minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

第十一話 桃園惣一郎、扉の向こうを垣間みる縁 1

  黄昏を行く人

 

 

「……という調査結果が出ております。ちなみに、このアンケートは前年度末、那賀信金がついに破綻を申告するより以前に、任意で実施されたものでありまして。ですから現状では、学費の支払いが困難になった児童生徒数は、これよりも、かなり増えているのではないかと予想され……」

 その辺りで、経理部の報告の声は、まるで潮騒のような、単なる『音』の積み重なりへと変化していく。

 心は、ここにあって、ここにない。潮騒の中で、桃李学園理事長、桃園惣一郎の意識は、自らの脳の中にちりばめられている、様々な思い出の断片の中を、ひらひらと飛び回りはじめる。

 記念撮影の写真のような、わかりやすい情景も、幾つかはある。だが大部分は、なんでもないところでうっかりシャッターを切ったピンボケ写真ような、意味不明の画像たちだ。それらの視覚的な記憶に、さらにわけのわからない音声や、におい、その時の自分の感情などが、断片的に被せられていく。

『そうちゃん、鼻のあたまはどうしたんじゃ?』

『かばやきの、かば、というのはのーう……』

『……な、ころには、……ってなわけが……』

『あんちゃーん、あんちゃーん!』

「……理事長? 理事長!」

 はっと我に返って、あたりを見回す。

 桃李大学事務局にある、大会議室。テーブルには大学と、高等部、中等部、初等部、幼稚舎それぞれの要職についた者たちが、ずらりと並んで、こちらを眺めている。

「大丈夫ですか、理事長?」

「……わし、どうかした?」

 ちょっとおどけて、惣一郎は問い返す。

 隣の席で、惣一郎の長男であり、大学の学長でもある桃園登志雄が、苦笑いを浮かべて応える。

「いや、急にガクッと首を折り曲げられたものだから、びっくりしたんですよ。」

「ああ……じゃ、寝ちゃってたのかねえ。いや、申し訳ない。」

 クスクスクス……と、会議室に、ひそやかな笑い声が広がる。

 だいぶ、ボケてると思われているな、と惣一郎は思う。いや、実際ボケているのだろう。身の回りの細かいことが、だんだんと、どうでもよくなっている。

 自分では不都合を感じないから気にならないが、傍で見ているものにとっては、さぞかし、あぶなっかしいに違いない。

「お疲れでしたら、理事長室でお休みになって下さい。おそらくこの議題、まだまだ長くかかるでしょうし。」

「うん……。」

 そうだろうなあ、と惣一郎は思う。長年、この学校を運営してきたが、こんな事態は、まったく初めてのことだ。

 長引く不況で、県内の優良企業が、軒並み業績を落としている。

 学園に通う子らの保護者の中にも、事業が立ち行かなくなった人や、職を失った人が、大勢、いるようだ。応急奨学金の枠は、すでに増やせるだけ増やしてあるが、まだまだ希望者が、あとを絶たない。

 幸い、退学者はまだひとりも出ていないようだが、それを視野に入れた相談を、担任やカウンセラーに持ち込んできた生徒は、けっこういるらしい。この4月、せっかく試験に合格しながら、経済的な理由で入学を断念した子も、何人かいると聞いている。

 なんとかしてやりたい、と惣一郎は思う。

 自分の作り上げた学校に、自信を持っている。ここで学ぶことが、子らにとって幸いであると、固く信じている。

 だが、経済的なことには、やはり、限度というものがある。これ以上、未納の生徒が増えると、運営そのものに影響が出てしまう。

「教材費や、設備費など、まだまだ見直しのできる予算が、いっぱいあるのではないでしょうか? そういったところを切り詰めてですね……」

「それじゃ、きちんと支払って下さってる保護者の方々が納得しませんよ。結果として、未納の生徒のせいで、自分の子供の受ける教育の質が下がるんですから。」

「生徒のせいでって、それは、言い方があんまりじゃないですか? 子供たち自身には、どうしようもない事態なんですよ!?」

「感情論でものを言わないで下さい。現実に、現場の教員は、そういう生徒たちのケアに時間を取られて、深夜まで残業しなければ授業の準備ができないようなところまで来ている。図書費を下げたことによるクレームだって来てるんです。」

「へーえ。僕、福田先生が残業しているところを見たことないけどなー。」

「矢部先生! 今は会議中ですよ! 私怨で口を出さないで下さい!」

 カンカンガクガク。皆、なかなかに熱くなっている。テーブルのまわりに、ぽっぽっと、白い湯気が立つのが、目に見えるようだ。

 だが所詮、同じような意見の応酬が、延々と続くだけ。このまま無理をしてつき合っても、またフネを漕いでしまうに違いない。それでは却って失礼だ。

「学長。申し訳ないが、やはり私はちょっと、中座させてもらいますよ。」

 小さく声をかけて、テーブルに両手をついて、よっこらしょう、と立ち上がる。

「なにか、ありましたらね、呼んで下さいね。」

「ええ、わかりました。」

 と、登志雄は言って、椅子をひいてくれる。まあ、呼ばれることはあるまい。実権は、もう何年も前から、全面的にこの息子に渡してある。会議に惣一郎がいなくて困ることなど、ひとつもありはしない。

 てけてけと、我ながらおぼつかない足取りで、テーブルを回りこむ。

「てけてんてん、てけてんてん、てけてんてんてん……♪」

 おっと、自分は、またやってしまっているぞ。最近どうも、歩いているとこの口三味線が漏れてしまう。

 この前、登志雄たちと食事に行ったレストランの廊下に、大きな鏡がずっと掛かっていて、そこに映った自分の歩きっぷりが、晩年の志ん生が上手から出てきて座布団に座るまでの歩き方に、あまりに似ていたので、ひとりで噴き出してしまったのだ。それ以来、歩くたびに、頭の中でこれが鳴る。

「てけてんてん、てけてんてん、てけてんてんつくてんてんつくてんてん……♪」

 いかん。どうも自分では止められん。

 テーブルの向こうで、誰かがくすくすと、遠慮のない笑いを漏らした。数年前まで、大学で心理学の教授を務めていた、菊川みな子先生だ。

 学園内の、スクールカウンセリングの体制を整えるのに、相当な尽力をいただいた。今は教壇をおりて、大学の付属病院のメンタルクリニックで、顧問をしておられる。彼女も志ん生、お好きだったっけ。

 ようやく会議室を横断して、重々しいドアを開け、

「お後がよろしいようで。」

 ぺこりと礼をすると、居並ぶ会議の面々が、失笑しながら礼を返してくれた。

 つかの間の、和みの色。

 

 

 

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