minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

8

  重点を置く箇所

 

 

「そんな状態になっているのは、空腹のためですか?」

 不意に背後から男の声がして、心臓が飛び上がるほどびっくりする。

「あるいは、寒さのために凍えているのですか?」

 いつのまにか、ボンネットに突っ伏して、半分眠りかけていた。あわてて上体を起こすと、上に並べてあったバッグの中身が、ばらばらと地面にこぼれ落ちる。

「鍵をなくしましたか?」

 そう言って、誰かがキーホルダーをつまんだ指先を、ぬうっとかおりの顔の前に突き出してきた。ネームを刻んだ、プラチナのプレート。間違いなく、かおりの車のキーだ。

 恐ろしく背の高い少年だった。首を、うんと上へ向けなければ、顔が見えないような感じ。長いダッフルコートを着て襟を立て、首には青いマフラーを巻き付けている。

 そうしておかしなことには、そんなファッションの上から、籠を背負っていた。昔の農作業で使われていたような、大きな収穫籠だ。

「あっ……ああ、そう、わたしのです……どうして……どこにあったのかしら?」

 恐怖を表に表さないよう、極力、朗らかな声音で尋ねながら、恐る恐る手を伸ばして、キーを受け取る。

「坂道に落ちていました。僕は明朝、職員室に届けるつもりでそれを拾いました。するとあなたがこの駐車場で、半ば倒れたような状態でいるのを発見したので、これはあなたが落とした鍵だろうと、見当をつけたのです。」

 聞きながら、頭がさらに混乱してくる。口の中が、苦い汁で、いっぱいになるような感じがする。

 この喋り方には、覚えがある。

「ご病気ですか?」

 と、少年がまた尋ねる。かおりが再び、ボンネットに片手をついて、気を失いそうな様子になったためだ。

「なにかお手伝いすることはありますか?」

 なにかおてつだいすることはありますか? ……ああ、やめて。そんな風に、わざとらしい言い方はしないで。いやみな口の利き方はやめて頂戴。どうしてもっと普通に喋れないの。いったいなにが不満で、ママにそんな他人行儀な態度を取るの?

「どうして……そんな……」

「畠山さん。畠山さん。失礼して、少し、鍵をお借りします。」

 背の高い少年が、かおりの手から、キーホルダーをもぎ取る。

 スイッチを押してロックを解除し、運転席のドアを開けると、かおりの肩を支えて、シートまで連れて行ってくれる。

「落ちたものは、僕が拾います。座ってお待ちください。」

「あ……」

 ありがとう、と言うべきなのはわかっていた。彼はおそらくここの生徒で、かおりは保護者だ。きちんとした学校の生徒の保護者なら、よその子供に、それくらいのことは言うべきだ。

 けれど、舌が動かなかった。

 呆然としたまま、かおりは座席にくたくたと座りこむむ。足を外に出したまま、背もたれにしがみつく。

 少年は、まず、背負っていた籠を、地面に下ろした。

 ずいぶんと重たそうだった。覗くと、中は、手のひらに乗るくらいのかわいいカボチャで、すれすれまでいっぱいだった。

「なにこれ?」

 あまりに意外だったので、思わず口をついて出る。

「ミニカボチャです。」

「なぜこんなにたくさん?」

「園芸部で育てたものです。顧問の先生の仲介で、この学園の付属幼稚舎に、クリスマスプレゼントとして届けに行くところです。」

 そう言って、車の前に回り込み、かおりのバッグの中身を拾い始める。

 やがて、戻ってきて、抱えこんできた物を、ひとつずつ手渡してくれる。財布、携帯、カードケース。ハンカチとポーチ。香水、口紅やファンデーションなどの化粧品。いくら背が大きくても、まだ高校生の男の子に、こんなこまごまとした女の日用品を拾わせて、少し、申し訳ないような気分になる。

