minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

8

  サルベージ

 

 

 薬箱を開け、ガーゼや消毒薬を取り出して、少年は素早く、惣一郎の後頭部の傷の手当を始める。

「いやあ……どうも、助かったよ……。」

 ずっと黙りこんでいるのも居心地が悪い気がして、惣一郎は、殊更に爺らしい口調で、少年に話しかけてみる。

「済まないね……なにか、用事の途中だったんだろうに。」

「お構いなく。特に急ぐことではありません。」

 妙に平坦な、年寄り臭い(と、言ってよいものだろうか、年寄りが)喋り方。さっきの少女といい、この少年といい、我が校にはなかなか、個性的な生徒が集っているようだ。

「宝探しか、なにかかね?」

 籠の中に詰まった道具類を、ちらりと眺めて、惣一郎は言う。

「学園の敷地に、埋蔵金があるような話は、とんと聞かないがね……」

「水場を探しています。」

「水場?」

「噴水の水源になりそうな水場です。僕が活動している部のクラブハウスに、古い噴水があるのですが、昨日、突然噴かなくなってしまったので……」

 聞くなり、惣一郎の頭の中に、色鮮やかなイメージがぱあっと広がる。

 白いセメントの池。放たれた真っ赤な和金。咲き匂うハスの花……そして中央で、ぽっかり開いた魚の口から、常に勢い良く吹き上げていた、一筋の水。

「なんと! あれが、」

 思わず、ぐるりと少年を振り返る。と、巻きつけられていた包帯がずれて、頭からすぽん、と抜けてしまった。

「あ。ああー、こりゃ済まん。せっかく……」

「いえ……噴水をご存知ですか?」

「そりゃあ知っておる。あれは、我が父が作らせたものだ。」

 思わず知らず、得意気な声が出る。少年はまたあの、冷ややかに人を見下したような表情をつくって、しらーっと見返してくる。

 それで惣一郎には見当がつく……これはどうやら、この子の驚いた時の顔であるらしい。感情を表現するのが、不得手な性質なのだろう。

「しかし……全く噴かなくなったのかね?」

 再び、包帯を巻きつけられながら、惣一郎は問う。

「好天続きのせいで、水源の水位が下がっているだけじゃないのかな。あれは、故障するようなものではない。単に高低差を利用しているだけで、なんの動力も使ってはいないのだから。」

「そういう緩やかな減り方ではありませんでした。本当に、昨夜一晩で、急に止まってしまったのです。」

「ふむ……。」

 少年が包帯を巻きおわり、薬箱を片付けている間に、惣一郎は傍らの木に寄りかかりつつ、どうにかこうにか立ち上がる。

「よし……行ってみよう。」

「はい?」

「水源だ。……いてててててて。」

 へなへなと膝をつく。急に、腰に来た。固い地面の上に、ずっと同じ姿勢で座っていたのが良くなかったらしい。

「……あまり、ご無理はなさらない方が。」

 非常に冷ややかな口調……まあ、これも悪気ではない、本人は心配して言ってくれているつもりなのだ、と思うことにする。

「だ、大丈夫だ……それより、君はなにを根拠に、ここまで探し当てて来たのかね?」

国土地理院の1万分の1の地図を入手して、桃園会館の海抜、プラス噴水の高さである2メートルと、等しい等高線上を辿ってみました。そこから僕の知っている場所や、遠すぎる場所、建造物のある場所などを除外していくと……この辺りしか残りません。」

「よし。」

 なかなか、優秀な子だ。

 

 惣一郎が生まれ育った桃園家の屋敷には、百匹を超える錦鯉が飼われていた。

「おそらくは、わしの祖父か、曾祖父の道楽であったと思う……父は、それほど興味はなかったのだろう。その証拠に、戦時中に食料が足りなくなった時に、運動場に大鍋を持ち出して、鯉汁にして、皆で食っちまった。いやあ、あれは実に……うまかったなあー。」

 なれない薮こぎで、ぜえぜえと息を切らせながらであっても、この時のことを思い出すと、どうしたって笑いが出る。

 少年は、黙って先を歩いている。後に続く惣一郎が、少しでも歩きよいように、手に持った鎌で邪魔な枝を切り、下草を踏みつぶしながら、黙々と進んでいく。

「どこの家にも、食料はなにも残っていないという話だったのに……そうして、汁が煮えたぎってくると、皆、なにかしら持ち出してくるんだよ。あの子はネギを1本、この子は大根の切れっ端、こっちの子は、うどんを半わ、という具合にね……。仕舞いには、ガキ大将だった子の親父どのが、どこかの兵舎に割り当てられるのを横流ししたらしい、清酒の瓶を持ち出してきて……それはさすがに、見つかった時に危ないだろうというんで、父が説得して、持って帰ってもらったが……」

