minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

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  呼び声

 

 

 5年前、腸に小さなガンが見つかり、入院と手術を経験して以来、惣一郎は己の死を、常に明確に意識するようになった。

 遅すぎる……と、言われるかもしれない。いや、別にそれまでの人生を、不死身のつもりで、うかうかと浪費してきたつもりはないのだ。人は、必ず死ぬ。だいちゃんも、早乙女君も、藤島君も、あの戦争にとられて死んでしまった。妹のいち子も、弟の幸雄も、このあんちゃんよりも先に逝ってしまった。そして、妻も。

 僕がこうして生きながらえているのは、単なる偶然だ……それはいつだって、胸に刻んで生きてきたつもりだ。

 ただ……僕、仕事があったろう。自分でもよくわからないが、この学園を立て直して、戦争前より、もっと立派なものにして……それからでないと、皆のところへ行けない。そんな気がしていたんだよ……。

(それじゃったら、もうとっくに済んどるじゃろう、そうちゃん。)

 そうかい? だいちゃんも、そう思うかい?

(桃園君は、実によくやったよ。もう、充分さ。)

 早乙女君。本当はあの頃、君に手伝って欲しいことが、どれほどあったことか……。

(別に急かすわけじゃないがね。いったい、あと、なにが心残りなんだい?)

 それがよく、わからないのだよ、藤島君。

 桃李学園は、立派になった。今は県だけではなく、全国でも有数の名門校と言われている。各界に優秀な人材を輩出し、日本の繁栄に貢献していると、胸を張って言える。

 ただ……この前、中等部の図書室に、新しい本がどっさり入ってね。

 僕は相変わらず、子供の本が大好きなものだから、空いた時間に、のこのこと中等部に出かけていっては、生徒たちに交じって、本を読んでいた。そこに、ネイティブ・アメリカンの人々が口承してきた詩を書き留めた、『今日は死ぬのにもってこいの日』という本があった。

 そのタイトルが、強烈でね。

 ああ、きっとこの先、僕にもそういう日が来るんだろうなあ、と思ったら、それだけで、晴れがましいような、満ち足りたような、なんとも言えぬ心持ちになったのを、憶えているよ。嗚呼、死ぬのに、もってこいの日……

(ふうん。つまり桃園君は、そういう気分になる日を待っている、というわけなのかね?)

 うん……どうなんだろう。人は本当に、そんな風に死ねるものなのかい……?

 そう問いかけた途端、頭の中で会話していた、若き日の友人たちの面影が、すうっと滲んで、融けていく。

 ……彼らは、戦争で死んだ。そんな気持ちになるひまがあったのかどうか、確かめる術はない。

 そう。僕だってある日、突然、抗いようのない力で連れて行かれないとも限らない。どちらかといえば、その可能性のほうが高いだろう。

 覚悟はできている。だがやはり、『今日がその日だ』と知らせてくれる『なにか』が、あればいいと思う。それを待っている。最近の自分は、つまりはそのなにかを、探し求めてばかりいる……。

 

 廊下を歩くと、開け放った窓から、爽やかな空気が流れこんできた。

 味覚や嗅覚といったものは、年をとるごとに、鈍くなっていく一方なのだと思いこんでいたのだが、惣一郎の場合、80を越した辺りから、なにやら、鼻が冴えてきた。

 ……これは、ニセアカシアの花の匂い。

 途端に、からだごと、遠い昔に引き戻される。

 戦争中に焼け落ちた、桃李学園の前身、桃園学園の校舎の跡地に、どこから種が飛んできたものやら、ニセアカシアの木が、一斉に芽を吹いた。そして、学園の復興と歩調を合わせるかのように、林も育っていった。

 そうか、もう、あの白い花の季節か……。

 ふらふらと、窓辺に寄って、窓枠を掴みながら、軽く身を乗り出す。目を閉じて、深く息を吸いこむ。

 なにか、もどかしいような、せつないような気分が、胸の奥から、ふつふつと湧き上がってくる。

 

 

 

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20/20

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