10
継がれゆくもの
踏み分け道をそれた、小さな地面の窪みに降り立って、ふう、と大息を吐く。危ない、危ない。もうちょっとで、足を踏み外して、尻餅をつくところだった。
「湯浅君、理事長は退院なさったばかりなんですよ。こんな無茶をさせて……」
「しーっ。」
青年が、もう一度注意する。そして黙ったまま、座れ、座れ、という合図をして、林の奥を指差す。
地面の段差に身を潜めて、木の陰から、その方角を覗き見る。すると、緑の小道を……なにやら、ごちゃごちゃした色の塊が、行進してきた。
胸ポケットへ手を入れて、眼鏡を取り出す。見える、見える。真っ白な西洋風のゴースト、のっぺらぼう、ひとつ目の入道、首に針金が入っているらしいろくろ首。その他、わけのわからない化け物たちに、着ぐるみの動物たち……
「はーい、ここで一旦停止ー。」
ちょうど惣一郎たちが潜んでいる窪みのすぐ前で、先頭の、白い布を被ったゴーストが振り返り、その単純な造りの手をひらひらと振る。
「じゃー最終確認しまーす。コースは覚えてるね? 運動部のテリトリーには入らず、文化部のエリアだけを、ぐるっと回って帰ってきます。所要時間は約12分の予定。ビラ係、ちゃんと割当の枚数、持ってますかー?」
はーい、という少女たちの声がして、白とピンクの着ぐるみのウサギが、紙束を振り回してみせる。
「鈴ちゃんの歌と演奏は、林を出てから、桃園会館へ戻るまでねー。」
「はーい。」
と、むくむくした白い羊の衣装を着たメガネの少女が、小さな弦楽器を差し上げる。
「ゴーヘーは、間違ってもその頭、外さないように。」
「えー、なんでですかあ?」
と、手に鐘をぶら下げた黒いオオカミが、早速その頭をポンと外して尋ね返す。中から現れたのは、髪を脱色した、今時の少年の顔。
「俺が顔出してやれば、女の子何人かくらい、すぐ勧誘できるっすよ。」
「だからだ、バカ。そんなかしましいタイプの1年生に、桃園会館を乗っ取られてたまるか。そういうのは軽音へ連れてけ、軽音へ。」
「ちぇー。」
口を尖らせて、またすぽんとオオカミの頭を被る。
「その他、妖怪変化の皆さんは……まあ、張り切っていきましょう。」
「ぐおおおおっ!!」
という雄叫びが、林の中いっぱいにこだました。ゴーストが慌てて、
「しーっ! しーっ!」
とたしなめ、黙らせる。
「合図してからだ! じゃあ、いいか? ぴりかちゃん、スタンバイ!」
「ほーいっ!!」
真ん中にいた、小さなヒグマが、元気に両手を挙げた。
聞き覚えのある、喉を潰したような少女の声。惣一郎が目を丸くして見守る中、ヒグマは怪物のひとりが肩に担いで持っていた長い棒に、両手、両足を縛られてぶら下げられる。
「大丈夫? 痛くない?」
「縄、食い込んでないね?」
「だいじょぶ、おっけー!」
「よし! では、出撃準備!」
ゴーストの号令で、怪物の中で最も背の高い(ろくろ首は除く)二人が、ヒグマのぶら下がった棒を、肩に担ぐ。
前にいるのは、秋田のなまはげ。後ろにいるのは、どこか、南の島の雰囲気を持った、真っ黒い泥の塊のような化け物。
「天野、大丈夫か? そっち、重くない?」
なまはげが、木のお面ごと、後ろを振り向いて尋ねる。
「いや。僕の方が肩の位置が高い以上、物理的には遊佐君の方に、より負荷がかかるわけで……」
妙に平坦な、年寄り臭い喋り方。これはあの時の、あの少年だ。
「いや、まあ、ぴりかちゃん、軽いしね。」
「美優先輩。髪の毛出てます。」
「あ、ありがとー。」
「わ、ヤマダ先輩、止まって! 首、枝に引っかかってる!」
「準備いいな? 雰囲気出すために、もう、ここから始めるぞ。では、しゅつげーっき!」
「おーっ!」
その合図とともに、オオカミが鐘を打ち鳴らし、怪物たちは奇声を上げて、ぴょんぴょんと辺りを飛び跳ね始める。
時折、吊るされたヒグマの側へ近寄って、突いたり、殴るマネをしたり、なにやら口汚く罵ったりする。ヒグマはその度、怒りくるった様子でじたばたと暴れ、牙を向いて怪物たちに吠えかかる。
そんなふうにして、一行は林を出て、勧誘会のただ中へ乗り込んでいった。陰気な鐘の音に、弦楽器の音と、物悲し気な歌声が重なり、やがて他の生徒たちの、
「きゃあ!」
「なんだ!?」
「いやーーーっ!!」
という悲鳴が、聞こえてくる……。
「追わないの?」
すっかり興奮した様子で、菊川さんが青年に尋ねる。
「なにやってるか、見たいわ。」
「いや、あれ以外のことはやらないはずです。ここから這い出すだけで一苦労ですし、12分、待ってましょう。」
中庭の方からは、断続的に悲鳴が響いてくる。
それを聞きながら、じりじりと待つ。12分どころか、1時間ほどにも感じられたが、ようやく再び鐘の音が近づいてきて、一行が戻ってくる。
その列の、最後尾を……
3人ばかりの、制服姿の新入生が、魂を抜かれたような顔で、ふらふらと歩いていた。
ある生徒は、頭上を覆うニセアカシアの葉を、こわごわ見上げ。別の生徒は、ヒグマの仔に、すっかり目を奪われ。また別の生徒は、怪物たちに同調して、興奮した奇声を発しながら。
かんかんと、鐘の音が遠ざかる。行列が緑の小道を進んで、すっかり見えなくなった時、惣一郎は、思わず天を仰ぎ、微笑みを浮かべて立ち上がる。
お父さん。あなたの作った学園の子らは、皆、元気です。元気で、賢くて、優しくて……それから、とても愉快な連中ばかりですよ……
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