minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

6

  なすびのドレスとランニング

 

 

 まだ日の高いうちに見る桃園会館の印象は、昨日ほど不気味ではなかった。

 八雲くんが、ライオンのドア・ノッカーのついた扉を開く。ぎぎぎーっとハデな音。敷居のところで紗鳥を振り返って、こいこいと手招きする。

「ひびんなくていいって。」

「だっ……て、あの……」

「いないいない。さっき追い抜いていったばっかでそんなヒマないって。」

「……え?」

 意味が分からず、立ちすくんでいると、八雲くんはいらいらしてきたのか、

「いーから、は・い・れ!」

 と言いながら、紗鳥の肩に手をかけて引きこむ。

 どっきーん、だ。謡ちゃんや増田さんや恩田さんが見たら、また「いいなー!」とか言われてしまうんだろうな。でも、あの、なんて言うか、あたし別に八雲くんて、そんなにシュミでもないんですけど。て言うか自分、シュミとかそういうの、まだ決めてない、って言うか自分でもよくわかってない、って言うか。このどきどきは別に、だからこの人だからというわけでは全然なくて、自分、男子そのものに抗体がなくてですね。

 などと、頭の中で、いったい誰に言い訳してるんだか。目の前にあの『個人面接』のシチュエーションが蘇ってきて、脇の下を、冷たい汗が流れ落ちる。

 八雲くんは、紗鳥の肩に手をまわしたままで、階段を上り、突き当たりのドアへと向う。心臓ばくばくでヨロヨロしながら、紗鳥は、そのドアの脇の、奇妙な看板に目を止める。

 黒く塗ったベニヤ板に、真っ赤なペンキで、いかにもおどろおどろしい字体で、

 演 劇 部

「っはよーございあーす!! 昨日のヤツ、連れてきたっすー!!」

 ばぁんとドアを開けて、八雲くんが能天気に叫ぶ。

 半分、突き飛ばされるようにして入ったその部屋の内側は……

 おかしな衣装と、着ぐるみだらけ、だった。

 ブティックハンガーにずらりとつり下げられた、奇抜な色合いのドレスにワンピース、フード付きのマント、ぶかぶかのズボン。

 棚には、誰がどういう状況で被るんだこんなもの、とつっこまないではいられないような、珍妙を極めたデザインの帽子が山積み。

 壁のコート掛けからぶら下がっているのは、背中にチャックのついた犬、猫、豚に羊にオオカミ。白とピンクのウサギ。

 焦げ茶色のクマ……まさしく昨日、紗鳥が見た、あの歩くクマ。

 そして、怪物たち。どこかの国の民芸品みたいな木製の仮面もあれば、動物の着ぐるみと同じような素材で作られた、頭からすっぽり被るタイプのものもある。真っ白なゴースト、のっぺらぼう、一つ目の入道、首に針金が入っているらしいろくろ首、その他、わけのわからない化け物たちが勢揃い。

 それらの一番はしっこに、昨日、紗鳥の頭上から降ってきた、あの「ももんがあ」の巨大な頭部が、命もなく、声もたてずに、ごろりと転がっている。

「こ……」

 こんなものに……

 びびらされたのか……

 紗鳥はなんだか、無性に腹が立ってきた。

 誰に怒ればいいんだろう。やっぱり、自分か?

「あー、来た来た。わぁお、イメージばっちり。」

 部屋の奥から声がして、紗鳥はふり返る。

 裁縫道具や布の山の真ん中で、一人の女の子が、まるで骨董品みたいな足踏みミシンの台からつと立ち上がって、こちらへ歩いてきた。

 さっきのおかしな人じゃない。もっとずっと理知的で、まともな感じがする。さらりとした黒髪のおかっぱ頭。切れ長の目に、長い睫毛。動作がきびきびして、隙がない感じ。

「内田さん、だっけ? あたし、福岡滝。2年生。よろしくー。」

「あっ……どうも、はじめまして……」

 なんだか知らないが、ともかく地獄で仏、のような心持ちがして、紗鳥はやっと、普段通りの口をきく。

「内田紗鳥です。1年5組……いちおう、バレー部に所属……」

「ちょっとこれ被ってみて。」

 棚からひょいと、おかしな帽子のひとつを取り出して、紗鳥の頭にいきなり被せる。それから一歩下がって、じっと見つめる。

「……いまいち。こっちのほうがいいか。」

「あ、あのう?」

「じっとして。」

 別の帽子を取り出して、次々と被せてくる。

「うんうん。いい感じ。なるほど。今度はこれ、ちょっと、着てみてくれる?」

「は?」

「そこに姿見があるから。」

 なすびのような色をした服を一着、手に持たされ、カーテンで仕切られたフィッティングルームのような一角に押しこまれる。

 だめだ。この人も、話が通じない。

「着方はわかるよね、上から被るだけだから。制服のスカートは脱いで。」

「……はい……」

 もう、逆らう気も起きない。

 ゴムが入って、ちょっとすぼめたような裾の穴を見つけて、夏服の上からすっぽりと被る。薄緑色の、おかしな形の襟を整えてみると、なんてこった、なすびのような、ではなく、これは本当になすびの着ぐるみなのだ。ナスドレス。

