minor club house

ポプラ文庫ピュアフルから出してきたマイナークラブハウス・シリーズですが、以後はネットでやってくことにしました。とりあえず、版元との契約が切れた分から、ゆっくり載っけてきます。続きはそのあと、ボチボチとりかかる予定。

5

  飢えを満たす

 

 

 テーブルの上に並べられた食事を見つめるぴりかの目は、見たこともないおもちゃを見つめる、小さな子供の目に似ていた。

「……これ、全部……あたしの?」

 ぐるりと料理を指差して、不思議そうな声で、そんなことを尋ねる。

「あれ、多かった? そんなこともないじゃろう。食べ盛りなんじゃけえ、これくらいは入るじゃろう?」

 不思議そうに、母親が尋ね返す。茶碗一杯のご飯と、茗荷を散らしたナスのみそ汁。瑛一が焼いてやったハーブ入りのチーズオムレツに、ロメインレタスとミニトマトのサラダ。ジャムを添えた自家製のヨーグルト。

 朝食としては、それなりにボリュームのあるほうだとは思うが、日の出からずっと駆けずり回っていた高校生に、食べ切れない量だとは思えない。

「普段から、小食なほうなんか?」

「ううん。ちょっと……びっくりして……」

「なにか、びっくりするようなものが出とるか?」

 そう瑛一が、半分笑いながら尋ねると、ぴりかはもうなにも言わず、ちょっと困惑したような笑みを浮かべつつも、箸を掴んで手を合わせる。そして、黙って食べ始める。

 それは、どこか奇妙な感じのする食べかただった。

 マナーが悪いというわけではない。箸の持ちかたはへたくそだったが、それでも一生懸命、正しく使おうとしている気持ちが読み取れる。がっついているわけでも、急いでかきこんでいるわけでもないのに、なぜか……これではとても足りないのではないかという、焦りに似た感じを、食べさせている側に抱かせる。途方もなく大きな食欲、底知れぬ空腹感が漂ってくる。

