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特製メンチカツ定食
スポーツバックをなくしてきた、ということに気がついたのは、おばあちゃんに、
「さっちゃん、あんた洗濯ものは?」
と聞かれた時だ。
「あ……」
夕食を食べる手を止めて、もう、必死で言い訳を考えている。部活をさぼっていることが、これですぐばれるわけじゃないのに。
「忘れてきた……みたい。」
「えー? なにやってんのぉ、昨日も持って帰って来なかったのに。今頃、汗臭ーくなってるよ?」
「うん……ゴメンなさい。」
「今日だって、汚いのをもっかい着直したんじゃないのかい? 気持ち悪かったでしょうが。それでどうして、今日こそちゃんと持って帰らなきゃって思わないの。タオルだって、サポーターだって、一日使ったら汗ぐっしょりになるって、さっちゃんが自分で言ってたんじゃないの。」
「ああ……うん、でも昨日はミーティングだけだったから。」
「でも、今日は練習だったんでしょう。もう夜だって暑いからねえ、明日の部活の時には、きっともう、すっぱーい匂いになってるよ。明日の荷物に、他のTシャツかなにか、ちゃんと余分に……」
「はいはい、わかってまぁす。」
できるだけつっけんどんにならないように、紗鳥は返事する。
汗の心配はないのだ。昨日も、今日も、部活には出なかった。ウェアも、タオルも、週末におばあちゃんが畳んでくれたそのままのかたちで、ぴっちりさっぱり清潔に、バックの底に収まっている。
どこへ忘れてきたのだろう? 教室から出た時、手に持っていたのは間違いない。あの林の中で、逃げ回っているうちに落としてしまったのだろうか。それとも、あの忌まわしい建物の中に、置いてきてしまったのか。
いや、それ以前に、あれは、ほんとうに現実の出来事だったのだろうか?
4頭身のももんがあ(いつのまにか、紗鳥の頭の中で、そういうネーミングになっていた)、歩くクマ、パンク鬼、ジャージ幽霊……。
あり得ない。あり得ない。あり得ない。
そもそも、あのカビくさいゴーストハウス。あれからしてもうあり得ない。
桃李学園は、リッチな家庭の子供が集う、リッチな学校だ。大学の校舎は、超有名な建築家の設計だとかで、広々とした中庭に、凝った噴水まであってすごくモダンな感じだし、高等部も中等部もエレベーターつき五階建て。体育館や講堂、図書館、寄宿舎や職員宿舎に至るまで、全棟きっちりバリアフリー、全てのトイレにウォシュレットまである。
そんな学園の敷地内に、あんな古ぼけた建物が存在するだなんて、絶対に信じられない。
考えこんでいたら、箸が止まってしまった。おばあちゃんが、また咎めるような声で言う。
「さっちゃん! ぜんぜん食べてないじゃないの。」
「あ。」
紗鳥は慌てて、どんぶりを持ち直す。まっしろいごはんが、やっと三分の一くらい減ったところ。えのきとわかめとお麩のお味噌汁も、金時豆の煮付けも、山盛りの千切りキャベツの上に横たわる特大メンチカツも、ほんのちょっとずつ口をつけただけだ。
練習に出ていた頃は、これくらい、ぺろりと食べていた。おかわりもしたし、デザートまでいけた。すごくおいしいと思っていた。
でも今は、苦しくてとても入らない。
おばあちゃんとお母さんとで切り盛りしている食堂の、お昼の定食の残りの、特製メンチカツ。
大きな鉄鍋の中で、一日中、たくさんのものを揚げて、揚げて、揚げまくった油の匂いが、以前はあんなに好きで好きで、嗅ぐだけで口の中に唾が溜りそうだったのに。
「ごめん……今日、ちょっと、食欲なくて。」
「なぁに言ってるの、あんた育ち盛りなのに。」
「うん、でも、今日はホントに……」
「ちゃんと食べないと学校で持たないよ。さっちゃん、運動だけじゃなくて、勉強だってたっくさんしないといけないんだから。頭ってねえ、こないだテレビで言ってたけど、もう、ものすごいカロリー使うんだってねえ。体全部の何パーセントだか使うって。勉強のできるのは、毎日ちゃんとバランスよくいろんなものを食べて、栄養を取ってる子だって。早寝、早起き、朝ご飯ってね。ちゃんとお米のごはんを食べないで、ヘンなもんばっかり食べてる子は、ごはん食べる子に比べて成績だって良くないって、調べたらちゃんとそうなんだって、どっかの大学の、偉ーい医学博士が……」
「ああ、はあ、うう」
聞き流しながら、これをどうやって処理すればいいのかと考えて、途方にくれる。
テーブルの下に、投げ入れたものをなんでも吸いこんで、宇宙の彼方にまで飛ばしてくれる、小さな異次元の穴でも、開いていたらいいのに……
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- 作者: 木地雅映子
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