10
Boys Don't Cry
打ち上げの間、ミツアキはずっと隅っこの方で、ひとりでギターをいじりながら、酒ばかり飲んでいた。
業平が隣に座ろうとすると、
「いいよ、これお前の部なんだからよ。最後くらい面倒見てやれ。」
と言って、追い払うような手つきをする。
それなら別に、無理してこんな席につき合うこともないのに。普段、大勢で騒ぐのがそれほど好きじゃないミツアキにしては、珍しいこともあるものだ、と思っていた。
夏以来、母親がずっと入院していて、今日が危篤だ、という事実を、ついにミツアキが教えてくれる気になったのは、その打ち上げが終わって、二人で歩き回っていた時だ。
「もーそろそろ、死んでる頃かな。」
と、蛍光の腕時計を見ながら、そっけなく言い放つ。
「……い、」
言葉が喉に引っかかる、ってホントにあるんだ、と業平は思う。喉仏に、割れたラムネ玉が挟まってるみたいだ。
「今、いなくていいのか? その……病院?」
「別に。」
と速攻で答えて、ミツアキは足を速める。
「実を言えば、逃げてきたんだ。うっとーしーから。」
スタジオやライブの後、足の向くまま、気の向くまま、何時間も歩き続けることが、業平とミツアキの間ではよくあった。
けれど今日、先に立って歩くミツアキには、はっきりとした目的地があるようだった。
夜の林の中を、携帯の灯りで、足元を照らしながら進む。
林を抜ける……闇の中に立つ桃園会館は、もう、ミステリーハウスには見えない。
整然と作られた畑。確か、園芸部だかが作っているものだと聞いた。秋の、香ばしい草の匂いが、夜の空気の中に漂っている。
ぽしょぽしょと、脱力系の水音がする。中庭の真ん中にある池の、魚の口から吐き出される、噴水の音。
二人で、その噴水の脇に座り込む。もうすぐ死んで行く虫たちが鳴いている。
かなり長い間、黙りこんだ後で、業平はもう一度、確認してみた。
「いいのか、本当に?」
「ああ……別に恩とか感じてないし。お前がいなきゃ再婚できた、とか、産まなきゃよかったとかフツーに散々言われたし。正直、特に思うところもねーんだな、これが。」
そんな話を聞くのは、初めてだった。なんとなく業平は、会ったこともないミツアキの母親というものが、なんのかんの言っても結局ミツアキひとりを生き甲斐にしている、頭良くないけど基本優しいおばさん、みたいなものだろうと、勝手に想像していた。
「こっちの体がでかくなって、殴ろうったって顔に手が届かなくなった後は、もうできるっだけお互い、存在無視して、見ないように見ないように暮らしてきて……。それが、死にそうになったからって、なんで急に、母ひとり子ひとりで生きて来ましたー的なケナゲな親子、医者だのセンコーだのの前で演じなきゃならんのよ? 期待されても困るんだわ、そーゆーの。ほいでも、向こうはもう、そういうものが見れると思って、完全にその気になって、涙腺緩めて待ち構えてるっつーか、泣く気マンマンっつーか……もう、雰囲気、ケッタクソわりくってよ。その手は食うか、って感じで、俺はどーしても文化祭出なきゃ、友達と約束あるから、つって、できるだけすぐ戻りまーすつって、出てきた。」
ひひっ、と乾いた笑い声を立てる。
……よくないんじゃないのか、という気が、業平には、する。
自分の親に置き換えて考えようにも、どうにも環境が違いすぎる。ケッタクソわりいと思うことは、ある。尊敬も、あまりしていない。
それでも、もし両親のどちらかが、今死にかけているとしたら、俺にここまでのことができるだろうか。
「……一緒に、行こうぜ。」
「あ?」
ひとりで先に立ち上がって、2、3歩歩いてから、ミツアキを振り返る。
「俺も行く。ミツアキの母親、死ぬとこ見に……だから、道、教えてくれ。」
