6
葬列
鞄を取りに、一旦、教室に戻る。
それから玄関を出て、広い中庭を横切りながら、校門へ向う。ここらあたりは、文化部ばかりが固まっている。
吹奏楽部は、トワリング部とチームを組んで、お決まりの『ロッキーのテーマ』なんかやっている。反対側では、放送部のディスクジョッキーが、和製ラップを流している。
「まだ、大騒ぎだねえ。」
「ふん。」
行く手に、ちょうど手芸部のブースを見つけて、滝は顔をしかめる。
一瞬、デジャ・ヴーかと思ってめまいを起こしそうになった。かの部は、去年とまーったくおんなじことをやっていた。
「のうがない、って漢字は、どう書くんだったっけねえー。」
「ん?」
吐き捨てるような滝の独り言に、ぴりかがバカ正直に反応する。
「えと……のうみその脳、だっけ……」
「exact! 賢いのう、あんた! 賢い賢い!」
「そ、そっすか? えへへ~。」
かいぐりかいぐりしてやると、素直に喜ぶ。このテンションの高い二人の道行きに、まわりの生徒たちが、次々と振り返る。当然、手芸部ブース前にたむろっていた、かつての中等部メンバーも、滝に気づく。
「あー、滝ちゃーん。」
新入部員は、途中からの手伝いなのだろう。制服の上から、真っ白いミニエプロンとメイドの帽子だけつけた長島風花が、悪気ゼロの笑顔で呼びかける。
「部活決まったあ~?」
ぶちぶちーっと神経がキレそうになる。いったい、なにをどう言えばこのテの女に打撃を与えられるのだ。一瞬、ここで直ちに遠野くんを呼び出して、目の前でヨリを戻してやろうかとか考えてしまった自分が恐ろしい。が、それ以上に、こいつらの脳なし加減が、どうしても許せない。
今にもなにか怒鳴りつけようと、滝がすぅーっと胸いっぱいに空気を吸いこんだ、その時。
かーん……
と、鐘の音がした。
かーん……
と、それは高く空を貫き、その付近にいた生徒たちの耳をそばだてさせた。
中庭の騒音が止んだ訳ではない。まだ、あちらこちらの部から、ばらばらの音楽が押し寄せてくる。けれど、それら雑音の合間を縫って、鐘の音は、それが耳に届いた生徒たちの、意識に直接染み入ってくる。
かーん……くわぁーん……くわーん、くわーん、くわんくわんくわんくわんくわんわんわんわんわわわわわわわわわーん……
かーん。
「……はんにゃーはーら~みつたーしんきょ~~~~お~~……」
かーん……
中庭に接した、ニセアカシアの林の中から。
ずたずたの着物を纏った一群が、滑るように出現した。
先頭に、青銅色の鐘をぶら下げた、緑色の顔をした小男。
その後から、青白い男女が6人、左右に3人ずつ別れて、戸板を担いで、牛のような歩みでやってくる。
「かんじ~ざいぼーさーつ~~~……」
かーん……
「ぎょうじんはんにゃ~はーらーみつたーじ~~~……」
かーん……
鐘が鳴るたび、全員の足がはたり、っと止まる。そして、わずかの「ため」の後で、見事な統一性でもって、一斉に次の一歩を、ぱたり、っと踏み出す。そして読経。
「しょうけんご~おんかいくう~~~……」
かーん……
「ど~いっさいくーやーく~~~……」
かーん……
やがて、その一群は、滝たちのすぐ目の前までやって来た。
戸板の上に……死体があった。
それは芸術的、としかいいようのない醜さを、惜しげもなくさらしていた。下膨れの顔の真ん中で、かっと開かれた眼穿からのぞく、乾ききった白目。どんな恐ろしい死に方をしたのか、苦悶に激しく歪んだまま、永遠に凍りついた表情。
ぶよぶよと太った肉体が、あちこちおかしな方向に捩じれ、固まり、手の指は何かを必死で掴もうとした形のまま、虚空に突き上げられている。
