6
おいしい食べ方
「というわけで連れてきた。」
と、奈緒志郎が、ぴの字の頭を小突いて紹介すると、
「おっ……おじゃまいたいしたって……これ、たべま……」
と、緊張しまくりのぴの字が、小さな声でもごもご挨拶しながら、青々としたキャベツを一玉、おずおずと差し出す。
外側の、食べられないような固い葉っぱもそのまんま。おまけに、力任せに引き抜いてきたから、途中でぶつっと切れた根っこに土がついたまんまだ。指導して、改めさせようかとも思ったが、そんなことで怒るタイプの母親ではなし、かえって泊める前にこいつのキャラクターが知れていいか、と思い、そのまま持ってこさせた。
出所はもちろん、園芸部の畑だ。そこまでして手みやげなど用意しなくていい、いらん、ヤメロ、と散々止めたのに、ちょっと目を離したスキに結局やってしまった。
帰ってきた天野に見つかったら、こいつはまた追い回され、とっ捕まり、こんこんと説諭されてしまうのだろう。もちろん、そんなことで懲りはしないのだろうが。
「まあー、すごい立派なキャベツ! どうしたの、これ?」
母、徹子(41)が、『常識的な優しいお母さんぶりっこ』で明るく笑いながら、ぴの字の手から、ドロだらけのキャベツを、そっと受け取る。
「わざわざ、お土産にもってきてくれたの? ありがとうー。」
「は、いえっ……」
「高等部のお庭、すごいのよ、お母さん。お花もお野菜も取り放題なの!」
と言って、まりあが摘んできたハーブの花束を、母親に手渡す。いや、本当は取り放題ではないんだがな、あれは。
「あらまあ、いい匂い!」
「他にも、お豆とか、ニンジンとかね。菜の花もいっぱい咲いてたし。」
「ヘンな服もいっぱいある!」
「武器とかも!」
「へえ? それはそれは。まあともかく、上がって、手を洗っていらっしゃい。すぐに鉄板焼きするから。」
「肉、なに肉?」
「主にブタです。あと、骨付きの鶏手羽先と、エビもちゃんとあります。」
「おっしゃー! ほねつき肉ー!!」
「えび、えびー!!」
くたびれたクロックスのサンダルをぽいぽーいと脱ぎ捨てて、弟二人が、廊下をダッシュしていく。
「あなたも上がって。自分のうちだと思って、ゆっくりしていってね。遠慮しなくていいからね。」
と、徹子に促され、すっかり打ち解けたまりあに手を引っ張られて、ぴの字も洗面所へ向かう。
姿が見えなくなった途端、徹子は賢母ぶりっこをやめ、にんまりといやらしく笑って、手をすりすりしながら言う。
「で、あの子のお布団、どこへ出しときましょ? まりあの部屋? それとも、若旦那のお部屋ですかい?」
「まりあの部屋だ。」
即答した後で、なぜかげんなりする。
春キャベツがたっぷり入ったヤキソバは、非常にうまかった。
腹いっぱいになったチビたちは、8時からのバラエティ番組にかじりつき、まりあは先に風呂に入りにいく。
徹子は、晩酌のつまみとして、残りのキャベツをざく切りにしただけのものを、大皿にどかんと盛って出してきた。
「いやー、刻みながら、ちょっとつまみ食いしたら、もうすっごい甘くって! なにもつけないでぱりぱりぱりぱりって、おかーさんとまらなくなりそうだったよー。こんなおいしいキャベツ、めったにないね!」
ビールが入って、気が緩んだ徹子が、すっかり正体をさらけ出して、くだけた口を利く。
「すごいんだよー。園芸部長の野菜って、天下一品なんだよ。」
小さいグラスに入った、一杯だけのビールをちびちびとやりながら、ぴの字もすっかり猫かぶりをやめて、大声で喋りはじめる。
「あのね、一等おいしいのは、なんてったってきゅうりなの。もう、この世の食べ物じゃないんじゃないかってくらいすごいの。ミニトマトも、甘くておいしかったなー。赤いのだけじゃなくて、黄色とかオレンジとかもあって、成ってるとすごいきれいで。スイカもこーんな大きくて、甘かったし、とうもろこしも甘かったし、じゃがいもも、カボチャも、ほっくほくで……」
「うわあ、そんなにいろいろ作ってるの? すごい子ねえ、園芸部長くん。」
「うん……でも、やなやつだけどね。」
急に暗ーいオーラを背負って、ケッと吐き捨てるように追加する。
「そうかしら。こんなにおいしい野菜を作る人が、嫌なやつ、なんてこと、あり得るのかしら。」
「だってオイラのこと、いっつもいぢめるもん。」
「それはお前がドロボーするからだろーが!」
と、奈緒志郎は呆れ返りつつ、べしっと後頭部に一撃つっこむ。まさか、怒られる原因がわからない、などと言うつもりじゃあるまいな?
