minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

8

  影

 

 

 おれは猫だ、おれはおれの道を行く。

 おれは、おれの力を知っている。ニンゲンにはなく、猫にはある力がなんなのかを知っている。

 もしゃもしゃのまわりを、おかしな影がうろつき始めた。

 それは、次第に数を増し、互いに重なり合い、闇を深めていく。

「去年の今頃……」

 熱いスープをすすりながら、もしゃもしゃは喋る。

「奏くんは、森へ入っていったんだ。森はよく、別の世界への入り口を、奥のほうに隠しているからね……。」

 手に持った棒を器につっこみ、汁の中のものをつまみ出して、はふはふと、なにか必死の有り様で喰らいついている。

「世界は、ひとつじゃないんだ。パイ生地みたいに、たくさんの次元、たくさんの宇宙が重なり合ってるの。そうして条件さえ合えば、入り口が開いて、別の世界に移動できるかも知れないの。その入り口が、いちばん出現しやすいのが、古い森なんだって。奏くんは、そう信じてた……」

 もしゃもしゃの声が、また飲めない水のように固くなっていく。

 おれは毛づくろいをやめ、影どもが入ってこられないように、もしゃもしゃのまわりにヒゲを張る。

「もちろん、他にもいろんな入り口があるけどね。いちばん簡単なのは、本を読むこと……。本の中は、別の世界だものね。あたしも、奏くんも、そうやってたくさんの別の世界を旅した。でも、それはみんな、短時間で終わってしまう……」

 何者も、ヒゲを越えて入ってきてはいない。

 すると、これはもしゃもしゃ自身の、もうひとつの姿なのか?

「それに、その本を買い与えてくれるのも、読み耽る間の食事や、ベッドや、着るものを世話してくれるのも、結局はあの人だったものね。そして、その代償を求めてくる。きれいにしてご挨拶すること。かわいらしく微笑んで写真に納まること。バイオリンや乗馬のお稽古を、一生懸命すること。テストでいい点を取ること……これは、あたしにはとても、難しかったけれど。」

 くすりと鼻先で笑う。それを見ると、確かに、おれのもしゃもしゃだ。

「だから、本だけではもう、耐えられなくなった。どんな素敵な別世界でも、行って、帰ってくるたびに、本当の自分は、ここでずっと捕われたままだったんだ、って気づくとしたら、だんだん、辛くなるばかりだものね。それであたしたち、行動を起こすことにしたの。本当の別世界を探して。最初は、物理的な家出。3日で捕まって、連れ戻されちゃった。次は、学校に行かないことに決めてみた。そしたら親戚中が出てきて、全員があの人を、あたしたちの見ている前で責めたてた。それであの人、あたしたちを、元の『いい子』に戻せなかったら、死んでお詫びいたします、なんて宣言しちゃった……。」

 しばらく、体を揺すって笑っている。

 巣のまわりの影どもが騒ぎだす。ヒゲが、ばちばちする。

「死ねばよかったのに。」

 ばちん、とヒゲがはぜる。やばい。もしゃもしゃ、やめろ。

「あのまま、死なせといたらよかったんだわ。奏くんを、ひとりで行かせるくらいなら、いっそ、あたしがとどめさしてやればよかった。そしたら奏くんは、森へ行かずに済んだのに。本当の別世界の入り口を探して、あんなに遠くまで行かずに済んだのに……」

「にゃあ。」

 呼びかけて、膝に前足を乗せる。そして、ごろごろと喉を鳴らしながら、もしゃもしゃが抱えこんでいたスープの器に、口をつっこむふりをする。

「ああ……そうだね。もう、冷めちゃった……」

 そう言って、もしゃもしゃはあっさりと、器を地面の上に置く。

 もう、喰わないのか?

「うん。なんか、おなかへってない……」

 そしてもぞもぞと、布団の中へ潜りこんでしまう。

「寒いね、今日も……。でも、おふとんの中、あったかいや。太賀くんてば、ホント、いいものくれたよなあ。電子レンジ3分で、3時間もあったかいんだもん。文明の利器ってすごいねえ。」

 ふとんの中には、なにやら不自然な熱を発する、ふにゃふにゃした物体が仕込まれている。

 あの建物の中に集まる、もしゃもしゃの仲間のひとりが、この前よこしたものだ。もしゃもしゃはそれを「ぴりかのりらっくまちゃん」とかなんとか呼んで、大変な気に入りようである。

 おれはスープを飲み、口のまわりを拭いてから、外へ出る。

「きゅうり? 一緒に寝ないの?」

 すぐに戻る。

 今は、こいつらに用がある。

 おれは、巣の入り口で、腰を下ろす。

 しっぽを振る。地面の上で、右に一回、左に一回。それから、ぴんと立てる。

 ヒゲを、林中に張り巡らせ、まわりをうろつく影どもに、はっきりと言い渡す。

(影ども! これは、おれのニンゲンだ。たとえ、おまえたちに馴染む部分がいくらかあるとしても、もしゃもしゃの本質は、健やかな生だ。この娘はおれが、立派な野良に仕込むのだ! 以後、手出しはするな!)

 風に似て非なるものが、どうと吹き散る。

 影は、去った。だがおそらく、諦めてなんかいないだろう。

 もしゃもしゃが、ここで呼び寄せている限り、何度でも集まってくる。

 おれは猫だ。おれは、おれの力を知っている。

 

 

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