6
しらんぷり
「なに、寝てんだ。」
と言う声に目を開けてみると、ミツアキが自分の中学の制服姿で立っていた。
「お。……直接来たんか。」
目をこすって、うーんと伸びをする。なんだか頭が、すごくスッキリしている。
「跨がれてたぞ、ここの人たちに。」
「うっそ、そんなに爆睡してた? 俺。」
ウクレレがやんでいる。振り返ると、きゅうりがいなくなっていた。あいつめ、ちょっと起こしてってくれりゃーいいのに……と、思った後で苦笑する。まあ、ムリだよな。
「お前どこででも寝るなあ。」
と、呆れ声で言いながら、ミツアキが少し、離れた段に腰を下ろす。
下ろしながら、ふーっとため息をつく。横顔が、心なしか、曇っているように見える。
「どうした。なんかあったんか?」
「んー?」
少し黙ってから、ミツアキはぽつり、と言う。
「……いや、別に。この前の模試のさ、点数が悪かったんで、お前このままじゃ高校行けねーぞって、そんな話。」
「なーんだ。」
と業平は返し、拍子抜けしたような顔で笑ってみせる。
「今に始まったことじゃねーじゃん、そんなこと。」
「まーな。」
と言って、ミツアキもいつもの顔に戻る。
でも、多分、そんなことじゃないんだろう。
溝を感じてしまう時というのは、やはりある。
業平がどんなに、そんなものはない、というふりをしようとも、だ。
ミツアキの家は、母子家庭だ。最初は、親父のことなんかまるで覚えていない、と言っていた。物心つく前に死んでるから、顔も知らない、と。
それは、話をわかりやすくするための親切なウソだ、ということが、後になってだんだんとわかって来た。
その男は、たまにふらりとやってきては、ミツアキ親子と一緒に晩の食卓を囲んだり、何日か泊まっていったりしたのだそうだ。母親は、時にはその男を「パパ」と呼び、別の時には「カレシ」だと言った。
謎は謎のまま、ミツアキは成長し、
「つい最近になって、顔がくりそつ、ってことに気づいたんだ。頭の形とか、骨格とか……ま、ケッタクソわりーけどな。」
ということで、それが父親だという判断がついた、らしい。
そういうのって、どういう気持ちのするものだか、業平には、どんなに想像力を働かせても、よくはわからない。
そして、わからない以上は、つっこまないほうがいい。なんとなく、そういうラインが見える時って、従った方がいいんだ。
だから業平は、ミツアキと一緒にいる時には、鈍感になるクセをつけてしまっている。
自分でも気付かないうちに、自分の感覚の一部を封じてしまっている。
「ほんでもまあ、たまーにお前がうらめしくなるな。なんでゴーヘー、俺とつるんで、そんなにアタマいいんだよって。」
「よかねえよ、そんなに。」
「悪くてこんなガッコ通えるかよ。」
「知るかよ。こっちはよーちえんから放りこまれてんだぜ。それでまわりじゅうが、お勉強ばっかししててみろよ、それが普通なんだと思っちまうじゃねーか。ここが特殊だって気づいたら、それでオシマイ。今は過去の積み立て切り崩してる状態。そのうち底つくさ。」
冗談にして、笑ってオシマイ。でも業平は、心の奥が、少し痛い。
勉強は、してる。落第しない程度に。それはいつも、少し後ろ暗い、裏切るような感覚を伴う。
バンドしてると、ホントにみんな、一緒にプロになろうぜー、って軽く言う。自分には、音楽より他、なんにもないから、と。
でも、大抵の奴らには、ちゃんとホケンがかかってる。
テストの時期には練習を控える。ガチで親と縁を切ったりしない。熱が冷めたら、いつでも普通のレールに帰れる。ちゃんと逃げ道は残してある。
ミツアキには、それがない。
だからこそ、特別なのだ。
「ややや? ゴーヘーとミツアキ、もう来てるっ。」
入り口が騒がしくなって、よーこ先輩とぴりか先輩、それに、もうひとりの演劇部員の小笠原朔太郎先輩が、手に手になにか、芝居の道具を抱えて帰ってきた。
「愛し合ってるかーい!」
というぴりか先輩の挨拶に、イエーイ! と業平が返し、
「きしょくわりーこと言わねーで下せー!」
と、ミツアキが返事して、二人で笑う。
ほら、練習の始まりだ。つまらないことは、わきに置いとこう。
この共同戦線が、いつか壊れる日が来るなんて、業平は考えもしない。考えたくなんかない。
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