minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

第六話、髙橋奈緒志郎、捨て子拾いの血を知る縁 1

1   女の子の望み

 

 

「あたしと自分の家族と、どっちが大事なの?」

 という、1年越しの彼女からの質問に対し、高橋奈緒志郎は、

「それはもう、自分の家族が大事に決まっている。」

 と、ばか正直に即答し、ぱちーんと頬をひっぱたかれる。

「ちょ、ちょっと、ちょっと待て。話は最後まで聞け。」

「いや! もう、別れる!」

 駈け去ろうとする彼女の腕を、必至で掴んで引き止める。

「聞けって、だから。あのな。外でたまに会う人間より、ひとつ屋根の下に生きてる人間関係に軸足を置いとく、っていうのは、生活の基本なわけだよ。そこが揺らいでると、外の人間に対しても、しっかりと核のあるつき合い方ができなくなるだろ? 弥生、俺のこと、ぶれてないとこが好き! なんて言ってたじゃん。そのぶれてない俺って、あの家族との生活からでき上がってきてるわけ。わかる?」

 手首をしっかり握って、こんこんと説いて聞かせる。弥生は自由な方の手で目を押さえたまま、背中でそれを聞いている。

「わかるだろ? 見方を変えたら、俺ってすごいお得な男だと思うよ。だってマイホーム主義だもん。結婚なんかしたら最後、もう、外で仕事だなんだで接する人間の誰よりも、自分ちの奥さんを、いーっちばん大事にするんだぜ? 毎日、家事も手伝うし、子供の世話だってするだろう。休日も絶対に家族優先だし、スイートテンにダイヤモンドが欲しかったら買ってあげるし。な、弥生、機嫌直してくれ……。来週末は、全面的に、弥生とだけ過ごすって約束する。だから、今週だけ、ちょっとかんべんしてくれ……な?」

 ゆっくりとたぐり寄せる。大物のマスをタモに入れる時みたいに、そーっと、そーっと。

 首尾よく腕の中へおさめてから、仲直りの熱いキス。それから、ぎゅうっと抱きしめる。

「……ナオくん。」

 と弥生が、囁くような声で言う。

「なに?」

「あたしのこと好き?」

「好きだよ。大好きだ。」

「さっき言ったことは、全部ほんとう?」

「ほんとうだとも。」

「あたしと結婚して、家族になって……そしたらずーっと、あたしのこと一番大事にしてくれるのね?」

「そのつもりだよ。」

「最初は、二人きりで暮らすのよね? 新しい家で、新しい家族を作るのよね?」

「ん?」

 そこで少し、間を置いてから、またばか正直に答える。

「いやー、それはちょっと、無理なんじゃないかな。俺、長男だし。」

 そして、本日2発目のビンタをくらう。

 

 4月。新しい季節。

「別れ話には、もってこいの季節でありまするな。」

 と、自嘲的に呟きつつ、気がつくと奈緒志郎は、よく知った道を歩いている。

 取りたて免許と、買ていたて中古車。学園の来客用の駐車場を利用してみたりして、それだけがちょっと新鮮だったけれど、あとは3年間通い慣れた坂道。そして、踏み分け道。

 ニセアカシアはまだ、芽吹いたばかり。大学が始まるのは、まだ半月ほど先の話。

 同学年の仲間のうち、気心の知れた連中はみんな、他所の土地の大学へ行ってしまった。よーこちゃんと朔太郎は東京、松野は大阪、エリちゃんは神戸。

 今頃、新しい住処を整えたり、そのまわりを探検したりで、忙しく過ごしている事だろう。結束は固かったが、依存し合う関係ではなかった。卒業式で一騒ぎした後は、

「ほいじゃー。」

 とか言って手を挙げて別れ、しみったれたメールのやり取りなども皆無。でも、帰省してくれば多分、

「おー。」

 とか言って手を挙げて、また昔通りの無駄口を叩いて笑えるのだろう。

 どうして彼女っていうのは、そういうわけにはいかないんだろな?

