minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

10

  おくりもの

 

 

 面談は長引いた。

 いや、面談が、というより、学校の面談室を使い、学校の先生たちを巻き込んだ内田家のてんやわんやが延々続いた、と言ったほうが正しいだろうか。

「小学校の時から、バレーボール一筋で……それはすごく、大切な経験をしました。でも、この辺りで少し、他のことをやって、自分を見つめ直してみたいと思います。」

 そう宣言した紗鳥に、おばあちゃんが食い下がる。そこからが長かったのだ。

「嘘でしょう、さっちゃん。あんた、学校に気を遣って嘘言ってるに違いない。」

「正直に言いなさい、ね? プロの選手になるのが夢だって言ってたじゃないの。」

「ワールドカップ観て、あんなに手に汗握ってた子が。」

「お母さんにオリンピックのチケットをあげるねって約束してたでしょう!」

 いやいやお祖母様、お孫さんもこう言っておられるし、彼女の意志を尊重して……と、校長先生が口を挟んで、なんとか面談を切り上げようとする、その度に、

「いいえ! この子絶対ムリしてます! 本当はやりたいんです!」

 と断言してさらに粘る。どうにかこうにか納得させて、お母さんと紗鳥の二人掛かりでおばあちゃんを面談室から引っ張り出した時には、さすが冷静な柳場先生も、爆発寸前、という顔をしていた。

 

 坂道を下る間、おばあちゃんは一言も口をきかなかった。肩を怒らせて、ひとりでずんずん、先へ歩いていってしまう。

 紗鳥とお母さんは、それを追いかけずに、ことさらにゆっくりと歩いた。見上げると、木々の梢の合間から、星がたくさん見える。

「お母さん。」

 と紗鳥は、囁くような声で呼びかける。

「なあに。」

「本当のこと言って。お母さん、あたしがプロになるの諦めて、がっかりしてる?」

 お母さんは、しばらく黙ってから、いつもと同じ口調で返事した。今にも泣き出しそうな、困惑したような口調。

「お母さんは、別に……さっちゃんがしあわせなら、なんでも……」

「お母さんは? しあわせ?」

 この人をイジメても、なんにもならない……それはわかっていたけれど、どうしても言わずにはいられなくなって、そう尋ねる。

「こんな家にいて、毎日毎日バカにされて暮らして……しあわせ?」

「こんな家、って……」

 困り笑いをしながら、お母さんは後を濁す。

「別に、誰もバカになんて……」

「ふぅーん。」

 ほらね。思った通り。

「……なら、別にいいけどね……」

 後はもう、なにも喋らないで、坂道を下りた。

 

 車は無事、側溝から引き上げられていた。

 道端にしゃがみこんで、煙草を吸いながら待っていたお父さんと、先に辿り着いていたおばあちゃんが、早速ボンネットを挟んで、いつもの口喧嘩を始めている。

 それが一段落ついて、車のロックを開けてもらえるまで、紗鳥はずっと、ニセアカシアの林から届く、さらさらという葉ずれの音だけに、耳を澄ませていた。

 そう言えば、夏休みに合宿があるわよって、滝先輩が言ってたっけ……。飛天山にある、天野先輩の実家に泊まりにいくって。ぼろぼろの、お化け屋敷みたいな家だって。

 桃園会館より、ぼろいのかな。

 八雲くんも……行くのかな。

 

「……なんか、臭くない?」

 赤信号で停車中、助手席のおばあちゃんが言って、車の中をきょろきょろと見回す。

「あん?」

 とお父さんが、イライラした声で、つっけんどんに言い返す。

「なんか臭いするのよ、ヘンな臭い……」

 と言って、後部座席を振り返ったり、座席の下を覗きこんだりする。そうやってごそごそ動きながら、おばあちゃんがシートから腰を浮かした瞬間、紗鳥の鼻にもツーンと、強烈な異臭が突き刺さった。

