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マイナークラブハウスの進路相談
「乗馬クラブに就職する!?」
全員で、口をぱっくり開けて聞き返す。
ぴりかちゃんは、天野が本宮家から貰ってきたスイカに、がつがつと食らいつきながら、うんうんと激しく頷く。
「……ガッコ出たら、すぐにあそこで働く。本当はすぐにでも住み込みたかったんだけど、高校だけは出てこいって言われちゃったし。」
「大学は?」
「行かない。もともとオイラ、お勉強そんなに好きじゃないもん。」
「でも、親は? そんなこと、ひとりで勝手に決められないんじゃ……」
「親カンケーないよ。」
即答。ぴりかちゃんらしくないそっけなさと冷たさ。
「全力で逃げるんだ……そうしてもいいんだ……」
そう呟いて、きっと口を真一文字に結ぶ。これ以上立ち入られることを、明確に拒む声。
「……それ、真剣な話? その乗馬クラブのおじいさんが、勢いとか話半分で、『いいよいいよ、雇ってあげるよー』なんてことを口走っちゃっただけ、なんてことは……」
と、ヤマダ先輩が、現実的なところを指摘する。
「ない。オイラちゃんと全部話したの。なんで働きたいのか、どうして家を出たいのか。工藤さん、ちゃんと聞いてくれたよ。それで、そこまで考えてるんだったら、高校を出たら住み込みにおいで、って約束してくれたの。ホントだよ。」
「でも……それってホントに、ぴりか先輩のいちばんしたい仕事なんすか?」
とゴーヘーが、どこか不満そうな顔で尋ねる。
「馬は好きだよ。あんまし才能はなかったけどね。でも、小さい頃からいろいろやらされてきた習い事の中で、唯一、ホントに好きだった。いちばんしたい仕事なのか、って言われると、それは少し、違うかもしれないけど……」
「だったら、」
「でも働きたいんだ。自分のいちばんが見つかるまで、ずーっと親に養われてなんかいたくない。一刻も早く、ひとりで生活していけるようになること……それが、今、いちばんしたいことなの。だから、ウソじゃないの。」
「じゃあ、ぴりかは卒業したら、この村に住むのね。」
と福岡さんが、そっけない口調で呟く。
「うんっ!」
「セイちゃんは?」
と、福岡さんが、こんどは天野に向かって尋ねる。
それで全員、あ、と声にならない声を上げる。天野の故郷の村に、ぴりかちゃんが乗りこむ。不倶戴天の敵同士が、ご近所さんになる可能性発生……!
「……あう。」
たった今まで、そこに考えが及んでいなかった様子で、ぴりかちゃんが指をくわえて黙りこむ。
「あ……天野は、進学? だよな、当然。」
「どこ受けるの? やっぱ、東大とか京大?」
「あっ、海外に留学したりして。」
「それとも……」
……それとも、ここへ帰ってくるのか?
「僕は……」
しゃくしゃくと、妙に整然としたリズムでスイカを齧りつつ、天野が言う。
「……なにも考えていません。」
「あらら。」
「というより、僕自身の希望を出したところで、通りはしないのです。」
諸行無常、色即是空。とでも唱え出しそうな佇まいで、天野は静かに語る。
「桃李学園に戻ることも、中学の担任教師が言い出したことで、僕の意志ではありませんでした。嫌だとは伝えましたが、祖母までが、そうしろと強く言い始めたので、逆らえなかったのです。高等部卒業後の進路についても、おそらく同じでしょう。」
「へーえ……じゃ、セイちゃんは桃李に戻って後悔してるんだ?」
と、福岡さんが、かなり棘のある口調で言う。
「いや。後悔というのは、自分で選んだ道に対して出てくる感情のことだろうから、それは違う。僕は単に、保護者である婆様の決定に、従わざるを得なかっただけだ。そこに、後悔の入る余地はない。結果的には、園芸部の土地もあるし、それなりに穏やかに暮らしている。悪くはない学校生活だと思っている。」
「でも……戻ってみて、それほどいい事もなかった、ということ?」
重ねて、福岡さんが尋ねる。天野はかなり長い時間、ぼんやりとスイカを見つめて考えこんでから、
「うん。」
と答えて、こくんと頷く。
「え……なかったの? 本当に、いい事はなにひとつ?」
「目新しい事は、特に……」
「お……おまえなあ。」
どん、と握りこぶしで座卓を叩いて、海斗は怒りを表す。だが、それ以上、なにを言えばいいのかわからない。
なにもなかったと言うのか。ここにいる、このメンバーで過ごしてきた1年半。僕にとっては、これまでの人生のどの期間より、何倍も濃い時間が流れていたというのに。
「可能かどうかは措くとして。とりあえず、天野くんの第一希望ってなんなの?」
重苦しく淀んだ場の空気を、爽やかに切り開くように、沢渡先輩が明るく尋ねる。
「一応、あることはあるんでしょ? 言っても仕方がないから言わないだけで。」
「あることはあります。」
「それは、なに?」
「ここで、ひとりで生きていくことです。」
聞いて何人かは、こっそりとぴりかちゃんの様子を見、また何人かは、福岡さんの様子を窺う。
「誰からも、なにも強制されず……ただ季節と天候にのみ従い、自分のことは自分で決めて。生きるに必要なだけの食糧を生み出す自信はありますし、生活のための細々とした現金が必要な時には、本宮家で少し、働かせてもらえます。」
「それが、セイちゃんの望みの全てなの? 他に……なにかないの?」
期待するな! と懸命に自分に言い聞かせているような健気な顔で、福岡さんが言う。
「ない。」
きっぱりと、天野は言い切る。
「だが、おそらく婆様は、だめだと言うだろう。実を言えば、中学を卒業する際にも、僕はそれを願い出たのだ。しかし、認めては貰えなかった。今のおまえに、この土地はやれない、と突っぱねられた。いったい、僕がどうなれば、この土地を継ぐことを認めてもらえるのか……それが未だに、よくわからない。」
そう言った時の天野の顔は、少し、悲し気と言えないこともなかったが……同情する気は起きない。そんな感情など、微塵も湧かない。
「……無理だと思うよ。」
自分でもびっくりするほど強い口調で、海斗は真っ直ぐに言い放つ。
「天野みたいな、自分勝手な、独りよがりの冷たい奴に、ますます独りよがりを助長するようなそんな生きかた、させてたまるかって思ってんだよ、おまえのおばあちゃんは! だから桃李に戻れって言ったんだよ! 僕がおばあちゃんでも、同じことを言うよ!!」
しーんと静まり返る。
みんなが、こっちを見ていた。ひとりひとり、種類の違う驚きを顔に浮かべて。
「あっ……いや。」
どうやってこの場を収めよう? 小心者の悲しさで、すぐにそんなことを考えてあたふたしていたら、
「そうかもしれないな。」
と天野が、さっきまでと全く変わらぬ、淡々とした口調で言い返してきた。
「ならば僕は、一生ここには帰れない。おそらく、この世界を、ひとりで転々として生きていくことになるのだろう。……風呂を沸かしてきます。」
そう言って、空いた自分のスイカの皿を持って、静かに仏間を出て行く。
誰もなにも言えず、だいぶ長いこと沈黙が続いたあとで、ようやく三浦先輩が、
「……傷ついた……のか? あれは……」
と、誰にともなく呟いたが、答えられるものは、誰ひとりいなかった。
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