「いくわけないじゃないですか。」

 と呆れたような、小馬鹿にしたような口調で言って寄越したのは、和琴部の、1年生だった頃の、沢渡美優だったっけ。

「学校では距離置いて、放課後はすぐ帰宅して、休日は家族でって、それじゃ一体、なんのためにつき合ってるんですか?」

 あの時は……そうだ、小川環ちゃんにふられたんだ。それとも、笠巻理沙か? 江川萌美だったっけ? 忘れたな。ともかく、その相手の子は当時、文芸部の1年生で、美優ちゃんのクラスメイトだった。その関係が破れると同時に、文芸部を退部して、本校舎に部室のある、もっとメジャーな部に転部していった。

「そーとー泣いたみたいですよー。今朝なんかもう、目が、ぽっこーん、て腫れちゃってて。」

「泣くくらいならふらないでくれればいいじゃないか。」

 ばん、とテーブルに拳を叩き付けて、奈緒志郎は言ったのだ。

「こっちは嫌だ、って言ったんだよ。別れたくないって。それを向こうが『もう限界です』とかなんとか、わけのわかんないこと言って断固」

「それをわけわからんって言ってる時点でアウトなんだよてめーはよ。」

 急に人格変換してそんな風にすごんでみせたので、びくーっ、と肩をすくめて口を噤んでしまった。

「……なーんて。女の子同士だと、わりに言っちゃったりしてますねえー。」

「こっ……こわいぞ美優ちゃん。」

「結局、彼氏向きじゃないんですね、高橋先輩って。」

 向いてない?

「……どういうことだ?」

「誠実なのは疑いませんけど……『彼氏』ってのは、概念として新しいんですよ。明治時代に『恋愛』が輸入された時から、さらにずーっと変化しちゃってるんです。単に未来の伴侶、ってわけじゃないんです。ファンタジーなんです。」

「わからん。わかるように説明しろ。」

「説明なんかできません。あたしにだってよくわかんないんだから。いいじゃないですか。結局先輩って、それで毎日充実して暮らしてるんでしょ? 学校で勉強して、部活来てバカやって、家族は仲良しで。」

「それじゃ足りないだろうが。」

「性欲の処理の問題ですか?」

 一見、清純な15歳がずばっと言い切るから、かなり驚いて、そーゆー問題ではない、ぜったいにないっ! とか否定するのも忘れて、まじまじと顔を見つめてしまった。

 美優ちゃんも、まじまじと見つめ返してきた。

「それだったら……先輩の方でも、始めっから『彼女』とかは求めないで、そういうファンタジーを必要としないタイプの子と、ざっくりつき合えばいいじゃないですか。」

 あたしみたいな、と最後に、言ったような、言わなかったような。発作的に口に噛み付いてしまったから、記憶が定かでない。

 それからひと月くらい、つき合った……いや、つき合ったと言えるのかどうか、わからんな、あれは。時間が空いて、会える時にだけ会って、余計なご機嫌取りはしなくていい。会話すれば、二人きりの時でも、部活の時と似たような話題、似たようなノリで、楽しく笑っていられる。プラス、濃密な性関係。

「ちがうな。やっぱなんかちがう。」

 そう言って、ベッドの上で腕を組んで、沈思黙考を初めてしまった奈緒志郎に、

「じゃ、この辺で終わりにしときます?」

 と、特別淋しそうとも言えない顔で言った。

「いいのか、そんなので?」

「そりゃもう。楽しかったですよ。」

 そうしてテキパキと衣服を身に着けてから、こめかみのあたりに、ひとつキスをして言った。

「さよなら。あたし、高橋先輩は、そのままですごくいいと思いますよ。」

「俺はそうは思えないんだよ。よくないからふられるんじゃないか。」

「なら、次の子はせいぜい、満たしてあげることですね。何を望んでるのか、よく考えてあげて。」

 そう言って、出て行った。以後も、特に何の変化もなく、平静に先輩後輩の関係を続けている。

 よくわからん娘だ。ともあれ、その忠告を受けたればこそ、弥生とはこうして、1年以上続いた。

 しかし、満たしきれなかったらしい。

 もう、なにがなにやら、さっぱりだ。