「あっ! なんだ?」

 と叫んで、お父さんも鼻を押さえる。そして窓を全開にしながら、おばあちゃんのほうを睨みつける。

「母ちゃん、あんた……犬の糞でも踏んで、その足で車に入ったろう!」

「アタシはそんなもの踏んづけてない、あんたじゃないの!?」

「俺じゃない! ほら、見てみい、靴の裏!」

「アタシだって!」

 二人で靴の裏を見せっこしている。確かに、二人ともなにも踏みつけていない。

「あの、お義母さん、もしかして……おしりじゃないですか?」

 と、お母さんが遠慮がちに言う。

「はぁん!? あんた、なにを言うの、アタシがまさかそんな……」

「いえっ、あの。お義母さんのじゃなくて、その……」

「あっ。」

 と紗鳥が叫んで、前の座席に身を乗り出す。

「おばあちゃん、ちょっと立ってみて。」

「はあ!?」

 怒りながらも、どこか不安気な顔つきで、おばあちゃんがシートベルトを外し、前屈みで腰を浮かせる。

 スカートのおしりに、短い、灰色っぽい獣毛がいっぱい混じりこんだ、砂まみれで乾き気味のフンが、べったりと張りついていた。

「あー、お義母さん、これです!」

「ええ? なに? なに!?」

「ああーっ、シートにまで! どうしてくれるんだよ、母ちゃん!」

「そ、そんなの、アタシが知るわけないでしょう! ど、どうしてこんなことに」

「さっき駐車場で、地べたに座りこんでたろう! その時についたんだ絶対!」

「そんなことしてない、絶対に! 初めからここに載ってたんじゃないのかい!?」

「どうやって載るんだよ! いいかげんなこと言ってんじゃねぇよこのクソババア!!」

「あのっ、お父さん、前! 信号、青!」

 ブブブーッ! と後ろから、幾つものクラクションが激しく鳴らされる。お父さんは慌ててアクセルを踏み、車はガクンと急発進する。まだ腰を浮かせていたおばあちゃんが、悲鳴とともに、シートに倒れこむ。

「ひゃあっ! 手、手についた」

「あ、お義母さん、あのこれ、ティッシュ……」

「そんなもんで取れるか、ちくしょう! 先週、車内クリーニングさせたばっかりなのに! 弁償しろ弁償!」

「なにが弁償よ、ドラ息子! そんなことは、自動車税返してから言ってごらん!」

「ギャーッ! その手であちこち触るんじゃねえーっ!」

 わあわあ、ぎゃあぎゃあ。狭い車の中いっぱいに、悪口の応酬と、猫のフンの臭いが充満する。荒っぽい運転。激しく揺れる車内。今にも泣きそうなお父さん。今にも泣きそうなおばあちゃん。

「くっ……」

 鼻を押さえて、紗鳥は呻く。さっきからもう、だんだんガマンができなくなっている。

「くっ、くく……」

「……さっちゃん?」

 心配そうに、お母さんが紗鳥の顔を覗きこむ。

「どうしたのさっちゃん、酔ったの? 吐き気でも……」

「くくくく……、あっ、あは、あはっ、あーっはっはははははははははは!」

 大きな掌を、ぱちんぱちんと打ち鳴らし、苦し気にお腹を折り曲げて、紗鳥は大声で笑う。さっきまでのおばあちゃんの怒鳴り声に、負けないくらい大きな声。

「ひ、ひひひひひ……あはは……くるし……あっ、あはははははは……」

「さ……紗鳥、てめぇ」

「ははははははは! も、もうダメ! この家、おっかしすぎー!!」

 なにか文句を言いかけたお父さんの声を封じるように、紗鳥は笑う。笑う。笑う。

 

 隣では、お母さんがびっくりして、どこか他所の、ぜんぜん知らない娘を見るような目で、紗鳥の顔を眺めていて……それがまた、ひどく可笑しいのだ。

 

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