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本番です。
桃李学園中等部文化祭。高等部より、一週間先に開催される。
中等部は、部外者の出入りが、それほどフリーじゃない。生徒たちが、自分の保護者や家族、友人に入場券を配り、事前に名前と人数を、学校側に報告するようなかっこうで、全く無関係な人間が校内に立ち入ることを規制している。軽音部のステージも、いつもの部室に暗幕を張っただけのチャチな奴だ。
対して高等部は、中庭に野外ステージは組むわ、周囲に飲み食いできるもんの屋台もたくさんできるわ、大学部からも近いわ一般のお客さんも入っていいわで、盛り上がりにはどうしても、雲泥の差ができる。
「ほんでも、今年は他に面白そうなもんと重なってないし……去年よりはマシかなー。」
ソデから客席を見ると、かなり椅子は埋まっているし、廊下にもまだ、ヨソのガッコの制服を着た女の子たちの集団が、いくつもたむろっている。
びびるだろうなー、このコたち……。想像すると業平は、チキチキマシンの犬みたいな、うしし……という意地の悪い笑いがこみ上げてくるのを止められない。
追っかけごっこでキャーとか叫んで、平凡な日常生活のストレスをちょいと発散しようと思って来ただけなのに、新たな悪夢をお見舞いされちまうんだから、お気の毒。
時間が近づいてきたので、控えになっている隣の教室に入っていく。
すると、床の上で、滝先輩お手製のばちばちの衣装を着たぴりか先輩が、三角座りで縮こまって、ナミダ目になっていた。
「どっ……どうかしたんすかっ!?」
あまりのことに仰天して尋ねると、そのぴりか先輩の背中を撫でさすりながら、よーこ先輩が困り笑いで言う。
「いやー、ぴりかちゃんはねえ、ちょっと、緊張しちゃってて……」
「ハア!?」
意外だー! 意外すぎるー!
口開けっ放しでアホづらさらしていると、腕を組んだ滝先輩が、脇から追加の説明をしてくれる。
「夏の芝居の時もこんな感じでね……。普段、あれっだけ人前でバカをさらしといて、今更なにを、と、こっちは思っちゃうんだけど……」
「でも、確かに本番の舞台に立つって、別ものだわよー。」
そう言ってよーこ先輩が、ぴりか先輩を胸に抱きしめる。
「それがわかってるから緊張するの。いいことよ。すごくいいこと。でも、もうすぐ幕が開くから、気持ちを切り替えよう、ね?」
「う、ううううううー……」
「泣かないでよぴりか! メイクだめにしたら怒るわよ!」
「あー、責めない責めない滝ちゃん。」
優しくそう言ってから、よーこ先輩は立ち上がり、よっしょ、とぴりか先輩を抱き上げる。ぴりか先輩は腕をだらんとぶら下げたまま、おとなしく、されるがままになっている。
「ゴーヘーくん、あと何分?」
「あ……5分くらいっす。」
「それだけあったら大丈夫。よしよし、ぴーちゃん。ぴーこちゃん。」
言いながら、教室のすみっこに行って、そこであかんぼでもあやすみたいに揺すってやっている。
「ぴりかちゃん、ぴーこちゃん、ぴりこちゃん、ぴっぴちゃん……」
「だ……大丈夫なんすか?」
と、傍らの滝先輩に尋ねる。
「多分ね。あの時も、出てしまえばいつも通りだったし……。さて、これであたしの仕事はおしまいだから」
てきぱきとメイク道具を片付ける。
「帰る。」
「え。見てってくれないんすか。」
「部室で散々見た。」
「でも、俺が叩くとこは1回も見てないじゃないすか。その後、ベースで……」
聞いてない。振り返り様に、ちらりと舐めきった視線をくれて、無言で出ていってしまった。
「……脈ねーな。」
呟いた後、ふと、滝先輩ってっば、「そーくん」のことなんかは知ってんのかなー、ということが、ちょっとだけ気にかかる。
出てしまえば、確かに大丈夫だった。ぴりか先輩ってば、やっぱスゲー奏者だ。