 おそるおそるカーテンを開けて出てみると、予想した通り、八雲くんが大笑いする。

「ひゃはははは! 内田、長茄子! 長茄子!」

 その笑いを異次元の彼方のように無視して、福岡さんという先輩は、真剣そのものの表情で、紗鳥のドレスを検分する。

「肩、きつくない?」

「……ちょうどいい、です。」

「もうちょっと、ミニの方がかわいいかな……明日までに詰めとくね。」

「は。」

「よぉーし、紗鳥ちゃん!!」

 カーテンの後ろから、突然、ピエロが現れて、号令をかける。

「ランニングにしゅっぱーつ!!」

「はいっ!」

 体育会系の悲しい性で、瞬時にいい返事を返してしまってから、なんで部活でもないのにランニングをしなきゃならないんだ、しかもなすびの格好で、ピエロの後について、と、次から次へと疑問を噴出させる。が。

 ピエロ、速い!

 階段を3段抜かしで駆け下りて、ライオンのドアから表へ飛び出し、白い花の林の中に駆けこんで、風のように木立を抜けていく。

「紗鳥ちゃぁーん。ついてきてるー?」

 と、ピエロが、前を向いたまま叫ぶ。その耳障りな声の響きで、紗鳥はようやくこのピエロが、さっきのおかしな、背の小さな、小汚い女の子の扮装であることに気づく。

「はい。」

「ペースはやくなーい?」

「大丈夫です。」

「そしたら、歌、うたおーか。」

「はい?」

「走ったまま歌うの。テンポさえ合ってたら、なんでもいーよ。紗鳥ちゃんの好きなのでー。」

 好きな歌?

 すでに混乱しきった頭に、急にそんなシンプルな質問をされて、紗鳥はかえって、わからなくなる。

 よく聞くポップスを、順繰りに思い浮かべる。中学のバレー部で、カラオケに行って歌った曲を、歌おうとしてみる。どれもなぜか、ぴんと来ない。

「いっこもないのー? すきなうたー。」

 というピエロの声にせかされるように、紗鳥の口から出てきたのは。

   東京ブギウギ リズムうきうき こころずきずきわくわく~

「キャー、しぶーいっ。」

 ケタケタと、ピエロは笑い、すぐに紗鳥と一緒に歌い始める。

   海を渡り 響くは 東京ブギウギ~

 上手い。昔、聞かせてもらったおばあちゃんのカセットテープとそっくりだ。こんなに速いペースで走りながら歌っているのに、息がぜんぜん乱れない。おまけに、声がとんでもなくよく通る。

   ブギの踊りは 世界の踊り 二人の夢のあの歌~

   口笛吹こう 恋の ブギのメロディー~

 一曲歌い終わる頃には、紗鳥はだんだん、息があがってきた。

 ここ数日の運動不足もあるし、胃痛のせいもある。おかしななすびの服のせいでもあるし、林の中の、起伏の多い、細いくねくね踏み分け道が難しいせいでもある。

 そんな風に言い訳してみても、やはり、どうにも悔しい。

 なんでこんなに、衰えちゃってるの? なんでこんなに、苦しいの?

 バレーボール。あたしの中学時代。あの全国大会。

 勝ち進んで。その度に笑って、泣いて。チームメイト。汗と涙。根性、根性。

 「紗鳥だけは、続けてね」と、泣きながら退部したユイコ。あんなに才能を期待されながら、膝を痛めてマネージャーに徹した、尊敬する大村先輩。

 「絶対ワールドカップに行って下さい!」と言って送り出してくれた、かわいい後輩たち。今頃きっと、あのコートの上でがんばっているんだよね。内田先輩も桃李学園でがんばってるんだから、あたしたちもがんばろう、なんて、思っててくれたりして。

 なのに、どうしてあたし、こんなところにいるの。

 どうしてしがみついてでも、部活続けようって思えないの。

 どうしてこんなところで、こんなバカみたいな服着て、バカみたいなちっちゃいピエロについて、能天気な歌うたいながら走って……しかも、しかも、

 体力で負けちゃったりしてるわけ!?

「今度オイラが選ぶねー。紗鳥ちゃん、しんどかったら別に歌わなくてもいいからー。」

「平気ですっ。」

「ほほほ。行きますよー。♪きしゃきしゃ、しゅっぽしゅっぽ、しゅっぽしゅっぽ、しゅっぽっぽ♪」

「ぼーくらっをのっせってっ、しゅっぽっしゅっぽっしゅっぽっぽっ!」

 もうやけくそで、腹の底から声を出して歌いながら、必死で食らいついていく。

 辛いし、悲しいし、泣こうかな、と思ったけど、この状況と涙が、あまりにもそぐわないので、やめた。

 

 

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