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滝の怒り
しーんと静まり返る。
演劇副部長は、しばらく、無表情で滝を見つめ返していたが、やがて、ほんの少しの困惑を浮かべて、ホールの真ん中の演劇部長に、助けを求めるような視線を飛ばす。
「ははは……気に入らなかった?」
と笑いながら、演劇部長が、扉の前までやってくる。
「まあね、ちょっと強引すぎかなー、とは思ってたんだけど……」
「ちょっとどころじゃないです。軟禁ですよ、この状態。」
言いながら滝は、きゅっと顎を反らして、斜に構えて相手を睨む。それ、その顔、すごく怖いからやめてよ、と、つき合っている間中、遠野くんにもよく言われた。
滝が怒ると、本気で怖いから、やめようよ……と。
「……わかった。悪かった。朔太郎。」
演劇部長が、ちょっと頷いてみせると、副部長は黙って目を伏せて、閂を外した。
「でも、行く前にさ、ちょっと、感想だけでも聞かせてくれない? 一応あれは、精魂込めて打った芝居だったのよ。役者としてはさ。」
振り返って、滝はもう一度、睨み合う。
滝の強い視線を、演劇部長は、そのつぶらな瞳でがっちりと受け止め、そして、互角に渡り合っていた。
「……チンダル現象までは、申し分なくクレイジーでしたね。そのくせ、隅々までキチッと計算されてるなって感じで……プロの仕事してんじゃん、と思って、感心して見てました。」
うん、うん、と演劇部長が、笑顔で力強く頷く。
「でも、その後がサイテー。いきなり山分けとか言い出すし、カギはかけちゃうし。そこの先輩方は、身内同士の気安さで、安いコントやりだすし! あたしキライなんですよ、生理的に。気の知れた仲間がいるから、その中の誰かは絶対笑ってくれるだろうって安心感の中で喋る奴、そういう雰囲気の中でしかハシャげない奴! マイナークラブハウス? 弱小の吹き溜まり? みんな仲間になっちゃう? ぬるすぎです、そーいうの。」
「……そうだね。その通り……ちょっとぬるいかもね。」
素直に認めて、演劇部長は、ふうっと肩の力を抜く。
「でも、一カ所だけ反論させてもらえるかな? ここにいる連中は、あなたが今言ったみたいな、ここでしかハシャげないようなヤワな精神の持ち主じゃないと、あたしは思ってる。みんなの名誉のために、これだけ言わせてもらうけど……ホント、愉快な関係でね。ここにいると……」
「はいる。」
「え?」
滝と演劇部長とが、その火花散る戦いを中断して、唐突な声の主を、同時に振り返る。
滝に腕を掴まれて、ここまで引きずられてきたぴりかが、まだまだ興奮の渦の中でぐるんぐるんになっちゃった目を、演劇部長の顔にじーっと据えて、ひっくりかえった甲高い声で、ホールいっぱいに叫んだ。
「あたし、はいる。えんげきぶはいる。はいって、あたしもあんなふうにしんでみたい。おそうしきしてみたい。畠山ぴりか、えんげきぶにはいるっすー!!」
「うおおおーっ!!」
ぱん・ぱぱぱん、とクラッカーが鳴り響く。
演劇部長が、喜びの声を上げてぴりかを抱きしめ、抱き上げて、むにゅむにゅと頬ずりをする。ここまでずっと、あんなに仏頂面だった副部長も、一気に子供に返ったみたいなカワイイ笑顔で、ヒャッホー! と飛び跳ね、バック転を決めている。
「よし、お祝いお祝い! ホントはもう、全員がどっかに入るまでは見せてやんないし、出してもやんない! と思ってたけど、もういいや! もう!」
と言って、シソ研会長が、扉の反対側にある部屋の、両開きのドアを解放する。
そこには、会議用の長机を並べた宴の席が、すっかり出来上がっていた。
「ぱっぱっぱーららららら♪ いらっしゃーい。」
テーブルの傍らに、吟遊詩人……もとい、ウクレレ部長だろう。アロハを着て、麦わら帽子を被った男子が一名、つやつや光る小さな弦楽器を、高らかにかき鳴らしている。
「ピザ来てるよー! ほかにもいろいろ、いっぱい買ってきたー!」
「文芸部長から、お寿司の差し入れがありまーす!」
「ビールとワインも少々ー!」
「おっしゃ! よし、1年生。もう、ともかく入部の話は後でもナンでもいいからさ、食ってけ、食ってけ! なっ?」
先輩たちが、固まって立っていた1年生を、扉の中へと追いやっていく。
それを見送ってから、演劇部長が、まだ、ぴりかを抱き上げたまま、まじめな微笑みで、滝にていねいに頼む。
「あなたも、食べてってくれるとうれしいな……。ぴりかちゃんの入部祝いにさ。」
少しの間、不満気な表情で見返してから……滝は、ため息をついて、宴の席へと歩き出した。
「あなたのお名前は?」
「福岡滝です。」
「滝ちゃんか。女の子の友達ができにくいタイプだねえ。」
「…………。」
またそれか、とうんざりしながら見上げると、演劇部長は抱き上げたぴりかをゆさゆさと揺すぶりながら、
「……あたしもだよ!」
と言って、からからと笑った。
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