「痛! だってえ、食べたいんだもーん。」
「だってえ、じゃない。貰えばいいだろう貰えば。天野だって、いつも言ってただろう。欲しいならそう言えって。実際、俺がぶらーっと下りてって、これ食っていいか? ってひとこと言えば、いつだってなんでも気前良く食わせてくれたぞ。卒業前、礼がわりにビール持ってったら、部室に蓄えてある漬け物、わざわざ出してくれたりもしたし。」
「エーッ、お漬け物まで作ってるのぉ!?」
と、横から徹子が、目を輝かせて言う。
「ああ。いつの間にか園芸部室に、ツボとかカメとか、いっぱい運び込まれててさ。」
「お味は?」
「うまかったよ。みそ漬けだとか、ぬか漬けだとか……」
「ぬかぁ? かきまわしてんの? 高校生男子が!? っかー……」
バン! とテーブルを叩いて、空気をためてから、大げさにウケる。
「……おもしろいっ! おもしろいよ、その子! ナオ、今度ウチ連れといで。ヱビスビール買っとくから、ぬか漬け持ってきてって伝えといて。おかーさん大根が好きだって。」
「それが目的かい!」
「うーっ……」
ぽんぽん言い合う高橋親子に挟まれて、ぴの字がぎりぎりと歯を食いしばりながら、怒りの唸り声をあげる。
「どうした、ぴの字。」
「……ひどい! そんなお漬け物あること、ぴりかなんにも聞いていないよ!?」
「お前に教える義務がどこにある! 教えたら狙われるに決まってるから黙ってるんだろうが!」
「先輩、さっきから園芸部長の味方ばっかしして」
「味方とか、そういう話じゃない。だいたいお前が……」
「きっと、そのお漬け物でまるめこまれちゃったんだ! そんなにおいしいお漬け物だったのに、ぴりかには教えてくれなかったんだー。」
よよーと恨みがましい泣き声を上げて、テーブルに突っ伏してしまった。
「……だ、か、ら。頼めばいいじゃないか、頼めば。天野にひとこと、『ちょーだい』かなんか言えば、それで済む問題だろう? なぜ、盗む?」
問いただしてみたが、ぴの字はぐでーっとふて腐れて、こぼれたビールを指先でいじって、テーブルの上にネズミの絵なんか描いていやがる。(by雪舟涙の鼠の図)
こんのくそチビがあー、と奈緒志郎がキレかけた時、
「おいしいのよね? そのほうが……」
急に徹子(41)が、秘密めかしたような言い方で、ぴの字にそっと囁きかける。
ぴの字はゆっくりと頭をもたげ、じっと徹子を見返す。
「ねえ? そーんないけ好かない男の子に、ちょーだいなんて言うの、業腹だわよねえ。自分の力で、盗み出すからこそ、おいしいのよ。そうでしょ?」
そう言って徹子は、にやっと凶悪に笑って、皿の上の生キャベツをつまんで、ぱりぱりと音高く齧ってみせる。
「じゃあ、このキャベツも、盗んできたんだ?」
こっくりと、ぴの字が頷く。
「ふ、ふ、ふ、おいしいわねえ。ぴりかちゃんが盗んできてくれたものだ、と思ったら、おかーさん、100倍おいしい気がする。ふ、ふ、ふ……」
ぴの字はしばらくの間、黙って徹子を眺めていたが、やがて、同じ凶悪さでにやり、と笑い、むっくりと身を起こして、自分もキャベツをつまみ始めた。
ぱり、ぱり、ぱり。奇妙な静けさに包まれた高橋家のダイニングテーブルに、不気味な笑い声と、キャベツの音だけが響く。
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