「それで、全部でしょうか。」

「ええ……どうもありがとう。」

「ひとりで運転して帰れますか? 誰か、宿直の先生を呼びにいったほうがいいですか?」

 言われてみれば確かに、運転するのが不安なほど、ふらふらしている。

 けれどこの少年に、もうこれ以上なにかさせる訳にはいかない。

「大丈夫……この後、もうなにも用事はないし、少し、休んでから運転するから……」

「空腹なのではありませんか?」

 馬鹿げた質問、まるで人を乞食みたいに……と思った瞬間、ぐうーっ、と大きく、おなかが鳴った。

「いやだ、わたしったら……」

 なにを言っているんだろう。こんな子供を相手に。

 もう自分が恥ずかしがっているのかどうかもわからない。どういう感想を持ったり、どういう反応をすればふさわしいのかもわからない。

 かおりがひたすらに混乱して、二の句も告げずにあたふたしていると、少年はダッフルコートのポケットに手を突っ込み、小さな紙袋を取り出した。

「よろしければ、どうぞ。」

 そう言って、まるで表情も変えずに、かおりの鼻先に突き出す。香ばしいパンの匂いが、鼻腔をくすぐる。

「これ……なに?」

「僕にもわかりませんが、サンドウィッチのようです。」

「わからない、って?」

「友人たちに貰いました。」

「お友達に? でも、だったらあなたが食べなくちゃ。」

「僕は空腹ではないのです。寮で、夕食は済ませました。このカボチャを取りに園芸部の部室へ行ったら、隣接する部の部員たちが会食していました。そして僕の幼馴染みが、お裾分けだと言って、それを寄越したのです。」

 言いながら、じっと紙袋を、かおりの顔の前に差し出し続ける。

 かおりは、それを、受け取った。

「ありがとう。……あなた、ずいぶん、優しい子ね。」

 ふと、そんなことを呟く。

 ずっと無表情だった少年は、それを聞いて初めて、ほんの少しだけ表情を変える。びっくりしたような、いぶかしげな表情。

「……今までに、人からそんな風に言われたことはありません。」

「あら、じゃあ、どんな風に言われているの?」

「大抵は、変わった人間だと言われます。」

「そうね、それは……」

 ぷっ、と吹き出してしまってから、かおりは続ける。

「それは確かに、その通りかもね……。でも、変わっていても、とても優しいわ。わたしの息子も変わっていたけれど……あの子は、優しくはなかった。」

 笑いながら、そんな言葉が、ぽろりとこぼれる。

「……変わっているけれど優しい。変わっていて、優しくない……」

 ぶつぶつと、自分自身に言い聞かせるように、少年が呟く。

「この言い方では、つまり畠山さんは、変わっているかいないか、の方にではなく、優しいか優しくないか、の方に重点を置かれているわけですね?」

「そう。」

「それで、本日僕の取った行動が、あなたには優しく感じられたのですね?」

「その通りよ。ねえ、どうしてわたしの名前を?」

「キーホルダーに刻まれていました。偶然にも、僕の天敵と同じ名であったので、覚えてしまいました。」

「天敵? あなた、天敵なんてものを持っているの?」

 こんな大きな少年がそんな言葉を使うので、かおりは頭の中に、もっとごつい感じの、上背だけではなく、横の幅もありそうな、不良っぽい少年を想像する。

「はい。」

「どんな人なの?」

「僕の畑を荒らすのです。何度言い聞かせても理解しない。友人との約束があって、体罰に訴える訳にもいかず、ほとほと手を焼いています。」

「まあ、それはひどいわねえ。」

 よくわからなかったが、かおりは一応、そう応じておく。

 と、少年は籠の中から、ちいさなカボチャを2つ、取り出して、かおりの方に差し出した。

「どうぞ、お持ちください。」

「あら、でも、幼稚園に持って行くんでしょう?」

「数はじゅうぶんにあるのです。多分、これでもまだ余るでしょう。」

「でも……」

 カボチャの料理など、どうしていいのかわからない。

 そう、顔に出たわけでもないだろうに、少年は親切に教えてくれる。

「大して手間はありません。このまま電子レンジで、5分程度加熱すれば食べられます。」

「電子レンジ? そんなので大丈夫なの?」

「はい。それで後は、種をくりぬいて、バターなどを入れられてもいいかと思います。僕は試したことはないのですが、天敵はよくそうやって、スプーンでほじくって食べています。」

「あなたのカボチャを勝手に取った上に、そんなことまでするの! その人、ずいぶん図々しいのね!」

「全くです。親の顔が見たいとはこのことです。」

 重々しく頷きながら、そんな言い回しを使う。それからぶつぶつと、小声で付け加える。

「……あるいは、家で食事を与えられていないのか……とにかく、よく食う奴だ……」

「じゃあ、頂いてみるわ……。どうもありがとう、いろいろと……」

「どういたしまして。では、僕はこれで失礼します。」

 そう言って少年は、地面に置いた籠を背負い直す。本当に、すごく重そうだ。

「あ……ねえ、良かったら、その幼稚園まで乗っていく?」

「いえ、結構です。畠山さんは、まずカロリーを摂取して、元気になってから運転した方が安全かと思います。」

「……そうね。事故に巻き込んじゃったら、却って申し訳ないわね。」

「では。」

 長い首を、かくりと折り曲げるような、おかしなお辞儀をひとつして、少年は、暗い坂道を下っていく。

 かおりはなんだか、ものすごく非現実的な気分で、それを見送った。

 

 

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