 少年は、黙って歩いている。聞いているのか、いないのか。いずれにしろ、惣一郎は語り続ける。語りたいから、語っている。

「楽しかった……。いい学校だった、桃園学園は。あの火事で、校舎も、講堂も、そして、桃園家代々の屋敷さえも焼け落ちてしまったが……子供の頃に、心に蓄えられた思い出というものは、決して、なくなるものではない。僕は、父を……父の築き上げた学園を……いや、己の子供時代を、取り戻すために……」

「この辺りですか?」

 少年が立ち止まり、振り返る。

 薮や、枯れ草の茂みに隠れて、確かに見覚えのある、大きな、平べったい沓脱石が横たわっている。

 顔を上げ、目を細めながら、記憶を辿る……そう、ここは、南の間の縁側だ。ここを降りて、石の上で草履を履いて……小さな黒い敷石を、38個、点々と踏んでいく。この辺りに垣根があって……その先に……

「……これだ。」

 コンクリートで固めた、大きな、ひょうたん型の泉水。

 枯れてはいない。庭の一番奥の、築山の岩の裂け目から、まだ湧水が噴き出している。遠く、飛天山に降り積もった雪が、解けて山脈の地下を流れて、ここで地表に顔を出すのだ。

 かくも長い年月、誰も訪れる人間がいなかったというのに、驚くほど澄んだ、清冽な水をたたえている。成長の早いニセアカシアが、池の周囲をすっかり取り囲んで、日光を遮っているのが幸いしたか。

 跪いて、手を差し入れる。冷たい。冷たい。二の腕まで差しこんでも、まだ指先が見える。透明な、美しい水……

「噴水へ至る取水口の在処は、ご存知ですか。」

 隣にしゃがみ込んだ少年が、静かな声で尋ねているのが、なにか、薄い膜の向う側からのように、くぐもって聞こえる。

「……あの、一番大きな石の真下辺りだ……」

 無意識のうちに、惣一郎は答える。自分がなぜ、そんなことを知っていたのか、よくわからない。

 ぼんやりと水面を見つめるうちに、少年は体操服を脱いで、静かに水に入る。深く息を吸い込んで、とぷん、と潜る。

 保護者から預かった大事な生徒を、春先の、こんな冷たい水の中へやるなど、どういうつもりか! ……と、冷静に意見している自分も、いるにはいる。が、その年寄りじみた声は、遠い思い出の中に潜り込んだ、幼い惣一郎の心には、まるで届かない。

(お父さん。おととに、麩をやってもよろしいでしょうか。)

(お父さん。僕も来年には、おとうさまの学園の一年生になるんでしょう。)

(学園を出たら、僕も兵隊さんになって、皇国の敵と戦います。)

(お父さん。なぜそんな、怖い顔なさるの? お父さん……)

 そうだ……どうして僕は、この場所を、ずっと放っておいたりしたのだろう。いかに全てが焼け落ちてしまったとは言え、自分が生まれた場所、育った屋敷を。

 忘れていたわけではない。いつか、仕事がそれほど忙しくない時期に、ちゃんと片付けに来ようと思いつつ、とうとう、この年になるまで過ごしてしまった。

 優しいニセアカシアが、毎年白い花を供えてくれるのに甘えて、自分では菊一輪、線香の一本さえ、手向けには来なかった……

「お父さん……」

 そう、惣一郎が呟くと同時に、目の前の水面にぶくぶくと泡が立ち、少年がざばりと頭を出した。

 大きく息をついて、それからなにか、錆色の塊を、力一杯水から引きずり上げて、地面の上に、ごろりと投げ出した。

「……鍋?」

 呆然と、惣一郎は呟く。

 それは、鯉を煮た、あの鍋だった。

 学園の炊事場で、母が毎日、教員の昼食の汁を作り、野外炊爨ではカレーを作った、桃園学園の大鍋だった。

 ……そうだ。父は、錦鯉が好きだった。

 休日には、ここで日がな一日、水面を見つめて微笑んでいた。珍しい模様のついたものには、特別な名前をつけて、かわいがってもいた。

 その鯉を汁にして、翌朝、鍋を池に投げこんだのだ。軍に供出しないため。融かされて、鉄砲の弾にされるのを防ぐために。

 そして数日後、特高警察に連行されて、そのまま、帰らぬ人となった。

(私は君らを、死なせるために教育するのではないのだよ……)

「お父さん……」

 錆びた鍋に手を伸ばし、そっとさすりながら、惣一郎は静かに、亡き人に呼びかける。

「……長らく……ご無沙汰して……」

 胸の中で、扉が開く。別の世界への扉。あちら側から、眩しい風と、香しい光とがひとつになったものが、どっと流れこんでくる。

 ……もう少しだ、という声がした。僕の仕事は、もう少しで終わる。多分、あの少女がこの学園を巣立ってゆく頃、もう一度この扉と出会って、くぐり抜けていくことになるのではあるまいか……

 ふと、顔を上げる。傍らの少年が、体から水を滴らせたままの姿で、鍋に向かって静かに頭を垂れ、手を合わせてくれている……。

 

 

 

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