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父あり、遠方より来たる、また楽しからずや……
入り口に、薄汚れたじじいが突っ立っていた。
膝のすり切れたジーンズ。ピースマークのペンダント。間違いなく、昨日駅のベンチにいた、あのホームレスのじーさんだ。
「申し訳ありません。本日は貸し切りとなっておりまして……」
と、進み出た瑛兄が、訝し気な声で断りを入れる間もなく、じーさんはずいっと一歩、大股で店の中に入ってくる。そして、絶叫する。
「カート・コバーンは……死んだっ!!」
………………ハア???
一同、なす術もなく佇んで、ソレハイッタイ、ナンノコッチャと思っていると、
「ふっ……ふおおおおカート・コバーーーーーン!!」
「うわあー」
今度は突然、ぴりかちゃんがわっと泣き出して、床に突っ伏してしまった。
対岸の火事だと思って眺めていたものが、気がついたら自分ちの真ん中がボーボー燃えていた……という感じで、まわりにいた連中が、ずさーっと後ずさって場所を空けてしまう。
「おお……泣いてくれるか、泣いてくれるか奴のために! 娘よ!!」
じーさんが両手を広げて、ぴりかちゃんに歩み寄る。
「おとーさーん!!」
ぴりかちゃんが、じーさんの腕の中に飛びこんでいく。二人、ひしっ、と抱き合って泣き崩れる。
「ニルヴァーナ!」
「ネバーマインド!!」
「おおお……会いたかった。会いたかったぞ、我が娘ー!」
「えーんえんえん、カートが……カートがああんあんあんあん」
「ぴ……ぴりかのお父さん……なんですか?」
と、ようやく口がきけるようになったおかっぱが、呆れ果てた声で尋ねるのと同時に、
「おい……くそおやじ……」
「……あんた……」
瑛兄と母ちゃんが、泣いている二人に、ずいっと詰め寄っていく。
瑛兄が、お上品なファームレストランのオーナーシェフの顔を脱ぎ捨てて、全身完全に昔のオーラに包まれている。
母ちゃんは母ちゃんで、牧場の仕事と、家事と、三兄弟の世話に明け暮れて心身共に限界まで追いつめられていたあの頃の、ピリピリした雰囲気に舞い戻っている。
「……いいかげん、その子を放さんかい、くそおやじ。」
見ればじーさんの右手が、いつの間にかぴりかちゃんのおしりの辺りにまで下りて、さわりさわりとなで回している。ぴりかちゃんが、涙に濡れた目をぱちくりさせて、
「……はにゃ?」
と、低く呟く。
「お……? おお、おまえ、瑛一か。ずいぶん立派になって……」
と、じーさんがぴりかちゃんから剥がれた途端、
「ごるあ!」
獣の咆哮をあげて、瑛兄が、じーさんを、ぶん殴った。
街から来た奴らの口が、揃って、ぽっかー……んと開く。
瑛兄は、血走った目を吊り上げ、床に転がって丸まったじーさんのハラを、ぼすぼす蹴り続ける。
「こんのろくでなしがああ! なにをしに帰ってきおったんじゃあ!! おああ!?」
「い……いたい。やめて。いた……ごぼっ!」
脇ではぴりかちゃんが、眉毛を八の字に落として、
「はう……しり……」
と言いながら、自分のおしりを押さえている。おかっぱと沢渡さんが、それを抱きかかえて、瑛兄たちから遠ざけようと、必死になって引っ張っている。
「え……瑛一、もうええ、もうやめて! お父さん死んでしまう!」
母ちゃんが、必死になって瑛兄に抱きついて、蹴るのをやめさせようとする。
「上等じゃ! 殺す気でやっとるんじゃ、放せええ!!」
「そんなことして、どうもならん! ええから、ちょっとやめえ! やめえって!!」
スグ兄も寄ってきて、瑛兄の体を、後ろから押さえつける。その間に、じーさんは身を起こして、鼻と口からたらたら血を流しながら、床の上に座りこむ。
「……そうだな。歓迎されるなどと思っていたわけでは、無論ないが……やはりな。」
「いったい、なにしに帰ってきたの……。」
せっかく瑛兄を押さえ込んだというのに、今度は自分がぶん殴りそうな形相で、母ちゃんがじーさんに詰め寄る。
「急におらんなって……連絡もろくに寄越さんと。あれからあたしが、どんだけ苦労したと思うとるんね。それを今頃……」
「……悪かった。」
そう言ってじーさんは床の上に正座し、母ちゃんに向かって、深々と頭を下げる。
「勝手だったと思っている……言い訳はせん。邪魔ならば、すぐ出て行く。こんなに美しく成長した娘の姿が、ひと目見られただけで、僕は……僕は」
「なにをトンチンカンなことを言うとるのーっ!!」
仁王立ちになった母ちゃんが、ひと際大きな声で怒鳴りつけ、じーさんがびくーっと首を竦める。
「あんたとあたしの間に、娘なんかおらんでしょうが!!」
「えっ?」
と言って、じーさんがぴりかちゃんのほうを、不思議そうに振り返る。
「……僕が旅立った時、よちよち歩きの赤ん坊だったあの子は……女の子じゃなかったっけ?」
「あほーっ!!」
涙と鼻水で、顔をぐちょぐちょにした母ちゃんが、ずんずんずん……と大股で祐介のほうへやってきて、シャツを掴んで、ぐいっと引っ張る。祐介は、そのまま突き飛ばされるようにして、じーさんの目の前に立たされる。
「それは、この子じゃ! 三男の祐介じゃ! 15年の間に、自分の子の性別も忘れとったんか、この薄情者!!」
……マジ?
呆然と、じーさんの顔を見つめる。確かに、瑛兄をだらしなく、小汚くして、フケさせたような顔。
「おっ……おれの、親父ぃ!?」
裏返った声で叫んだ祐介の顔をしみじみ眺めて、じーさんは、なにやら非常につまらなそうな表情になり、
「……なーんだ。」
と呟いて、ぷいっとそっぽを向いた。
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