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覗き窓
寒さで目が覚める。
ここはどこだろう、という疑問が頭に浮かぶまでに、そもそも何分もかかった。
腕時計をみる。ファッションウォッチの小さな文字盤は、この暗がりの中では読み取れない。かおりはハンドバッグから携帯を取り出し、時刻を確認する。
5時15分前……12月の夕刻は、こんなにも早く暮れるものだということを、久しぶりに実感する。
寒い。早く起き上がって、歩き出さなければ、凍えてしまいそう。そう思うのに、体が冷えすぎていて、立ち上がることもできない。
凍死というのは、こんな日本の温かい地方でも可能なのかしら。そんなことを考えて、かおりは少しだけ笑う。それから、座ったまま、なんとか少しでも暖をとろうとして、手のひらで肩の辺りをこすってみる。
身動きしてみると、腰の辺りがほんのり温かい。手を伸ばしてみると、下に敷いた、かさかさに乾いたたっぷりの落ち葉が、かおりの体温で暖まっている。
それを少し、掬い上げて、膝の上に乗せる。両足を埋めて、体の前にもかけ、胸に抱きしめる。
厭わしいような、懐かしいような、少しすっぱい土の匂い。
ひどく、みじめな気持ちだった。
誰のせいだというのだろう。どうしてこんな酷い事になるのだろう。自分も含めて、身の回りに、そんなに悪い人間など、ひとりもいないというのに。
かさり、かさり……と枯れ葉を踏んで歩く音がして、かおりは瞬時に神経を張りつめる。
誰か来る。
こんなところを、人に見られてはならない。畠山家の嫁が、学校の林で、不審者のように地べたに座りこんで、枯れ葉にくるまっているところなど。
けれど、今、立ち上がっても、間に合いそうもなかった。第一、体が言うことを聞かない。暗がりと枯れ葉が自分を覆い隠してくれることを願って、かおりは息をひそめる。
そして、目を凝らす。やってくるのが、どんな種類の人間であるのか知ろうとして。
その人間は、背中に何か、荷物を背負っているようだった。
リュックサックの類いではなかった。四角くて、平べったい、箱のようなものだ。
妙に背中を丸めて、おかしな歩き方をしている。なんと言うか……まるで、昔のお芝居に出てくる泥棒が、抜き足、差し足、忍び足をしているような歩き方。
そう思えば、背中の四角い包みも、まるで芝居の泥棒の風呂敷包みだ。手を、顎の辺りで握りしめているようなシルエットも、完全に風呂敷を背負った人の格好だ。これで、あとは頬被りでもしていたら、もう完璧に……
してる。
頬被り、してる。
だんだん近づいてくる。黒っぽい風呂敷包みに、仄かに白く、模様が入っているのが見える。
唐草模様だった。
(泥棒……!)
恐怖に身を竦ませてから、そんなバカな、とかおりは思い直す。
いくらなんでも、今時、ほんとうにあんな格好で泥棒する泥棒が、いるわけない。
では、泥棒でなかったらなんだというのか。それを想像し始めると、なおさら怖くなりそうで、ともかくかおりはこの人物を『泥棒』だと認識することに決める。
泥棒は、かおりの足元から、ほんの1メートルほど先の地面をゆっくり、ゆっくりと通り過ぎ、2、3歩進んでから、ぴたり、と立ち止まる。
そして、低く、口笛を吹いた。
「いるか?」
と、声がする。まだ若い男の声。
「いるよー。」
と、囁き返す女の……少女の声。きひひひ……と下品に笑いながら、さらに続ける。
「とったとった、ばーっちり。いやー、最後、高橋先輩にみつかっちってさ。ちょっとだけ追いかけられたけど、なんとか逃げ切ったよーん。」
聞きながら、かおりは頭がくらくらする。
ぴりかの声に似ている。喋り方がひどく幼く、軽薄だったが、その独特の、潰したような甲高い声は、間違いなく娘のぴりかのものだ。
「うそぉ。ちゃんとまいたぁ?」
「だいじょぶっ。時間、あと何分?」
「……あと、10分で5時だ。しかし、あのヒトはしつこいからなあ。油断は……」
「見つけたーっ!!」
ピィィィーッ! とホイッスルの音がして、背後から懐中電灯の光が、林の中へ差しこまれる。
「岩村! ぴの字! 神妙にお縄をちょうだいしろいっ!」
「むぎゃー!!」
「走れ! こっち!」
がさがさっと足音高く、声の主が、かおりの目の前を通り過ぎる。
懐中電灯の灯りに照らし出されたのは、さっきの泥棒。そのすぐ後を、黒ずくめの忍者の格好に、泥棒と同じ唐草模様の風呂敷包みを背負った、小さな少女の影がついていく……
「……ぴ」
危うく呼びかけそうになって、かおりは寸前で、声を飲みこむ。
なにをしているの? わたしの娘は、一体なにをしているの?