「……どう? おいしい?」

 心配した母親が声をかけると、くりっ、と首を回して見つめ返して、

「……おいしい、です。」

 と、呆けたような笑顔で答える。なんだか、その目が……母親を通り抜けて、どこでもない場所でも見ているようだ。

「あ……そうじゃ、ぬか漬けもあったんじゃ。」

 ぽんと手を叩いて立ち上がり、母親が冷蔵庫を開けて、小鉢を取り出してくる。

「これも、よかったら食べてみて。」

 ラップを外して、目の前に置くと、ぴりかは食い入るような目つきで、キュウリと、セロリと、ニンジンのぬか漬けに見入っている。それから、そーっと箸を伸ばす。

 こり、こり、こり、と、ニンジンを噛み砕く音が響く。

「どうじゃ?」

「……おいしい。すごく。」

「他のもんも食べてみる?」

 そう言って今度は、タッパーや保存瓶を、山のように取り出してくる。

 キャベツの酢漬け、叩きキュウリのビール漬け、豆腐のみそ漬け。その他、普段から、この家の食事に必ず登場する、保存の利く常備菜の数々。

「……それはさすがに、多すぎるじゃろう。」

 と瑛一は言ったが、母親は、

「味見だけでも、すればええ。」

 と言って、全部の蓋を開けて、ずらりと並べる。

 ひじきの煮付け。糸こんにゃくとおからの炒り煮。きくらげの胡麻油炒め。なめたけ、梅干し、こんぶの佃煮。瑛一の作り置いていったトマトチャツネまで。

「ご飯、おかわりする?」

「うん。」

「おい、もうやめとけ、腹壊すぞ。」

「大丈夫じゃって。食べたい時には食べればええんじゃ。」

 2杯目のご飯を受け取って、ぴりかはまるで、予言の水晶玉でも見つめるような面持ちで、ほかほかと上がる白い湯気を見つめる。

「ちょっとお行儀は悪いけどねえ、これ、ご飯にのっけて食べてみい。」

 と言って、母親は、今度は自家製のバターを出してきて、醤油と一緒に並べる。

「ちょこっとじゃぞ……こうして、一口分……お醤油をぽたっ……ほぅーら。」

「……おいしい。ものすごくおいしい。」

 バター醤油飯を咀嚼しながら、まるで音楽を聴くように、じっと目を瞑っている。

 次から次へと出てくるものを、丹念に、丹念に味わって……やがて、鶏皮ともやしの唐辛子炒めを口に入れたところで、突然、ぴりかの目から、涙がつうーっと、二筋の小川のように流れ出した。

「ど……どうしたんじゃ? 辛かったんか?」

 仰天した母親が、ぴりかの顔を覗きこむ。父親がコップに水を汲んで、反対側から差し出す。

 だが、ぴりかは水には手を伸ばさない。

 右手に箸、左手に茶碗を持ったまま、ひーん、ひーん、と情けない泣き声まで立て始める。

「ぴりかちゃん……どうしたんじゃ、ああ、もう、泣かんでもええ。泣かんでもええ。」

 感情移入しやすい母親が、自分もすっかり同じ泣き顔になって、ぴりかの背中を撫でさすり、エプロンで顔を拭いてやる。

「泣かんでもええ……あんたは、うちの子じゃ。お父さんの愛娘なんじゃけえ、間違いなく、うちの長女じゃ。泣かんでもええんよ。ここがあんたのうちじゃと思うて……ずっとおったらええ。」

「ちょっと待てえや、母ちゃん。」

 冷静に、瑛一は諌める。こういう時の母ちゃんのカンは、確かに当たっとるんかもしれん。そう言うてやることが、この子には本当に、必要なんかもしれん。

 それでも、今のは行き過ぎじゃ。

「犬猫の子と違うんぞ! れっきとした、他所様のうちの子供じゃ。そんな簡単にうちの子うちの子言うて、どうやって自分の娘にするつもりじゃ!」

「瑛一が嫁に貰うたらええ。」

「……はっ!?」

 仰天して怒鳴り返すと、言った瞬間には単なる思いつきだったらしい母親が、

「ああ、ほうじゃ、ほうじゃ、その手があったわ。」

 と、次第に真面目に考え始める。

「ほしたら工藤さんとこへも、うちから通えるし。ね、ぴりかちゃん。うちの瑛一、どうじゃ? もしそうなったら、ここで毎日一緒に……」

「あほう!」

 だんっと拳をテーブルに叩きつけて、真剣に怒りを表明する。

「それじゃって、やっぱり動物と同じに考えよるじゃないか! 牛の交配の話をしとるんと違うんぞ。人の気持ちのことも考えんと、なに勝手なことをほざいとるんじゃ!」

「じゃけえ今、その気持ちんとこを聞いとるところじゃろうが! ねー、ぴりかちゃん?」

 話にならん。舞い上がると、母ちゃんは、いっつもこうじゃ。

 忌々し気な舌打ちをひとつして、瑛一は、ともかくぴりかに謝っておこうと、顔を覗きこむ。

「すまんのう、ぴりか。このばあさん、田舎もんじゃけえ、こういうことになると頭が古いんじゃ。勘弁して……」

 そこまでで、後はなにも言えなくなる。

 上目遣いで瑛一を見返したぴりかの、泣き濡れた目の縁が、ぽおーっときれいに赤く染まっていくのが、トマトの実の生育を映したフィルムの早回しを見るように、はっきりとわかった。

(あっ……ちゃー……)

 なにかもう、すでにある種の責任が生じてしまったかのようで……

 

 自分の顔も、微かに赤くなっているのを感じたが、それは単なる肉体的な反応で、どちらかというと、胃袋にのしかかってくるこのストレスのほうが、意識の上では、相当大きく認識されているわけで……

 

 

20/20

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