minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

3

  暗転

 

 

 踏み分け道は、大学の学食の裏に、まだ微かに残っていた。

 大正時代に、惣一郎の父、桃園惣作が、私財を抛って建設した学校、桃園学園。当時の建造物は、戦時中に起きた原因不明の火災で、ほとんど焼失してしまい、今は事務棟だけが、ニセアカシアの林に守られるようにして、ぽつんと建っている。

 後に『桃園会館』と名付けられた、その事務棟の管理責任者は、惣一郎自身である。朝早く出勤し、理事長室でお茶を飲んだ後、この踏み分け道を辿って桃園会館まで歩いて、鍵を開けて戻ってくる。それが、手術で入院する5年前までの、惣一郎の日課だった。

 なにも、理事長自らそんなことをしなくても! と、登志雄にも、他のものたちにも、散々とめられたのだが、健康のため、ウォーキングがてらに……と言い訳して、譲らなかった。

 あの建物には、愛着がある。

 幼き日には、あの事務棟の一階の宿直室で、よく父と一緒に寝泊まりをしたものだ。事務仕事をこなす父の傍らで、自分も小さな文机に向かって、なにやら文字を書きつけて遊んでいた。それで、父と一緒に学園のために働いて、役に立っている気になっていた。

「しかし……そろそろ取り壊さねば、さすがに、危ないかもしれんなぁ……。」

 さらさらと鳴る葉ずれの音を聞いて歩きながら、ひとり呟く。

 おそらく、消防法違反だろう。然るべきところから監査が入れば、使用禁止を言い渡されるのは、目に見えている。

 確か今は、高等部の、部員数の少ない部の部室棟として活用してもらっているはずだが……それを決定したのも、もう、かれこれ10年以上も昔のことのような気がするし、はて、今はいったい、どうなっているのか。

 なんだか急に自分の人生が、継ぎはぎだらけの、まとまりのないもののように思えてきて、惣一郎は、ふう、とため息を吐く。

 吐いた途端……足元の踏み分け道が、なくなっていることに気づいた。

 前も、後ろも、ニセアカシアのひょろひょろとした若木に囲まれて、林と言うよりは、薮のようになってしまっている。いつの間に、こんなところへ入り込んでしまったのか。どちらが桃園会館で、どちらが大学なのか、まるっきり、見当もつかない。

 ギー、ギー! と、威嚇するような、気味の悪い鳥の鳴き声。ぎょっとして頭上を振り仰ぐと、梢に絡みついた藤の蔓に、つがいのカササギがとまっている。

 北九州の一部にしかいなかった鳥が、近年、次第に生息域を広げているとは聞いていたが、まさか、この学園の林に、住み着いていたとは……

「ギィーッ、ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!!」

「うわ。」

 突然、つがいのうちの1羽が急降下して、惣一郎の顔の、すぐそばをかすめて飛んだ。

 慌てて避けようとして、朽ちた木の枝にけつまずく。そのまま、よろよろと転倒して、後ろの木の幹で、後頭部を打つ。

 ひゅうーんと落ちていく意識の底で、惣一郎は、

(あっはっはっ……やっぱり、唐突に連れて行かれるものだったんだなあー。)

 などと考えて、なぜだかひどく、愉快な気持ちになる。

 

「……くん? そうくん?」

 なんだろう。人の声がする。

 こんなふうに僕を呼ぶのは、誰だったっけ。だいちゃんたちには、ずっと「そうちゃん」と呼ばれていたし、いち子たちは「あんちゃん」だった。母さんは、物心ついた時からずっと「惣一郎さん」だったし……。

 うっすらと目を開く。己の体は、上半身を木の幹にもたせかけるようにして、地べたに投げ出されている。目の前に、少女の顔。

「そうくん……?」

 見た途端、今がまだ、戦時中であるかのような錯覚に襲われた。

 自分は、長い長い夢を見ていて……それは、戦争が終わって、僕がこの学園を無事に立て直して、80を越すまで長生きする、という、幸福な夢で……

 そしてたった今、そこから目覚めたところ、なのではないだろうか。そんな、壮大な幻想。

 多分、この子の顔立ちのせいだ。痩せて目ばかり大きくて、目の下に、小さな青あざまで拵えて。茶色っぽい髪の毛は、もつれてくしゃくしゃ。防空頭巾を被せたら、さぞかしよく似合うだろう。似合うというのもおかしいが。

 そして、この表情。

「そうくん……なの?」

 絶望し尽くしたような。そのくせ、その絶望を、どこか高みから見下ろしているかのような、呆然とした表情。

 あの頃、この国には、こんな目をした子らが、たくさんいた。自分も含めて、皆、いつこの命が果てるかと怯えながらも、その怯えに無関心を貫いて生きていた。

 僕は、死んだのかな? 死んで、己の青春時代に、あの切ない時代に、逆戻りしてきてしまったのかな……?

「別の世界から、帰ってきたの?」

 掠れた、小さな声で、少女がそんなふうに尋ねてくる。

「長い旅をして、帰ってきたの? 別の世界で、長い人生を生きて……それから、ここへ、戻ってきてくれたの?」

 そうかもしれない、と惣一郎は思う。そして少女の目をじっと見返しながら、静かに微笑んで……

 こっくりと、頷いた。

「……そうくん。」

 滂沱の涙を滴らせながら、少女はことりと、惣一郎の肩に額を落としてきた。

 ごく自然に、惣一郎は腕を伸ばして、少女のやわらかな体を抱きしめる。少女も、抱きしめ返してくる。

 髪を撫でてやると、小さく嗚咽が漏れ始め、やがて、大きな泣き声になっていく。わあわあと幼児のように泣きじゃくる。

 かわいそうに。かわいそうに。きっと、怖かったのだろうね。淋しくて、不安で……それなのにずっと、泣くのを我慢していたのだね。偉かった、偉かった……。

 にゃおーう、と、なんだか人間じみた猫の鳴き声。木の陰から、大きな灰色の縞猫が、小首をかしげながら近寄ってきた。賢そうな顔つき。なにをやってるんだ? と、少女に話しかけているように見える。

 ああ、いいんだよ、いいんだよ……。どうしてかわからないが、惣一郎は少し慌てて、猫に目配せをする。ちょっと、黙っていてくれないか。しばらく、このままでいさせてやってくれ。大丈夫、大丈夫だから……。

 そう念じたのが、通じたのかどうか。猫は、胡散臭そうな顔つきで、惣一郎から少し離れた地面に、ちょんと座りこむ。

 頭上から、ギャギャギャギャ……と、またあのカササギの声。見上げて猫が、めおろろろ、と、叱りつけるように鳴く。

「そうくん……そうくん……」

 押さえ切れないしゃくりあげの下から、少女は呟き続ける。

 その体を撫でさすりながら、惣一郎は考える。考えることをやめずに生きてきた人間なら、誰でも保持している、永遠に年をとることのない、少年の部分で。

 ……ここは、桃李学園の林の中。僕が作り上げた世界の内側。つまりは、僕の内側。

 なのに、なぜだろう……。

 なぜ、こんなにも広いのだろう。僕自身が、道に迷うほどに。僕の知らない少女が、いつの間にか、住みついてしまうほどに……。

 

 

 

→ next

http://kijikaeko-mch.hatenablog.com/entry/11-4

 

 

 

20/20

20/20