minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

5

  心から望むなら

 

 

「この世界は、相変わらずだよ。大人たちは今も、自分たちの傷を引き継がせるための形代として、子供たちの魂を呼び寄せている……。」

 惣一郎の胸に頬を寄せたまま、ぴりかという少女は、そんな話を始める。

 どんな世界だろう? この子はいったい、どこからやってきたのだろう?

「昨日、小早川のおじいさまから、あの人に電話がかかってきたの……。」

「小早川の……?」

 どこかで聞いたような名だと思うが、思い出せない。

「うん。畠山の、毬絵お姉さんが、離婚して北海道に戻ってるみたいだけど、どういうことなんだ、って。なんか、男の子が生まれてるらしいぞ、って……。」

「まりえ……?」

 わからない話が続いて、惣一郎の頭が、ぐらぐら混乱し始める。

「忘れちゃった? ほら、あたしたちの、腹違いのお姉さん。父親の、前の奥さんの娘。畠山のおじいさまの気に入らない人と結婚して、勘当されてた人。小さい頃、北海道で、一度だけ会ったことあるでしょ?」

「ああ……うん。」

 とりあえず、いいかげんな返事をする。聞き続けていけば、後で思い出せるかもしれない、と淡い期待を抱いて。

「先月、そうくんの一周忌に行った時には、いなかったんだけど……」

 僕の一周忌???

「その時はもう、出産で入院してたみたい。あの人、父親からも、他の誰からも、なにひとつ知らされてなくて……」

「あの人?」

「母親。」

 ひどく早口で、吐き捨てるような言い方をする。

「生まれて1ヶ月も経ってから、小早川家経由で、ようやく知らせが廻ってきたの。真っ青になってたよ。これでもう、あの人の立場を保証してくれるものなんて、なんにもなくなっちゃったんだものね。賢いそうくんはいなくなって、手元に残ってるのは、自分の点数にはなりそうもない、アタマのおかしな娘がひとりだけ……。昔の自分がやったように、親の言うこと聞いて好きでもない人と結婚して、おとなしく子供産む、なんてことは、逆立ちしたってやりそうもない役立たず。そこへ前の奥さんの子が、立派な男の子を産んで戻ってきたんだもの。もう、老後はお一人でどうぞ、って言われてるようなものだよね。自分ひとりで生きていけないオトナなんて、本当に哀れだよ……」

 さほど哀れんでいる風でもなくそう言って、皮肉に笑う。

「電話切ってから、呆然としちゃって……それから、あたしの顔見て、急に怒り出したの。なにがそんなにおかしいの、って。多分あたし、自分でも気がつかないうちに、顔、笑っちゃってたんだと思う。そんなつもり、なかったけど……。それで、久しぶりに、ばしーんてひっぱたかれちゃって……」

「叩かれた?」

 仰天して、惣一郎は聞き返す。

「悲しくないのか、なんて言うんだよ……。たったひとりの兄が死んで、家族がばらばらになってるっていうのに、なにをにやにや笑ってるんだ、って。人間の心が残ってないのか、なんてことも言ってたな。……なんか、ものすごい論旨のすり替えだなあ、と思ったら、今度はもう、本格的に笑えてきちゃって……。笑うしかなくって……。」

 そう言いながら、小刻みに体を揺らす。

 泣いているのか、笑っているのか、わからない。惣一郎の胸に、顔を埋めたままだから、わからない。

「……ね、もう、行こうよ……。」

 ぎゅうっ、と惣一郎の体に、きつくしがみついて、少女がそんなことを言い出す。

「そこへ行こう。そうくんの作った、新しい世界に行こう。ぴりかも、そこへ行って暮らしたい。そうくんと一緒に……。」

「僕と? 一緒に?」

 それが、具体的にどういうことなのか、見当がつかない。

「……だめなの?」

 怯えた声で、少女は聞き返す。

「連れてってくれないの? そうくん、ぴりかを迎えにきてくれたわけじゃないの? ここで、また、さよならして……それっきり、会えないの?」

「いや……そういうことではないんだ。ただ……」

「じゃあ連れてって。たとえ、入り口をくぐった瞬間に、今のそうくんと同じ年になるのだとしても、それであと1日しか……ううん、ほんの一瞬しか生きられなくてもいいから……一緒に行きたい。」

 そう、少女が願うので、惣一郎は真剣に「連れて行く方法」について考え始める。

 ここから、大学の理事長室へ連れて帰って……桃李の生徒にしてあげればいい。自由で幸福な、僕の学園の子に。

 だが、そこまで考えた途端に、惣一郎は気づく。この子が着ているのは、桃李の制服ではないか! ひどく汚れてはいるが、まぎれもなく、今のこの時代の、高等部の女子のブレザーだ。

 なのに、なぜこの子は、幸福でないのだろう。

 この子の言う、僕の世界とは、どこのことなのだ? 築きあげたこの学園か。それとも……これから行くはずの、まだ見ぬあの世のことか。なんだか、頭の後ろが痛む。考えようとすればするほど、ズキズキする。

 ギイィーッ! と、鋭い鳥の鳴き声。頭の上の梢に、つがいのカササギ。

 そうだ。僕は林の中で、頭を打って……気を失ったのだ。とすると、ここは本当に『世界と世界の間の林』……現世と来世とを結ぶ、魔法の場所なのかもしれない。僕はたった今、ついに人生を終えて、死なんとしているところ、なのかもしれない。

 だとしたら……。

「そうくん……。」

 少女の体が、かたかたと、小刻みに震えている。逃げ道のない断崖に立って、真下を見下ろしているかのような、悲壮な声。

「連れてって……もう、置いて行かないで……」

「ああ……。」

 そうか。それを望むのか。

 僕はなにか、重大なことを見落としていたのかもしれない。あの、ひどい時代のマイナスから、ここまで大きく、プラスに転換したことで……自分の暮らしが安全になったことで、油断していたのかもしれない。

 たとえ、はじき出された答えが、大きく異なっても……この国を動かしている数式は、それほど深く変化してはいないのかもしれない。何人かの子供たちは、未だに、その数式の内部に閉じ込められて、あの頃の僕らと同じ、飢えや苦しみを味わっている。

 ……それでもいい。

 僕はもう、やれるだけのことはやったんだ。後のことは、次の世代に任せよう。僕の仕事は、ここまでだ、もういいんだ……。

 そう思って、惣一郎は静かに、少女の顎に手をかける。

 用心深く、辺りを見回す。……猫がいなくなっている。やれ、ありがたい。これでもう、あのいやな視線を気にしなくともよくなった。

 ゆっくりと、上を向かせる。とても静かな顔。ごく薄く目を開けて、微笑む。

 懐かしい気持ち。嘗て、ひとりの少女をこんなふうに想った日々が、僕にも確かに、存在した。

 そっと、頬を撫でる。地面に寝かせて、覆いかぶさる。生と死の境目の感覚が、鮮やかに舞い降りてくる。

 その瞬間、がさがさと、薮をわけて近づいてくる、無粋な足音が響いた。

 

 

 

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20/20

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