10
ライオンと魚
久しぶりに運動したから、今日のご飯は、きれいに食べられた。
おばあちゃんは、スポーツバッグのことを聞かなかった。多分、今日は、他のことで忙しくて、忘れたんだろう。
そのおばあちゃんが、お風呂に入った隙に、紗鳥は、お母さんに、バレーボール部を辞める、と告げた。
「……でも。」
とお母さんは、いつもの、少し困惑したような表情で尋ねる。
「それじゃ、授業料とか……」
「大丈夫。あたしが悪くて辞めるんじゃないもの。入った時の約束通り、ちゃんと出してもらえると思う。」
そういうことになるだろうと、福岡先輩が教えてくれた。スポーツの特待生が、いじめで部を辞めた前例が、あの学園には、いくらでもあるのだそうだ。
「……でも。」
とお母さんは、もう一度言った。いつだって、でも、でも、と言った後で、その後の言葉を考えている。
「さっちゃん、バレーボール、好きじゃなかったの?」
「好きだったし、今も好きだけど……。」
実際、そのことだけが、心残りだった。
後輩たちの言ってくれたように、ワールドカップにまで行けるだなんて、本心から思っていたわけじゃないにしても……その、もう少し手前までなら行けるような気がしていたし、できるだけこの夢を長く、長く、見続けていたかった。
「でも、もう、決めたことだから。」
「……でも。」
そっと、お風呂場の方を窺ってから、お母さんがまた、言う。
「おばあちゃんが……なんて言うか。」
「それは、あたしがちゃんとする。」
少し、怒った声で、紗鳥は告げる。
「ちゃんと全部、訳を話して、わかってもらう。実際、お金のことは大丈夫なんだし、あとはただ、あたしがこれから、自分でどうしたいか、っていうだけの問題なの。おばあちゃんにはなにも関係ない。だから、お母さんはなんにも、心配いらない。」
「…………。」
もじもじと、お母さんが、体を揺らす。
自分からは、会話を切り上げられない。そういう人だった。
「じゃあ、そういうことだから。」
と言って、紗鳥は立ち上がり、部屋を出る。
「……でも。」
と、またお母さんが、なにか言いかけるのを遮って、
「お父さんから、連絡あった?」
と、尋ねてみる。
「……ないけど。」
「そう。……ま、別に、あたしも用はないけど。」
それだけ言って、自分の部屋に帰って、小さなパイプベッドに、どさりと横になる。
夢の中に、あの中庭が出て来た。
現実には、建物の表と裏に、別々に住んでいるはずの、あのドア・ノッカーのライオンと、池の中の噴水の魚が、一緒にいた。
「よかったね。」
と、ライオンが言った。それは、ぴりか先輩の扮装らしかった。
「哀れな。」
と、魚が言った。
今に見てなさい、ここから成長してやるから、と、紗鳥は思った。
→next