10
マイナークラブハウスの大混乱
最終日、示し合わせたわけではないが、みんな早くに目を覚ました。
身支度を済ませ、荷造りを済ませ、仏間の座卓のまわりに集ま……ってみたら、ぴりかちゃんが、どこにもいないことに気がついた。
「どこ行ったんだ?」
「もしかして、昨日の乗馬クラブじゃないかしら。」
「11時出発ってことは、ちゃんと伝えてあるんですね?」
「知ってるはず……だと思うけど、あの子のことだから……」
それで海斗は心配になり、太賀と一緒に、クラブまで行ってみることにした。
場所がわからないので、天野に道案内を頼むと、
「あたしも行くわ。ぴりかの就職先がどんなだか、見てみたい気もするし。」
と言って、福岡さんも来ることになる。そこへゴーヘーと紗鳥ちゃんも、散歩がてらに合流する。
「ねえ天野、工藤さんってもしかして、白い顎髭生やした、いかめしいお爺さん?」
と、太賀が尋ねる。
「そうだ。会ったのか?」
「いや、見ただけ。なんか……神さまみたいな風貌してるよね。」
聞いて海斗は、やっぱり太賀も同じことを考えていたんだなあ、と思う。ぴりかちゃんは、飛天山の神にとられて……ここで暮らす。
「しっかし、本気なんすかねえ、ぴりか先輩。」
盛大にため息を吐いて、ゴーヘーが言う。
「もったいねーなー……なーんであれだけ弾ける奴が、こう次々に……」
そこまでで、後の言葉を飲みこんで、道端の石をケッとばす。
「あれっ?」
と紗鳥ちゃんが言って、その石の転がっていった先を見つめる。
牧草地のまわりに掘られた排水溝が、1ヶ所広がっていて、道の真ん中に、柔らかい泥だまりを作っている。そこに、くっきりと、蹄の跡がある。
「……昨日の跡かな。」
「いや、まだ新しい。それに1頭しかいない。工藤さんはあまり、馬場の外へは乗り出さない。」
「じゃあ……」
みんなで、蹄の向かう先を見る。三叉路の脇に生えた、大きなネムノキ。左側の細い農道の、乾いた短い草の上に、微かに泥の跡がある。
「この道の先は、本宮家の菜園だ。」
ギッと目つきを険しくして、天野が言う。
「あの獣め……なぜ、こうも鼻が利くのだ。」
そう吐き捨てて、まるで競歩みたいな勢いで歩き出す。残りのメンバーが、小走りにならないと追いつけないような速度。
「ちょ、ちょっと待てよ天野。まさかぴりかちゃんが、本宮さんちの野菜を盗むと思ってるわけじゃないだろう?」
「盗むに決まっている。」
「そんな……」
と海斗は反論しかけたが、息があがって、うまく喋れない。それに……残念なことに、絶対に盗まないという確信があるわけでもない。
丈の高い草に囲まれた道を少し進むと、急にからりと開けた場所に出る。農道の出口に、軽トラックが停めてある。脇にはポプラが生えていて、その枝に繋がれた栗毛の馬が、辺りの草を食んでいる。
そしてポプラの向こうに、広々とした、美しい菜園が広がっていた。
「瑛一さん、来てんすかねえ。それともお母さん……」
「しっ。」
声を上げたゴーヘーを、天野がたしなめて、黙らせる。
「静かに……現場を押さえなければならないのだから。」
「現場って……まだ、ぴりか先輩がドロボーに来たって決まったわけじゃ……」
小声で言い返すゴーヘーの言い分に、まるで耳を貸さず、天野はまるで忍者のように、身を低くして菜園に入っていく。
つられてなんとなく、全員同じように忍びこむ。
「……まあ、当たっとるかもしれん。ガキの頃は、なんぞ悪さをしてお袋に説教される度に、あいつに庇われとった。子供心にも、おもしろいオヤジじゃと思うとったが……。」
何本かの、背の高い作物の畝の向こうから、瑛一さんの声がする。
「それでも、あいつがほんの1、2歳の祐介まで置いて出ていった時には……これは、諸刃の剣なんじゃなあと思うたわい。自分の子に、型に嵌まらんでええ、思ったようにやってみいて言うてやれる度量と、自分が世界から、こぼれ落ちてしまう危険性と……」
がさがさと、オクラの葉が揺れて、畝の隙間に一瞬だけ、ぴりかちゃんと瑛一さんの姿が見えた。菜園の中を、並んで歩き回っているようだ。
「じゃがおまえ、おかし気な子じゃのう。なんでそんなに、あいつの肩を持つんじゃ。」
「おとーさん、いい人だもん。」
「そう思うわけがわからん。根拠を言え、根拠を。」
「…………。」
ぴりかちゃんがなにか返事しているが、風が出て、葉ずれの音のせいで、うまく聞き取れない。ゴーヘーが、隠れていた畝から飛び出して、また別の作物の陰に素早く飛びこみ、二人との距離を詰める。
(おーい!)
もう、ぴりかちゃんがドロボーしない(できない)ことははっきりしたんだから、これで引き上げても……あるいは、出て行ってこんにちはーと挨拶してもいいのに、なぜ隠密行動を続ける!?
と思っていたら、今度は天野までが飛び出して、ゴーヘーの隣の場所に、さっと身を潜める。
「……セイちゃん?」
福岡さんが、ひそひそ声で呼び、後を追う。残りのメンバーで顔を見合わせ、
(……どうする?)