「おーい、高橋せんぱーいっ! どこですかーっ!」
「ここだ! 坂道越えて、雑木林の方まで来てやがるーっ!!」
叫びながら、その追っ手も、かおりの目の前を駆け抜ける。
この学校の制服の上に、藍染めの法被を羽織った背の高い少年が、頭に、時代劇の月代のかつらを被って、右手に十手、左手に懐中電灯を持って。
「ヤマダ! 坂道の下から回りこめ! 遊佐は坂道を見張ってろ!」
その瞬間、木の反対側から、黒いヴェールの付ついた帽子を被った、黒いスーツ姿の少女が飛び出してきて、月代の少年の前に立ちふさがる。
「たーっち!!」
「わ。」
ぴたりと、少年は動きを止める。
「ぬぬぬ、美優ちゃん。」
「ほほほ。」
スーツの胸に手を入れて、小さな銀色のピストルを取り出す。
「フリーズしたついでに、死んで頂きますわ。」
銃口をぴたりと額に当てて、口で言う。
「ばきゅーん!」
「がくり。」
これも口で言って、少年はその場に倒れた。
「ちゃーんと100まで数えて下さいよー。」
と言いながら、スーツの少女は、さっきぴりかたちが駈けて行った方角へ走りだす。
「わかってるっ。ちくしょう、もう時間ねーのに……。いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお……」
「おー、高橋先輩。死体ご苦労様っす。」
言いながら、また別の人影が、背後の坂道の方から近づいてきた。
制服の上に、真っ黒な長いマント。四角い眼鏡をかけて、頭にはドクロを染め抜いた、海賊の首領の帽子。腰には半月刀。
「死んでる気分は、いかがですか。」
「……じゅーきゅ、にーじゅ、にじゅいち……」
「返事くらいしてくださいよー。冷たいなー。」
「……にじゅきゅ、さーんじゅ、さんじゅいっち……」
「オーストリア皇太子がサラエボで暗殺されたのは西暦何年?」
「やかましーい! さっさと自軍を助けに行けー!」
一瞬だけ起き上がった死体に一喝されて、海賊は、あはははは……と笑いながら立ち去る。
「……さんじゅさーん、さんじゅしー、さんじゅごー、さんじゅろっく」
「うわあああ! 来たあああっ」
どっと大勢が押し寄せてくる。泥棒、ぴりか、海賊、スーツの少女。それを追って、ポインター種の犬(着ぐるみ)、巨漢の兵隊、それに、なんだかよくわからないけれど、昔のテレビに出て来た正義の味方風の扮装の少年。
「お宝を寄越せえええい、てやーっ!」
正義の味方少年が、腰に差していたフェンシングの剣で、ぴりかの頭に一撃を振り下ろそうとする。と、横合いから海賊が、半月刀でその剣をはっしと受け止める。
「ぬぬ、邪魔するか。」
「ははははは、ゴーヘーめ、僕の相手をするのは10年、あ痛っ!」
ぴしりと足をぶたれて、海賊がぴょんぴょん飛び跳ねる。
「ゴーヘーお前! ひとが台詞言ってる間に攻撃すんなよな!」
「甘いっすよ三浦先輩。勝負はシビアに、いでー!」
後ろに回りこんだ忍者姿のぴりかが、正義の味方少年の尻を、日本刀で突いた。
「ひっ……でー! ぴりか先輩、今のはひでー!」
「勝負はシビアに、あっ! あっ、あー!!」
ぴりかの後ろに回り込んだポインターが、風呂敷包みをつかんで引っ張ると、結び目がほどけてしまった。
「とったりぃー!!」
「よし、ヤマダ! 陣地へ走れ!」
ポインターが、走って林を出ていく。
