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ヒーロー見参
草原の中、こんもりとした木々に囲まれて建つ、煙突つきの大きなログハウスを見て、一同、唖然とする。
あの兄がやってる牧場のレストランなんて、どんな下世話な外観かと思っていたら……。
「かーっこいーいじゃーん! これってまさか、セルフビルドってゆうやつ?」
と美優先輩が、両手を握りこぶしにして、ミーハー気味に叫ぶ。
「基礎工事だけ、経験のあるビルダーの方に来て頂きましたが、後は僕らが……」
「え、天野くんも、建てるの手伝ったの? すごーい!」
入り口に、ごろん、と転がる大きな岩に、あのバンと同じ、白地に黒のホルスタイン模様が施されている。そこに小さな文字で、
ウシカフェ
open 11:30~22:30
last order 21:30
火曜定休
「ちゃんと、他の客が来てるね……」
と三浦サンが、何台か停まっている車のほうを眺めて言う。全て県外ナンバーだ。
「煙が出ている……」
と鈴ちゃんが、煙突の先をじっと見つめながら、ぽぅわーんとなって呟く。
「もしかして、店内には、鋳物の薪ストーブが、真っ赤に燃えていたり……?」
「する。」
「わー、早く入ろう。」
半割にした丸太のステップを駈け上がり、勢いよくドアを開ける。
かりん、と小さなドアベルが鳴り、温かな、いい匂いの空気が、ふわーっと顔を包みこんでくる。
「ああー、お帰り、晴ちゃん!」
まっ白な髪に、きりりと赤いバンダナを巻き、『ushi-cafe』の名入りのシンプルな革エプロンに身を包んだ50代くらいの女性が、両手を広げて、嬉しそうに歩み寄ってくる。
「こんばんは、祐介のお母さん。お変わりありませんか。」
「まーあ、相変わらず、礼儀正しい子じゃねえ。街の学校で、こんなにお友達ができたんか? えかったねーえ!」
一同のほうに、優しい目を向けて、嬉しそうに微笑む。
反射的に、滝は分析する……日に焼けた肌、実直で優しそうな笑顔。多分この人は、生まれたときからずうっと、この地に足をつけて生きてきたような人。強い女性だが、この店をデザインするような能力はない。
ログハウスの外観といい、店内の内装と言い、この店をプロデュースした人、かなりキレる。……いったい誰が?
「奥、行けや晴一郎。もう準備はできとるけえ。」
タイル張りのオープンキッチンから、ぼそぼそっとした遠慮がちな声がする。
デザートの皿を2つ持って、白髪の女性と同じ名入りのエプロン姿の小柄な青年が、滑るように歩み出てきた。
白いコック帽。その後ろで、きちんと束ねたセミロングの黒髪。濃いオレンジ色のネックチーフが、とてもよく似合う。
白髪の女性の方に、なにか素早く目配せをしてから、窓際で食事をしていた中年の夫婦に、恭しくサーブする。滝にはピンときた。彼にはプロの意識がある。店の中で、従業員が身内のお喋りで盛り上がるなんてもってのほかだと思っている。そういう姿勢、好きよ、あたし。
「オット、そうじゃった……どうぞこちらへ。」
ぺろっと舌を出して、白髪の女性はいたずらっぽく笑い、一同を奥の個室へと案内する。
「あの兄弟のいちばん上? さっきのシェフが!?」
とろけたチーズで火傷しかかりの口を開け、全員で、おおビックリの大合唱。
「名を、瑛一君と言います。高校を卒業した後、料理を学んで、しばらく札幌のレストランで修行していたのですが、休みの日ごとに、北海道によくあるファームレストランを見て回っているうちに、自分の実家で経営することを思い立ったそうです。」
「なるほどねー。自分ちの牛乳でチーズ作って、自分ちのお店で出す訳だ。……うまいよね、これ。実際。」
珍しく旺盛な食欲を見せながら、三浦サンが感心して言う。
ほんとうに、とてもおいしかった。茹でただけのじゃがいもやパンに、溶けたチーズを塗りたくって食べるだけ、という、一見乱暴なしろもの。『ラクレット』という、サヴォア地方の伝統料理だそうだ。
テーブルの真ん中で、小さなヒーターで炙られている、ばかでかいチーズのかたまりを見た時には仰天してしまったが、熱で溶けたところを、木のヘラで奪い合うようにこそげとって食べているうちに、あっという間になくなってしまった。
「最近、そういう人増えてるよな。都会へ出ないで、自分の地元でこういうカッコいいこと始めようみたいな人。ロハスだっけ?」
「ちゃんと経営成り立ってんの?」
「少しずつ、上向きになっていると言っていました。彼と同世代の人間が次々に帰ってきて、村内で各種のアウトドアスクールや、ゲストハウスなどを作り始めています。飛天山全体が、観光地として活性化しつつある、ということのようですね。」
「みんなが一斉に、そういうことしようと思って帰ってきたの?」
「一斉に、かどうかは知りません。僕は世代が違うので、瑛一君以外の青年とは、あまり交流がないのです。」
そう言って、かぱっと白ワインのグラスを空ける。何度か桃園会館で宴会を張っているうちに気づいたのだが、このひと、異様なほどアルコールに強い。もしかして、全く作用してないんじゃないかってくらい。
「しかし、中心にいるのは彼でしょう。僕の目には、子供の頃から、瑛一君がなにか、特別な人のように見えていました。彼の周囲に、常になにかが渦巻いているような……。」
「おお、天野が印象を語っている。事象でなく。」
茶化すように、ヤマダサンが言う。それくらい珍しいことだったし、ちょっとくすぐったくなるほど、マジメな話でもあった。
「じゃああの人が、子供の頃のセイちゃんにとってのヒーローだったわけね?」
と滝が言うと、晴一郎は少し考えこんでから答える。
「そんな表現を使ったことは、一度もなかったが……まあ、そうなのかもしれない。」
「セイちゃんも帰るの?」
さりげなく、流れるように、滝は質問を続ける。
「僕が、なんだって?」
「将来、あのお屋敷に帰って、そこで、なにかを始めるつもりなの? ヒーローたちと一緒に。」
答えを待つ間、すごく、胸が躍った。
だが晴一郎は、質問の意図を汲み取ることにさえ苦労している様子を見せた挙げ句に、
「ああ、そういうことか……いや、特になにも考えていない。」
と言い、そのまま視線を、さらーっとチーズの方向へ流してしまった。
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