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第2の記憶
「どうじゃった? 口に合うたかの?」
ラストオーダーが過ぎた頃、白ワインのカラフを持って、ヒーローがやってきた。
「改めて、こんばんわ。本宮瑛一です。」
コック帽をとって、軽く頭を下げる。さっきお店のお客さんに見せていたのと同じ、きびきびして、丁寧な物腰だ。
「27歳独身て言うておかんといけんぞ! 瑛兄がいちばんシャイなんじゃけえ、ちゃんとアピールせんと。」
ひょい、と後ろから顔を突き出して、本宮の三男が喚き立てる。
「ほうじゃ、ほうじゃ。仕事の合間にまで仕事の勉強をして、頭が固くなっとるけえ、たまには女の子とお喋りして、ほぐしておけ。」
と、次男も入ってくる。おつまみの追加に、チーズの大皿を持ってきてくれたのはうれしいが、どうもこの人たちも座に加わるつもりらしい。
「……長男だけが、真っ当に育ったのねえ。」
と、滝の隣の席の美優先輩が、耳元にコソっと囁いてくる。
「ええ。いるんですね、こういう兄弟……」
よくよく見れば、3人とも、顔立ちは似ている。少し真ん中に寄った大きな目、隆起した頬骨、部品としては女の子向きの、ふっくらとした唇など。
「……でも、顔ってやっぱ、知性とか教養でますね。」
「ホントホント。気をつけなくちゃね……」
「そこの女子2名! なにを話しとるんじゃ?」
と、三男が割りこんでくる。
「さてはこの3兄弟の中で、瑛兄だけが上品じゃ、などと喋っとったんじゃろう。」
よくお分かりで、と思ったが、言うと面倒になりそうだったので、聞こえなかったふりでホホホと愛想笑いする。
「寮暮らしはどうじゃ。街んなかでは、いろいろ不自由もあるじゃろう。」
晴一郎のグラスにワインを注ぎながら、瑛一さんが小さな声で話しかける。弟たちのように、客に顔を売ろうという気は全くなく、単に晴一郎と旧交を温めにきただけのようだ。
「食えとるか? おまえの口に合うようなもんは、なかなか手に入らんじゃろ。」
「寮の食事も、思ったほど酷くはなかった。」
新しいチーズに手を伸ばしながら、晴一郎もぼそぼそと応じる。
「それに、必要な野菜は、ちゃんと生産している。園芸部に入ったことは、カフェの掲示板で伝えたと思うが。」
「おお。そんなもんで、ちゃんとした地面があたるんか?」
「1.5アールほどある。地味もよい。先代の部長がハーブを植えていたのだが、一見して良い場所だとわかった。今はそこが、全面的に僕のものだ。」
「ほう、1.5アールあれば、かなり取れるのう。おまえひとり食うには充分じゃ。」
「うん……しかし、二人分を作らされているようなものだ、図らずも……」
急に暗ーいオーラを背負って、呪詛の籠ったような声で吐き捨てる。
「なんじゃ? それは。どういう意味じゃ?」
「畑荒らしがいるのだ。それが、なんでもかんでも盗っていってしまう。」
「学校の生徒か?」
「そうだ。」
「懲らしめたらええじゃろ。もうおまえ、たいがいのヤツには負けんじゃろうが。」
「そういうわけにもいかないのだ。」
「なんでじゃ。」
「……そこの友人にとめられている。」
テーブルの向こう端で騒いでいる高杢のほうに、ちらりと目を向けてから、忌々し気に続ける。
「女子に体罰を加えること、まかりならんと彼は言う。」
「なんじゃ? 女の子なんか!?」
「そうらしい。僕にとっては獣に等しいが。」
「そりゃあまた愉快な……いや、面倒な問題じゃのーう。」
細かい笑いを奥歯でかみ殺しながら、瑛一さんはもう一杯、ワインを注ぐ。
希望者に、デザートのアイスクリームのおかわりを配ってくれていた本宮家のお母さんも、いつの間にか二人の背後で立ち止まって、この会話に聞き耳を立てている。
「野菜を見る目だけはある、というのが、その獣のいやらしいところだ。」
と、敵意をむき出しにして、晴一郎は悪し様に罵る。
「いちばん良くできたものを、僕が収穫しようと思ったその日に、直前でかすめ取っていく。なぜそんなことをするのかと聞いても、なにも答えない。口いっぱいに頬張って、ふくらんだ顔をぶんぶん横に振って盗ったことを否定したり、口のまわりをトマトの汁で汚したまましらばっくれたり、まったく話にも……」
「あっはははははは」
突然、大きな声で笑いはじめた本宮家のお母さんに、それまでばらばらに喋っていた全員が注目する。
「それは……晴ちゃん、まるで、あんたの小さい頃とおんなじじゃねえ! あっはははははは……」
「……はい?」
珍しく、誰が見てもわかるほどに顔色を変えて、晴一郎が問い返す。
「なんじゃ、晴一郎。おまえ覚えとらんのか。」
と、こちらも笑いを堪えきれずに、瑛一さんが言う。
「越してきたばっかりのころは、おまえ、四六時中うちの畑に入りこんでは、キュウリやらトマトやら、勝手に食べよったじゃないか! うまそうなところばっかし狙う所もおんなじじゃし、盗ったろう、ちゅうても口も利かんとしらばっくれとったところも、まるっきりおんなじじゃ! おまえ、今、お天道さんにバチを当てられとるんと違うか? ははははは……」
「あの頃のあんたみたいな、小さいこどもが盗っていく分くらい、ぜんぜんたいしたことなかったけど、」
と、本宮家のお母さんが、目に涙をためて続ける。
「そんでも、やっぱり泥棒には違いないけえ、わかっといたほうがええ、と思うて、おばちゃんが、あんたのおじいちゃんに言うたんよ。そしたらおじいちゃん、夏の暑い日に、1日、キュウリの畝に待ち伏せしてねえ。盗りにきた晴ちゃんをひっ捕まえて、着とった浴衣の裾をぱっ、とまくり上げて、畑のもん盗るんは獣のすることじゃ、おまえは獣になるんか、人の子になるんか、言うて、まあ見とるこっちが『そのくらいでええ、そのくらいで』って叫ぶくらい、ぱちーん、ぱちーんとお尻をひっぱたいて……」
「ああーっ!!」
と、マイナークラブハウス一同、一斉に席を立ち、ああー、の2つ目の『あ』にアクセントを置いて、ユニゾンで叫ぶ。
それにビックリした本宮家のひとびとが、あっけにとられた顔で黙りこむ。
そんな風にして訪れた、奇妙な静寂の中で……晴一郎はただひとり、暗い穴の中に投げこまれたように、目をかっと開いて、口をぱくぱくさせていた。
それから、ゆっくりと肩を落とし、どこか幼い口調で、ぽつりと呟く。
「思い出した……」
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