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周波数
「皆と一緒に寝るのと、僕の部屋でひとりで寝るのと、どちらがいいだろうか。」
と、晴一郎が尋ねてくる。
この連中と一緒に、わいわいやって寝るのも楽しそうな気がしたが、今日はそこまでは、ハシャげそうもない。
「久しぶりに、おまえんとこに泊まるわい。おまえも来いや、晴一郎。」
と言って、首を掴んで連行する。
「なんだよ天野、まーた脱落かー。」
「おまえってホント、団体行動しねーなー。」
と、野郎どもが一応、口では文句を言いながら、おやすみと手を振ってくれる。
「……ひとりで眠るのは、相変わらず苦手なのか。」
「やかましい! 聞こえたらどうするんじゃ、あほう。」
慌てて後ろを振り向き、今の声の届く範囲に、誰もいなかったことを確認する。そんな、チンコに毛が生えるより以前のことを、いつまでも持ち出されてたまるかい。
階段の奥の、晴一郎の部屋。押し入れを開けると、祐介専用のお泊まり布団が、まだちゃんと残されていた。蚊帳の隅っこを持ち上げ、晴一郎のベッドの横にその布団を押し込んで、自分も潜り込む。
晴一郎が、古くさい電灯のヒモを引っ張って、豆電球がひとつだけ灯った状態にする。昔はよく、これでモメたなあ。晴一郎は、全部消して、本当に真っ暗闇にするのが好きなタイプ(信じられん!)、祐介は煌々と灯ってないと眠れないタイプで……協議の末、祐介が泊まりにきたときには、豆電球ひとつ、というルールができ上がった。
「……ばあさんには、会うたんか?」
自分の家族のことが問題になっている→でもストレートに言いたくない→先に、相手の家族のことを尋ねる、という、見事に回りくどい話の切り出しかたをする。
「皆が帰ってから、寄っていくつもりだ。」
「元気なんか?」
「春に会った時は、元気だった。」
「おまえ……おまえの親はどこで、なにをしよるんじゃ。」
祐介が知っているのは、晴一郎が、天野の本家の孫だということ。ここにずっと暮らしていたあのじいさんとばあさんの、ひとり息子の、そのまた息子だということだけだ。
村を捨てて、親子3人下界で暮らして……それがどうして、子供だった晴一郎だけ、ひとりでこの村に戻されてきたのか。母ちゃんはなにか事情を知っているようだったが、祐介には教えてくれなかった。祐介の方でも、いったん晴一郎と友達になってしまうと、別にそんなことはどうでもよくなって、ずっと尋ねないでいた。
「父は、数学者だ。今は、アメリカのどこかの企業で、金融工学の研究員をしている。母親は、父親の赴任が決まった時点で離婚して、その後は知らない。」
「……なんで、どっちかに引き取られんかったんじゃ。」
「僕は、非常に手のかかる子供であったという話だ。祐介も知っての通り、口をきくようになったのも、ここへ来て数年を経た後のことだし、他にも様々な問題行動を示していたらしい。偏食がひどく、他の子供たちとは全く交流しようとせず、無理に従わせようとすると、暴れて手がつけられず……」
「今とおんなじじゃ。」
「基本的にはそうだ。それが、輪をかけてひどかったということだ。危険な行動もかなりあったらしく、母親という人は心身ともに、相当追いつめられていたと聞いている。」
『母親という人』という言いかた、それに、『追いつめられていた』という表現を使うときの、ひどく淡々とした、別に気の毒ともなんとも思っていない言いかたが、なんとなく気に障る。
「父親は、研究に忙しく、あまり家庭を顧みなかったようだ。僕の性質についても、自分の子供の頃と同じだからと、たいして問題視してはいなかったらしい。それで離婚に至ったのだが、母親にはもう、僕を育て続ける力は残されていなかったのだろう、手放されて、ここへ来たというわけだ。」
「……なんか、他人事のように語るのう。」
「自分の身に起こったことだと、充分承知して話しているが。」
「ほんでも口ぶりが、どうでもいいような感じじゃ。その母ちゃんがおまえを手放そうが、手放すまいが、おまえにとってはどっちでも、変わらんかったような言い草じゃ。」
「記憶にないのだ。」
「…………。」
またか、と祐介は思う。
なにかというと晴一郎は、この『記憶にない』を連発する。教科書ならまるごと暗記できるくせに、一緒に川へ泳ぎに行った翌日、そのことをきれいに忘れ去っていたり、学校で同じ班になった奴の名前が、全然出てこなかったりする。
「幼い頃、僕のまわりで始終、僕の行動に制限を加えてきた大人の女性のイメージが、微かに脳裏に浮かぶばかりで……別段、その人に特別な感情を抱いていた憶えもない。どちらかというと、鬱陶しいように感じていた気もする。そんな子供を、とにかく7歳を過ぎるまで、無事に育ててくれたのだから、感謝してしかるべきなのだろうが。」
「……会いとうはないんか。」
「いや。」
「情の薄い奴じゃのう。」
「よく言われる。」
「おかっぱがかわいそうじゃ。」
「滝ちゃんが、どうかしたか?」
「どうかって……」
説明するのがおっくうで、後は濁して終わりにする。あの子、この先、うんと苦労するんじゃろうなあ。こいつの母親の二の舞で、追いつめられてしまわんとええが……。
しばらく、沈黙して……一瞬、うとうとと眠り込みそうになったところで、あ、ついでに、という感じで追加する。
「あのじーさん、これから、うちに居着くことになるんじゃろうか……」
返事が遅かったので、先に眠ってしまったかと思って、一瞬焦る。もう一度同じことを、言おうかどうしようか迷っていたら、ようやく低い声がした。
「僕にはわからない。が、そのようになるだろう。」
「わからないのになるだろうって、なんじゃいそれは。」
「あれが、そう言っていた。」
「あれ?」
「さっきのあれだ。」
薄い紗の向こうで、くぅーんと悔し気に唸っている蚊の羽音を聞きながら、眠たい頭をしぼって考えこむ。
「……ぴりかちゃんのことか?」
「それだ。」
「ややこしいのう、なんで名前を呼ばん。」
「獣だからだ。」
「昨日もそんなことを言うとったのう。いったいなんなんじゃ、あの子は。」
「獣には、獣の嗅覚がある。人であることを拒絶した状態でしか得られない、ある種の特権のようなものだ。あれが『帰ってきた』と表現したからには、あの人物は、最早完全に帰還したのだろう。」
低い、静かな声。まるでテレビのナレーションみたいに、淀みのない喋り方。
昔から、晴一郎の声を聞きながら寝ると、不思議とよく眠れた。小学生の頃、毎晩のようにうなされた、あの恐ろしい宇宙人や、子供を誘拐しにくるUFOの夢を、ここに泊まった晩には、見なくて済んだ。
「……誰もあれを、人にはできない。」
わけがわからんのう。じゃが、喋っとってくれ。おまえの声は、どうも眠りの世界と、相性がいいらしいわい……。
「それでいい。それで構わないんだ。いかに飢えようと、林の中で凍えようと、毒きのこを喰らおうと……それは全て、獣の自由だ。どうなっても、僕には全く、関係のないことなんだ……」
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