背がちびっこいから、全く年上には見えないのに、そこらへんの中学生なんぞは軽く超えちゃってる腕前。滝先輩の作ったちょっとロリっぽい衣装の威力と相まって、予備知識ナシで見に来た野郎どものハシャぐこと、おののくこと。
ただ、それでも……なんとなーく、物足りないものを感じる。
叩きながら、時々振り返るぴりか先輩の横顔を見て、業平はどうにもこうにも、腑に落ちない気分だった。普段、そこらへんでお遊びで弾いてる時には、もっとこっちに聞かせようとしてくるっつーか、遠慮会釈なしっつーか、手加減なしっつーか、ともかくパワーが炸裂してて、一緒にいるこっちが、「ついていけましぇーん!」ってなるくらい、突っ走ってるのに。
だいたい、顔が、笑ってない。
中坊がつっぱってるみたいな、別にウケてくれなくてもいいわよ的な、予防線張ってるみたいな顔。
それはそれでイケてる。でも、業平の趣味じゃない。期待していた演奏との、微妙な食い違いが、業平を奇妙な、物悲しい気分にさせる。
対するに、よーこ先輩は……神だった。
縄文の女神。それが、滝先輩の作った、新しいよーこ先輩の衣装だった。
これがもう、はまりまくり。しかも、ここ何週間かで、ばつぐんに上手くなっちゃってる。もともと才能があったとしか思えない。
トップに持って来たのが大正解。3曲だけやるゲストの企画ものバンド、客の数はそれほどでもなかったけど、不意打ちくらっていきなり熱狂させられちゃった客が、その後もずーっと飛び跳ねてくれたおかけで、後から来る連中にもたちまち気分が伝染して、トリまでそのまま、突っ走ることができた。
焦ったのは、そのトリのミツアキが、ギリギリまで来なかったことだ。
「おせーっ、ミツアキてめー! しかもなんだ、制服じゃねーか!」
「わりい。」
そっけない言い方が、それ以上理由を聞くことを拒んでいる風でもあったし、実際、時間もなかった。
「衣装どーすんだ。」
「いらねーよ。」
そう言って、上半身、全部脱ぐ。
左の胸に彫ったタトゥーがあらわになる。シールなんかじゃない、本物の、黒猫と鴉のタトゥー。
「おし、行きますか。」
と言いながら、ベルトを外して投げ捨てる。制服のズボンがずり下がって、トランクスが半見えになる。紫の地に、白い蛇プリントのトランクス。
「んまー、ミツアキくん、せくしー。」
「演奏中に襲うなー。」
「心配ならケツしめとけー。」
お下品な掛け合いでぎゃははっと笑って、いつもの調子を取り戻す。
暗幕とライトのせいで、真夏のような暑さになったステージに出ると、出口のそばの席に、高等部の、あのマイナークラブの人たちが固まっているのが見えた。
衣装のままのぴりか先輩がいる。よーこ先輩と並んで、こっちに声援を飛ばしてくれてるのは、朔太郎さん。
松野先輩も来ているし、和琴弾きの美優先輩もいる。それに、演劇部の並びの部室で、いっつも妙な本ばっかし読んでいる、オタクっぽい連中。
「おーっ、ゴーヘーだあ、ゴーヘーが出て来たー」
「やんや、やんや~」
「いつにも増して、髪、尖っとるのー」
「見とるぞー。しっかりやれー。」
「なんだー、ミツアキのあのエロい格好はー」
「ズ~ボ~ン~を~落~と~す~な~よ~」
なんか……まるで田舎芝居を見に来たジジババ連のよーな盛り上がり方。
見事なり、桃園会館ご一行様。会場の中、あの辺りだけ空気違う。前の方の客が、不気味そうに、後ろをちらちらと振り返っちゃってるじゃねーですか。この雰囲気の中で、客の分際で、ここまで個性化を図れる、っつーか、浮ける人たちって、ちょっといねえ。
チューニングしながら、業平はミツアキと目を合わせて、とほほほ、という顔をしてみせる。
ミツアキも同じ顔をして笑い、それから、真っ直ぐ、ぴりか先輩の方を見て、最初の曲を演奏し始める。
すぐに、前の客の頭に隠れて見えなくなったけれど、ぴりか先輩も、確かにミツアキの方を見ながら、何か、叫んでいた。
今はもう、楽しそうな笑顔だった。
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