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奥底の願いを直視する
「おーい! 命の恩人ーっ!!」
学食に、けたたましい声が響き渡る。
思わず「げっ」という顔で振り返ると、遠くの方で、足首に白い包帯を巻いた畠山ぴりかが、テーブルの脇に立って、ぶんぶんと手を振っていた。
その側には、懐かしい顔が……中等部3年生の時、4ヶ月と7日だけつき合った初めての彼女、福岡滝が、史惟に気付いて、やはり「げっ」という顔をしている。傍らの畠山になにか尋ねながら、史惟の方を指差す。畠山が笑いながら頷くと、やれやれという様子で、肩を竦めてみせる。
「ねーっ、ちょっとこっち来てー! お礼があるの、昨日のお礼ー!!」
不必要によく通る声で、畠山がそんなことを言う。
史惟は、滝を見た。すこし迷惑そうではあるが、拒絶まではしていない。
ゆっくりと近づいていく。畠山と、滝と、その奇妙な部活仲間が、いつも一緒に昼食を食べている、隅っこのテーブル。
「……なんだよ、お礼って。」
できるだけ、つっけんどんな態度でそう言うと、畠山はくすくすと笑いながら、テーブルの上にあった、白い、丸いものを、胸に抱え上げる。そして、それをゆらゆらと動かしながら、オクターブ高い、おかしな声で喋り始める。
「オンジンサマ~、ユウベハ、ワタクシノコトマデオタステイタダキ、マコトニアリガトウゴザイマシタ~。」
白い丸いものが、ぺこりとお辞儀をする。
昨日の電気釜だった。蓋に、マンガ的な目鼻が描かれている。
「オカゲサマデ、ジャーコハ、ダイ2ノジンセイヲ、ハジメサセテイタダクコトニナリマシタノ。ドウゾ、メシアガッテクダサイマセ~。」
ぱかりと蓋が開く。中には、鮮やかな薄緑のグリーンピースがいっぱい入った豆ごはんが、ほかほかと湯気を上げていた。
「とゆーわけで。さ、たーんとおあがり。」
と、元の声に戻って言いながら、畠山が学食備え付けの小さな茶碗に、豆ごはんを山盛りによそって差し出してくる。見渡せば、このテーブルのメンバー全員が、同じ物を食べている。
「……おまえら、学校で飯、炊くなよー。」
笑えてくる。なんて非常識でバカな連中なんだ。
「わざわざ家から米、持ってきたのか?」
「ううん。実は昨日、オイラとタキとで、坂下の商店街に、衣装用の布買いに行ったら、レジの人が、福引き券くれてね。ほいでオイラ回したら、赤い玉がぽろんって出てきて、おーおーあーたーりー、ってなったの。コシヒカリ10キロ。ねっ、タキ?」
水を向けられて、滝は一瞬だけ眉を顰めたが、すぐに割り切ったように、史惟に向き直る。
「それで、ゴミ捨て場の電気釜に過剰反応しちゃったみたい。後先考えない子だから……世話かけたわね。」
「……いや。」
初めて言葉を交わす。あの日以来、初めて。
「あ……この豆はさ、そこの天野が、園芸部で育てたやつなんだよ。」
と、中3で同じクラスだった高杢海斗が、もごもごとそんなことを言う。
「天野が? へえ。」
そう言うと、滝の隣にいた天野が、ぬぼーっとした顔を一瞬だけ上げて、小さく頷く。
「それとさー、ひとつ、ちょーっとしたお願いがあったりもするんだー。」
と、畠山が言って、リュックをごそごそかきまわし、紙と鉛筆を取り出して、史惟の鼻先に突き出してくる。
「なんだよ、これ。」
「演劇部入ってちょ。」
「はあーん!?」
どこがちょーっとしてるんだ! あまりのことに史惟は、学食中に響き渡るような大声で叫んでしまう。だが畠山は、そんなことでは全然怯まない。
「今年ってば、不作でさー。今、オイラとタキの二人っきゃいないの。このままだと、部費、がぽっと減らされちゃうから、誰か入ってくんないかなーってゆってたとこだったのね。ほら、あんた今、野球部、休んでるってゆってたじゃん。」
ほれほれ、と鼻先に鉛筆突きつけながら、勝手なことをほざく。
紙は、部員名簿だった。畠山の向こうで、滝が頭を抱えて「あちゃー」という顔をしている。
「……悪いけど、俺、野球部復帰するから。」
「あれま。」
たった今、そう決めた。別に逃げるわけじゃないけど。
「だから……」
はっきり断りかけて、目の前の畠山が、ぷいっと下唇突き出して、ひどく不満そうな顔をしているのに気づく。
「だ……だから、まあ……あれだ……名前貸すぐらいなら……」
「ホントっ!? 貸してくりる?」
一転、ぴかーん、と輝く。なんて単純な奴だ。
「い……言っとくけど、手伝いとか、一切できないぞ。本っ当に名前だけだ。」
「うん、うん、それでいい! ありがとー!」
名簿と鉛筆を受け取り、クラスと名前を書き入れる。
すぐ上に、滝の名前。それをしばらく、じっと見つめる。
「とおの……これ、なんて読むの?」
がりがりと頭を掻きむしりながら、畠山が尋ねる。
「別にいいよ、読めなくて。」
「ふーん。では以後、『遠野恩人』と呼ぶことにする。」
「勝手にしろ、もう。じゃあな!」
豆ごはんの茶碗をもって、逃げるように背を向け、歩き出す。その背中に、
「おかわりいつでも来てねー!」
という、耳障りな声が追いかけてくる。
本当は、振り向いて、滝の顔が見たい。そして言いたい。
まだ、滝が好きだ。諦めてなんかいないんだ、と。
でも、待ち合わせのテーブルに座った風花が、こっちを見ながら、泣きそうな顔になっている。あの子は俺と同じだ。きっとなにかの芝居から、降りられなくなっている。
まずは風花に、ちゃんと謝ろう。そして、幕を引こう。
話は、それからだ。
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