第三話 高杢海斗、探求への一歩を踏み出したる縁 1
毎朝劇場
「ダメなあなたが、好き」
と、その女の子は言うのであった。
ダメって、そりゃひどいなあ、などと、僕はいちおう、反論するワケである。
すると女の子は、そのかわいい顔を……それは、どんな男でも魅了せずにはおかない、幼さの中に秘められた匂うような色香だとか思春期の少女に特有のフェロモンだとか、そういう種類の顔で……意地悪っぽくしかめさせて、
「ダメなくせに。」
と、また言ったりする。
けれどすぐに、ちょっと恥ずかしそうなほほえみを浮かべて、こう続けたりする。
「でもアタシ、あなたのそういうトコ、嫌いじゃないって言うか、むしろそういうところこそ、気になるっていうか……。世の中にたくさんいる、見てくれがいいだけの男たちの中には、決して存在しない『なにか』……。あの人たちって結局、ぜんぜん中身のない、おりこうさんのお坊ちゃんに過ぎないと思うのね! アタシ、たくさんつき合って来たから、わかるんだけど……」
「きみって、とても悲しい思いを、たくさんしたんだね……。」
などと、僕は言うのである。
「むかしのことよ。」
そう言って彼女は、さみしそうな顔をして、そっぽをむいたりする。
僕は彼女の肩に手を……いやいやいや、いきなりそんなまねは良くないか。黙って、後ろに立ってる。
そうこうしているうちに、彼女の方で、ガマンできなくなってしまう。
「いつまでそうやってるつもりなのよ、もうっ!」
そして、目に涙を浮かべて……そう、罪悪感だ。彼女は今まで、あまりにもたくさんの男とつき合ってきた。つき合いすぎた。それで僕に対し、何かこう、自分が汚れてしまっているような、申し訳ないような、負い目を抱えている。
「いいわよ! あんたなんか、どうせアタシのこと、やりまくりの尻軽女だと思って、軽蔑してるんでしょっ! 結局アタシみたいな女、あなたの心の奥の、そのピュアな部分に触れる資格なんか、持ってないんだわ!」
「そんなことはないよ。」
と、僕は言って、彼女の腕をつかむ。そして、じっと彼女の目の中を覗きこみながら言う。
「君の心は、汚れてなんかいないよ。」
「ああ……」
乱暴に振り回されていた彼女の腕から、力が次第に抜けていく。
そしてついに、僕の腕の中に飛び込んでくる。
「高杢くん!」
「 !」
あ、名前考えてなかった……いいや、名前は呼ばないことにする。僕はただ、黙って彼女を抱きしめる。そして、彼女がそうして欲しそうなので……キスをする。ふっかーいやつ。
興奮してきた彼女は、次々に深い行為を求めていく。なにしろこれまでいろんな男とやって、いや、つき合ってきたので、僕と同い年のわりには、大胆なのだ。僕に嫌われてしまわないかという恐れを内心、抱きつつも、さらに深いところから突き上げてくる欲望を、押さえることができない。
僕はもちろん、それを許し、応えてあげる。なにしろ、彼女が大好きなんだから。
「ああ……海斗、海斗。」
と、彼女が僕を、下の名前で呼ぶ。
「大好きよ、海斗。アタシ、あなたの心の奥に隠された、そのすばらしいものがいったい何なのか、早く知りたくてたまらないわ!」
…………はぁ~あ。
自嘲的なため息をひとつ吐いて、高杢海斗は、寮の自室のベッドの上で、ごろんと寝返りを打つ。
夢見が悪かったんだ……と、自分に言い訳をする。どんなだったか忘れたけど、あれは間違いなく、最高の悪夢と言っていい夢だった。あんな夢を見た後で、元気に起きて、元気に朝飯なんか食って、元気に教室へ行けなんて、言う方がムチャに決まってる。ちゃんと気分をメンテしてからじゃないと、授業を受けても、頭に入るわけがない。
時計を見る。6時50分。寮の朝食は6時半から7時半までの間と決まっているから、そろそろ起きなければならない。
カーテンから差し込む光の具合から言って、今日もむし暑くなりそうだ。桃李学園は寮も校舎もエアコン完備だけれど、あの忌々しい部室には、扇風機がひとつあるだけだ。
部室……。海斗の所属する『歴史研究会』の、古びた、埃っぽい部室。
それで思い出した。そうだ。あの本だ。歴研部長の2年生、三浦光輝が、
「しゅくだいーっ!!」
と叫びながら、海斗の頭の上に、どかんと落としてくれた、あの分厚い本。
「1ヶ月以内に読ーむ!!」
などと指示されたのが、連休明けからしばらく経った頃だったから、もうそろそろ読み終えて、なにか、言わなくちゃいけない。
でもはっきり言って、1ページも読んでない。
多分、そのストレスのせいで、あんな悪夢を見たのに違いない。
あれは、どこへ置いたろう……。不承不承、海斗は起き上がり、寝室の中を、あちこち目で探してみる。ない。ルームメイトと共有の学習室へ出て、机まわりを探してみる。そこにも、ない。
部室へ置いてきちゃった……
そう思うと、なんだかどっと疲れて、別になんの関係もないのに、授業に出るのまでがイヤーになる。
どこか痛いところはないか、自分。腹は? 頭は? 熱はないか? 鼻水とか咳とか出てない?
かつて暴走族にからまれたPTSDとか、なんかないか?
なにもない。
公共交通機関を乗り継いで、1時間半の実家から通学していた中等部の頃、
「寮生活だったらな~。どうしても休みたい気分の時とか、自分で決めて休めるのに……」
とか思っていた自分よ。いまがその時だというのに、なにをためらうのか。
でも、いざとなるとやっぱり自己検閲が働いて、常識的に行動してしまう海斗なのであった。ここに母さんがいたら、ダメって言うに決まってるしね。
あきらめて、寝室に戻り、小さなクローゼットをかき回して、半袖のポロシャツと、制服のズボンを身に着ける。
それから靴下を探して、下の方にある引き出しを開けると、空っぽである。昨日、まとめて洗濯室で洗ってきた下着類を、畳んで片付けるのをすっかり忘れていた。
再び、共有スペースに戻る。洗濯室通いに使っている量販店のショッピングバッグは、机の下に放り出されたままになっていた。中をかき回し、紺色の靴下をひとつ取り出して、右足に履く。
それから、もう片方を探すのだが、これがなかなかみつからない。
黒い靴下。白い靴下。別の白。緑。黒……しまった、さっきあの黒いのに履き替えておけば、今、揃ったのに。白地に青のストライプ。黒地に赤のブランドのロゴ付き。これはパンツ。これもパンツ。黒……むう。意地でも出てこないつもりだな。野郎。こうなったら徹底的に探してやる。袋に戻すからダメなんだ。出してかなきゃ。白。黒。白。だんごになったハンカチハンカチハンカチ。Tシャツ。ジャージ。パンツ。黒白黒パンツパンツ黒……
「だあーっ!!」
と叫んで、海斗がついに袋の中身を床全面ぶちまきにした、その瞬間。
ドアが開いて、そこにルームメイトの天野晴一郎が、不気味な無表情で立っていた。
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