黙りこんで、ふうっとため息をついて、ミツアキはうなだれ、首を横に振る。
「どこだ? 病院。」
「…………。」
「遠いのか?」
「…………。」
「行こうぜ、なあ。後々、寝覚め悪いぜ、きっと。だって」
「やめてくれ。」
言えば言うほど、白々しい。それがわかっていて言い募る業平の、何倍もの重みで、ミツアキは呟く。
「お前まで、そっちにまわんねーでくれ。」
悲しみを感じる。親の死に対する悲しみじゃなく、業平がこんなことを言うことに対する悲しみ。それはわかる。
それでも業平は、ここで嫌われてでも、連れていくのが友達だ、と、なぜか思ってしまった。
なにがそう思わせたのかわからない。業平が生まれつき持っている、友達の心に対する直感を、覆してしまうほど古い制約が、働いたのだ。
(生きる限り、絶対に破ってはいけないきまりが、ひとつある……)
「死んじまうんだったら、もう、なんもかも終わりじゃんか……。どんなにイヤな親だったにしても、母親だろ? 産みの親だろ? そこまで、徹底的に拒絶する必要なんて……」
「あるわ。」
囁くように小さな、硬質な声。一瞬、誰の声だかわからなかった。
振り返り、目を凝らす。中庭の入り口の木の上に、小さな女の子の影。
「ゴーヘーがわるい……。こんな苦しい時に、いちばんの友達が、裏切るようなまねをしてはだめ。ミツアキは行きたくない。それでいい。邪魔はしないのよ。」
「でも……」
なんでこんな時間に、ここにいるのか。なにをしていたのか。そんな疑問より先に、どうして自分の考えが間違いなのか、その疑問の方が大きくて、業平はまるで異次元に迷いこんだように、樹上の女の子との対話に入りこんでしまう。
「でも、もう、死んでいく人なのに……」
「誰でも死ぬわ。それだけで全てが許されるほど、生きてる間に為した行為は軽くない。この世界は、あの人たちのゴミ捨て場じゃないのよ。」
がさりと音がして、女の子が、木の下に飛び降りる。
「あたしたちだって、ゴミじゃないわ。」
そう言って、ゆっくりと、こちらへ歩いて来る。
淡い月光に照らされた女の子の顔は、見たこともないほど冷たく、険しかった。
けれど、近づいてくるにつれ、それはいつもの、どこか奇妙なきょろんとした表情になり、やがて、二人の目の前に立った時には、すっかりいつものぴりか先輩だった。
これが、この人の演技。普段、まわりの人間を傷つけないための。
「お散歩、行こ、ミツアキ。」
喉を少し、しぼったような、障りのある甲高い声。
へらへら笑いながら、少し遠慮がちに手を伸ばし、ミツアキの手を握りしめて、強くひっぱる。
「行こっ。」
ミツアキは、黙ったまま笑い返し、立ち上がる。
「ゴーヘーも一緒に行こ。お散歩。」
「え、俺……」
「みんなで行こ。」
そう言って、空いている方の手で、業平の手も握りしめる。
「お散歩はね、お弔いなんだよ……。あっちこっちで、いろんなもの、どんどこ死んでくから……そゆの、全部いっしょくたにして、みーんなあっちへやっちゃうの。だから、こういう時は、夜のお散歩すんのがいちばんなんだ……」
3人で、並んで、手をつないで歩く……林の中を、一列になって。そこから、学園の敷地を静かに抜けて、河川敷を通って、ずうっと、街まで。
歩き続けながら、ぴりか先輩はずーっと、聞き取れないほどの小さな声で、なにか、古い洋楽を歌い続けていた。
小さなぴりか先輩の頭越しに、ミツアキの横顔を眺めながら、業平はふと、
(俺はいつまで、こうしていられるだろう……)
と思って、なんだか子供みたいに、泣きたいキモチになる。
今はまだ、友達がそばにいるけれど。
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