいつは。」
「そこまで言ってませんよ! それでも……」
「あのね、高杢くん、ここは奴の地元だよ。あいつのアウトドア能力を考えれば、危険な目に遭ってるとは考えにくい。逆に、ヘタに山の中へ踏みこんで探し回ったりすれば、僕らのほうが迷子になるのは確実だ。それこそ、捜索隊を出してもらうハメになる。」
言われてみればその通り。賢明な判断だったが、それでも三浦サンが言うとどうしても、楽なほうに流れる言い訳だけは達者だなあと思ってしまう。
「放っておけば、そのうち帰ってくるさ。まあ落ち着けよ。」
「夜中のうちに出てったのかも知れないんですよ!?」
「ひとりになりたいって言ってたんだろー? なりに行ったんだろうよ。気の済むまでならせといてやればいいじゃないか。」
「でも……」
誰も動こうとしない。座ったままの一同を見渡して、高杢は呟く。
「昨夜の様子を考えると……やっぱり……」
「あとさ……飯、どうします?」
と、太賀が遠慮がちに口を挟む。
「今んとこは、きのうあの店でもらってきたパンとかありますけど……夕飯は確か、トレッキングの帰りになにか仕入れようって話でしたよね? あいつがいないと、道とか全然わかんないっすけど……。」
むうー、と顔を歪めて、三浦サンが考えこむ。
「あと、お風呂!」
と、素早く着替えを済ませたらしい美優先輩が、滝の後ろから顔を出して、深刻な声で叫ぶ。
「ゆうべ遅くなって、結局省略しちゃったじゃない。午前中に、温泉に案内してくれる約束だったのよ。」
「……ええーい、仕様のないやつめ……」
うんざりした声を上げて、三浦サンが本を放り出す。
「仕方がない。とりあえず朝飯食べて……それでも戻ってこないようなら、何人かで、昨日の店まで行ってみよう。探すにしたって、あの3兄弟に手伝ってもらうより他ないからな。」
「あの……」
と鈴ちゃんが、なにか発言しようとして、律儀に挙手する。
「はい、鈴ちゃん。」
「あたし……これ……」
そう言いながら、小さな紙切れをそっと、座卓の上に置く。
本宮の三男の、携帯の番号だ。
「おおーい、おかっぱちゃーん! 会いたかったよーう! 呼んでくれて、うれしいよーう!」
またしてもピンポイントで、しかもヘンな呼びかたをされて、只でさえイライラしているのがもっとイライラしてくる。
別にあんたに会いたくて呼んだわけじゃないわよ! と叫んだところで、この人の頭は理解するまい。電話をかけたのが運のつき、と諦めるほかはないだろう。
気の優しい鈴ちゃんに、鈴ちゃんがもらった番号なんだから鈴ちゃんがかけてよ! などとは言えず、美優先輩は絶対やーよ! と言うのが目に見えていた。そして、男がかけたところで、話を聞いてもらえるかどうか、はなはだ心もとなかった。
こうしてまた、あたしが矢面に立つのよね……。しかも、あたしの番号、こいつの携帯に登録されちゃった。アドレスの名前が『おかっぱちゃん』にされてることは想像に難くない。それもこれも、みんなセイちゃんがいなくなるから悪いんだわ!
「本宮ユースケ、ただ今さんじょー!! で、どこへ行く?」
「……なんの話?」
「晴一郎がおらんけえ、代わりにここを案内せえということじゃろ? なにがええんじゃ? 女の子はやっぱり、露天風呂か。」
「……探してちょーだいってことです。」
「なにを?」
「天野くんを。」
「なんでじゃ?」
「心配だからに決まってるでしょ! 昨日、なんだかわかんないけどあんなに落ちこんじゃって、そのまんまフラーッといなくなっちゃったのよ!?」
「……なーんじゃあー、そーんなことかーあ。」
フンと鼻を鳴らして、だるそうな声を出す。
「そんなことかあ、じゃないっ、電話でだって、あたし同じことを頼んだでしょうが!? いったいなに聞いてたのよ!!」
握りこぶしで、ガンとハンドルを叩きながらそう息巻くと、ユースケはちょっと驚いた顔になって身を仰け反らせる。
「あ……ああ、びっくりした。おまえ、気の強い女じゃのーう。……あ、いや、わかった、わかった、そんなに怖い顔をするな。探し出して、連れて帰ってくればええんじゃろう?」
再びこぶしを固めた滝を見て、少し慌て気味にそうつけ加える。
「はーあ、しかし、面倒じゃのう。おれも最近、丸うなってしもうて、ぜーんぜん鍛えとらんからのーう……手に負えるかどうか……」
「? ……なにをぶつぶつ訳のわからないことを言ってるのよ。」
「別に。……あ、ほうじゃ、おかっぱ。これで、おれが晴一郎を拾ってこれたら、お礼になにかしてくれるか?」
「……なにして欲しいの。」
「今度、おれ、土日にでも那賀市までバイクで行くけえ、一緒に遊んでくれ。」
「じょー……」
だんじゃない、と言おうとして、いいことを思いつく。
「……二人きりはちょっと困るわね。友達も一緒でかまわない?」
「女の友達か?」
「そう。あたしの親友よ。」
「かわいい子か?」
「写真、見る?」
携帯を開いて、ちょっとの間手で隠しながら、良さそうなヤツを探す。着ぐるみじゃない、ヘンな帽子被ってない、ヘンなポーズとってないヤツ……あった!
「はい、この子よー。」
画面を差し出す。振り向きざまに、余計なおふざけをする隙を与えずに撮った、制服姿のあどけない笑顔。一見したユースケが、ひゅっと息を吸いこむ。
「うわー! かわいいのーう! どうなっとるんじゃこれは? おまえらの学校の女の子ときたら、なんでみんながみんな、こんなにかわいいんじゃ?」
「ぴりかは特別級よおー。」
「ぴりか? それが名前か?」
「そ。」
「変わっとるのう。じゃが、よう似合うとる、イメージにピッタリじゃ……。ほんまに、ほんまにこの子、おれに紹介してくれるんか!?」
滝の背後で、成り行きを見守るマイナークラブハウス各員、興奮して騒ぐユースケからさりげなーく顔をそらし、懸命に笑いをかみ殺している。
「ちゃんとセイちゃんを探し出してくれたら、ね。そう言えばぴりか、前から一度、そういうバイクの後ろに乗ってみたいって言ってたっけな……」
「おーし。」
かっと気合いの入った顔つきになって、バウッ! とエンジンを吹かす。
「待っとれ、すぐにひっぱってくるけえ……約束じゃぞ!」
前輪が浮き上がるほどのスタートダッシュで、あっという間に、草原の彼方へと消えていってしまった。
「……滝ちゃん、鬼……」
美優先輩が、クールに呟く。
「手段なんか選んでられますかってえの。」
吐き捨てて、ぴっ、と携帯のキーを押す。
制服姿のかわいいぴりかは消え去り、かわって画面上に、加ト茶の扮装姿の写真が表示され、滝はぶーっと吹き出す。何回見ても、笑えるなあ、これ……
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