凄まじかった。まるで腐臭が漂ってくるかのような、それは見事な死体っぷりなのだった。人間性などというものはすでに、薬にするほども残されてはいない。尊厳が、皆無だ。
それが目の前を通り過ぎるや否や、滝の右隣で、風花が小さく、
「……イヤー……」
と、ひきつりそうな声で呟く。
左隣で、ぴりかが小さく、
「すっ……げー……」
と、感嘆の呟きをもらす。
そしてぴりかはふらふらと、その葬列の後について、歩き出してしまった。
同じように、毒気に当てられた何人かの生徒たちが、すでにぴりかと同じように、仲間入りを果たしてしまっていた。まるで、ハーメルンの笛吹きだ。何歩か歩くうちに、コツがわかってくるのか、青ざめた担ぎ手たちと同じように、鐘の音ではたり、っと立ち止まり、ためて、踏み出す。ぱたり、っ。
「むーげんに~びーぜっしんい~~~……」
かーん……
「むしき~しょうこうみーそくほう~~~……」
かーん……
「……って……こらあ、ぴりかー!?」
はっと我に帰った滝が、追いかけようと足を踏み出した瞬間、後ろから、
「あれっ? 福岡さんじゃないのぉー!」
と、時空を一気に日常に引き戻すような、明るい声が響いた。
振り向くと、メイド姿の上級生が、親しげな笑顔を向けながら、こちらへ向って歩いてくる。
「わー、会うの、すっごい久しぶりー。元気してたー?」
「あ……花山先輩?」
それは、滝が中等部の手芸部に入部した年に副部長だった、2学年上の先輩だった。たった1年足らずしか一緒に活動しなかったので、あまり印象は残っていないが、しっかりした、まじめな女の子だったような気がする。
「手芸部、入んないことに決めたんだって?」
と、なにも事情を知らない顔で、残念そうに尋ねてくる。
「あ……は、はあ……」
「そっかー。そうだよねー。もう、福岡さんがやるようなことって、別にないもんね、部とかにいてもねー。」
屈託なく笑いながら、エプロンドレスの端っこを、ちょっとつまんで見せる。
「あたし、去年見に行ったんだよ、中等部の。」
「え、そうなんですか。」
「うん。もう、すっごい感動しちゃった。あーこんなことできるんだあー……って。福岡さん、あれ、ほんとに全部、ひとりでやっちゃったんだもんねえ。」
「いや……そんな事ないです。結構、みんなに手伝ってもらって……」
「そうなのー? なんか、あたしも参加してみたかったなあ、そういうの。あ、それでさ、これ、買っちゃったんだよ。ほら。」
そう言って、ブラウスの袖の、カフスボタンを見せてくれる。
滝の作った、アジアンノットのチャイナボタン。
「わ……なんか、うれしー……です。」
「もー、ホントはあたしだって、あのトップに出て来た花柄のワンピ欲しかったんだけど、ムチャ混みでなっかなか入れなくってー。高等部の人間が、力ずくで中等部押しのけるってわけにも行かないじゃーん?」
「いやー、結構いましたけど?」
と、すっかり調子を合わせて、滝も明るく応じる。
「保護者の方でいましたもん。『アタシ、これ2着ねっ。娘とお揃いで!!』って。」
「うっそ、きょーれつー!!」
けらけらと、声を合わせて笑う。
「はなちゃーん! ケータイ鳴ってるよー!」
「あ、ゴメン、行かなきゃ。」
呼ばれて、踵を返してから、花山先輩はもう一度、滝の顔を懐かしげに振り返って言う。
「がんばってね、福岡さん。絶対、いいもの作ってね。応援してるから。」
「はい!」
そう返事して、ブースに戻る先輩の背中をしばし見送る。
……それから、くりっと振り返り、
「……ひとりっきゃいない女友達を置き去りにしてくヤツがあるか! ぴりかぁー!!」
と叫んで、力強く駆け出していく。
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