「美優せんぱい、早く! たっち、たーっち!」
「ヤマダくーん! 待ちなさーいっ!」
スーツの少女が、ピストルを差し上げながら、犬を追っていく。
「……きゅーじゅはっち、きゅーじゅきゅー、ひゃーくっ! おりゃあ、貴様らああ!」
倒れていた月代少年が、がばっと跳ね起きて、十手を振りかざす。
「泥棒組、覚悟!」
「くそー、こうなったら、聡の持ってる箱だけ死守!」
泥棒を後ろに庇い、海賊とぴりかが、各々の刀を構える。
と、その泥棒の背後から、どこかイスラム圏の女性の衣装を着た影が、そろーりと近寄ってきた。
「たーっち! 岩村先輩、フリーズ!」
「わー、やられた!」
「ぎゃーっ! 鈴ちゃん、ひどいいいいいい」
泥棒が立ち尽くしたまま固まって、100、数えだす。月代少年と兵隊と正義の味方、対、忍者ぴりかと海賊、の組に分かれて、乱闘が始まる。
「とおっ!」
「たあっ!」
「てえーいっ!」
乱闘、と言っても、子供のチャンバラごっこだ。お互い、相手の太刀筋を見ながら、いかにそれらしい形を作るか、だけに腐心している。見ているこっちが、のんびりしてくるようだ。
「くそう、三人掛かりとは卑怯だぞ。」
と、海賊が呻く。
「ふにゃあっ!」
とぴりかが叫ぶ。兵隊姿の少年に、刀をはじき飛ばされてしまった。
「くノ一、覚悟!」
と言って、兵隊少年が、ぴりかの頭上に刀を打ち下ろそうとする。そこへ、また新たな少年が飛び込んでくる。ジャージの上から、横縞の水夫シャツ。頭には白いタオルを巻いている。多分、海賊の手下。
「ぴりかちゃーん!」
叫んで、白羽取りで兵隊の刀を受け止めようとして、受け止め損ない、自分の頭に、ぽこりと直撃を食らう。
「痛い。」
「ふおおー、たかもくーん!?」
と叫ぶぴりかの目の前で、少年はゆっくり倒れた。
「ごめん、死んじゃった。」
「わはははは! 高杢、バカじゃねー!?」
「うるせー遊佐! お前、僕が出てきた途端に速度上げたろう、振り下ろす速度!」
「ったりめーだろ。愚痴る暇に早く100、数えろ。」
「いーちっにーいっさーんっ」
「早ぇえ! だめだ、そんなん。」
「わーっ!! とられるー!!」
泥棒が、固まったまま悲鳴を上げる。月代の少年が、風呂敷包みを奪い取る。
「むはははは、確かに返してもらったぞ。ものども、そ奴ら、しばし足止めしておけい! 鈴ちゃん、急いで陣地に帰るぞ!」
「はいっ。」
ぴりかが兵隊少年と、海賊が正義の味方と、渡り合っている間に、月代の少年は、イスラムの少女を連れて、この場を立ち去ろうとする。
と。
「たっちたーっち! 高橋先輩、フリーズ。鈴ちゃんもフリーズ!」
「わああああ」
もう、かおりの視界からは外れていたが、どうやらあのスーツの少女が戻ってきているらしい。
「美優先輩!」
と、ぴりかが、喜びにあふれた声で叫ぶ。
「じゃーん!」
と言いながら、スーツ姿の少女が、かおりの視界に現れた。風呂敷包みを、両手に、ひとつずつぶら下げている。
同時に、いくつものアラームが、一斉に鳴り響く。
「5時っ! 終了! しゅうりょーう! 泥棒さんチームの勝利、いぇーい!!」
「やった! 美優ちゃんサイコー!」
「すげーっ!!」
雑木林のうす闇の中に、ぴりかと友達の声が、響き渡る。
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