と、目と目で相談し合った結果、やはり、後に続く。
6人でごそごそと、だんごむしのように地面を移動しながら、ぴりかちゃんたちの会話に、聞き耳を立てる。
「……多分、そこから全てが始まったと思うの。昨日、工藤さんもそうゆってたよ。あれの父親の時は、まだ時代が早すぎた、って。でも、だからこそ今、瑛一さんにそれだけの力が集まってるんじゃないかな。」
「工藤の爺さんか……あれも、相当偏屈な爺じゃぞ。本当にあそこで働くんか?」
「気に入ったの、ここ……いろんなものが新しく生まれて、自分を試してる感じ。まだまだ生まれ出る余地がある。ホントにここが一昔前まで、工藤さんのゆってたような、村意識の強い、陰気な田舎だったなんて、信じらんない。」
「一昔どころか。ほんの2、3年前じゃって、まだおれが店を始めたことを、ブチブチ言う奴はいっぱいおったんぞ。『新し気なもん始めて、ロクなことにならん』ってな。まあ、さすがにもう、面と向かって文句をたれる奴もおらんくなったが……」
「すごいね。人間って、自分の住んでる世界、変えられるんだね。」
言いながらぴりかちゃんは、6人が隠れているトウモロコシの畝の、すぐ横のキュウリのネットの間に入ってくる。
「もっと早く、それを知っていたらよかったと思う……大人になるまで、耐え続ける力を得るために……」
「まだ、すっかり変えたわけじゃない。これからじゃ。」
瑛一さんもやってくる。地面にしゃがみこんでいる海斗たちから、二人の姿が、はっきりと見える。
ぴりかちゃんが、つと手を伸ばして、1本のキュウリを、そうっと撫でる。
瑛一さんが、腰のベルトにつけたホルダーから、鋏を取り出す。脇から手を伸ばして、そのキュウリを、ぱちん、と切り取る。
「ほれ。」
ぴりかちゃんの鼻先に、そのキュウリを突き出す。
「見る目がある、というのは、ホントらしいのう。おれも、これがいちばんようできとると思うわい。」
ぴりかちゃんは、動かない。不思議そうな顔で、黙ってそのキュウリを見つめている。
「どうした? いらんか?」
と、瑛一さんが畳み掛ける。
「……だめだ。」
急に天野が、海斗の隣で、ぽそりと呟く。ごく小さな、暗く低い声。
「獣に、餌付けは……」
「わー、ありがとう!」
大きな声でお礼を言って、ぴりかちゃんがキュウリを受け取り、がりっと齧りつく。
「……うわー! おいしーっ!!」
「じゃろ。これはおれが、毎年種を採取して、この土地に合うように育ててきたもんじゃ。そこら辺のもんとは、ひと味もふた味も違うぞ。」
「うんっ、ものすごくおいしいっ。これって、これって……」
興奮した声で、ちからいっぱい叫ぶ。
「園芸部長のやつより、千倍くらいおいしーーーっ!!」
……イイイイイイ……という異音が、さっきからずうーっと海斗の耳に聞こえていて、いったいなんだろうと思っていたら、天野の喉の辺りから出ていた。
引き攣れた首の筋肉。歯を剥き出した、開きっぱなしの唇から、断続的に空気が入りこんで、声帯を震わせている音。まるで、息の吐きかたを忘れてしまったかのように。
「あ……天野? おい……」
「……イイイイイイ……」
瞳孔の開き切ったような目つきをして、苦し気に喉を掻きむしり、ガサガサと盛大な音を立てて、トウモロコシの葉陰から飛び出す。
「なんじゃ!? 晴一郎。おまえ、いつからそこに……」
そう、瑛一さんが声をかけるのをまるで無視して、菜園の出入り口のほうへ、よろよろと進んでいく。
「ちょ……天野先輩。」
「天野! 待てよ!」
ぞろぞろと出現した海斗たちに、ぴりかちゃんは目を丸くして、
「はにゃ?」
と言い、瑛一さんは、
「なんじゃ、なんじゃ、おまえら? いったい、なにをしよったんじゃ?」
と呆れ半分、笑い半分の声をかけるが、返答する余裕のあるものは、誰もいない。
あっちへふらふら、こっちへふらふらとよろめきつつ、それでもかなりのスピードで農道を駆け抜けた天野は、三叉路のネムノキにごっつんと頭をぶつけて停止して、その根元にヘタりこむ。
着ているシャツの、胸の辺りを鷲づかみにして、なにかぶつぶつと呟いている。ようやく追いついたみんなで、そーっと背後に近づいて、耳を澄ます。
「……め……ものめ……」
呟きながら天野は、頭を幹に、こつんこつんとぶつけだす。
「……獣め。獣め。獣め。獣め。獣め。獣め。獣め。獣め。獣め。獣め。獣め……」
「あ……あ、天野……?」
呆然とした雰囲気の中、突然、福岡さんがくるりと背中を向けて、全速力で走り出す。
「あ……福岡さ」
「滝先輩!」
追って、ゴーヘーも走り始める。その後を、今度は紗鳥ちゃんが2、3歩だけ追いかけて、やめる。ぎゅうっと両方の拳を握りしめて、凍りついたように立ち尽くす。
「獣め。獣め。獣め。獣め。獣め。獣め。獣め獣め獣め獣め獣め獣め獣め獣め獣め……」
「お……おーい、天野ー……」
太賀が天野の背中に、中途半端に手を伸ばして、触れられないでいる。
神の住む飛天山。マイナークラブハウスの夏合宿。混乱の中に呆然と立ちすくみ、海斗はヒューズの飛びそうな思考回路を懸命に振り絞って、
「うわあー……どーーしたらいーーーんだーーーーー……」
と、なんの役にも立たない、間の抜けた悲鳴を上げる。
→ next
http://kijikaeko-mch.hatenablog.com/entry/omake3-1